単純にして深遠、最強ハ長調
<序奏のみですが、続きを書くめどがたっていないので一旦こちらへ転記>
さて、今までクラシック曲のレビューというにはちょっとふざけた感じの、底の浅いオタクの語り的な文章を書いてきましたが(その数わずか2曲分)、考えてみれば取り上げたのはモーツァルトとシューベルト、決して嫌いではないもののダントツに好きな作曲家というわけでもありません。本来私が好きな作曲家といえばシューマン、ラヴェル、ロシアの作曲家(ラフマニノフ、プロコフィエフ、そしてチャイコフスキー)といった方々なのです。
ここは一度、正面から最も好きな作曲家の最も好きな作品を取り上げるべきではないか。なぜかそんな謎の使命感にかられ、素直に自分の一番について語ってみる事にしました。
前置きが長くてすみません。今回お話しするのは、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」ハ長調 作品48についてです。(セレナーデと表記される場合もありますが、手持ちのCD表記に合わせております)
チャイコフスキーと言えば美しいベタなメロディ万歳、感傷的でクラシック通というにはちょっと遠い、どっちかというと親しみやすい初心者向き、みたいなイメージを持つ人もいるかもしれません。
しかし難解で複雑な曲も聴き応えがあっていいですけど、結局人間て本能で分かりやすくシンプルな美しさが好きだと思うのですよ。俗っぽいほどにセンチメンタルで甘美で自意識過剰な、強制的に歌わされるような押しの強いメロディに抗えない! 抗えないのです。
なので声を大にして言います。私はベタベタでベタなチャイコフスキーが大好きです。一番好きです。理屈ではなく本能です。考える事を放棄して、ただバカになって音を浴びたい。湧き上がる旋律の甘美さに殉じたい。昇って降りての順次進行(殉じたいと掛けてるわけではない)、音階だらけの渦の中に取り込まれたい。
シンプルイズベスト! スケール上等!!
スケールの鬼かってくらいスケール多用なチャイコフスキーを愛するあまり興奮してしまいましたが、本題に戻ります。
まず、「弦楽セレナード」とはどんな曲か。題名を知らなくとも20数年前にとあるCMを目にした事がある方なら、おそらくそのメロディをも聴いた事があると思います。そのCMとは、人材派遣のスタッフサービス「オー人事」。
お若くない方(失礼)はご存じかと。「部下に恵まれなかったら、スタッフサービス、フリーダイヤル、オー人事、オー人事」ってヤツですね。その「部下に恵まれなかったら」の直前からかかる悲劇っぽいクラシック曲、まさにスケール(音階)から始まるその曲こそチャイコフスキーの「弦楽セレナード」です。
YouTubeで「オー人事」で検索すればすぐに出てきます。たぶん聴いたら「あーこれか」と思うでしょう。ただ降りてくる音階なのに、ものすごく印象的で耳に残るメロディなのです。
ところでこの曲、最初にハ長調と言いました。そう、長調です。しかし「オー人事」では、悲劇に打ちひしがれた登場人物が電話に向かう時のBGMで、映像と相まってたいへん悲劇的な曲に聴こえます。ああ、なんて可哀想な主人公。この曲の衝撃あってこそ、CMのおかしなドラマティックさが際立つというものです。
長調なのに悲劇的とは矛盾していると思いませんか。実は第1楽章は紛れもなくハ長調なのですが、序奏の冒頭はイ短調なのです。
「ド-シ-ラ-ソ」と一見ハ長調の音階で降りてきているように思えますが、最初の「ド」はイ短調の主和音「ラドミ」の真ん中の「ド」なのです。短調の音階は「ラシドレミファソラ」で主音は「ラ」ですが、主和音というのは主音が根音(一番下の音)になる3和音なので「ラドミ」になります。長調の場合主音は「ド」で、主和音は「ドミソ」です。
なんだかややこしい話ですが、「弦楽セレナード」の冒頭のメロディの「ド」は「ドミソ」の「ド」ではなく、「ラドミ」の「ド」なのです。(楽譜で全部のパートを見ると分かります)
で、フレーズの終わり7小節目の「ミ」は「ドミソ」の「ミ」、つまりここでハ長調になっています。序奏はこんな感じで同じフレーズの中に短調の和音と長調の和音が両方出てきたりします。結局どっちやねん、という話です。
で、そのフレーズをつないでいるのが「ドレミファソラシド」という超単純な音階。誰もがお馴染みの最初に習う音階です。短調? 長調? ドレミファソラシド 長調? ドレミファソラシド 短調? て感じ。
CMでは出だしのインパクトもあり短調で悲劇的なイメージですが、実際に序奏を全部聴いてみるとなかなか謎な曲です。明るいのか暗いのかよく分からない、そしてただの「ドレミファソラシド」がなんでこんなに美しく高揚感に満ちて音楽的なのか。
チャイコフスキー恐るべし!
2021.6.24ブログより