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還る道もなく、あまりにも微細な

さて、またまたレビュー的な何かです。レビューというか感想というか、自分の感情の発露というか、なんだかよく分かりません。
今回取り上げるのは日本のSF小説です。
万一今からこの小説読みますという人がいたら、普通にネタバレしまくりますので、ご注意下さい。

寄せてはかえし
寄せてはかえし
かえしては寄せる波の上を、いそぐことを知らない時の流れだけが、
夜をむかえ、昼をむかえ、また夜をむかえ。
ああ。その幾千億の昼と夜。

暗記するくらい好きなこの一節。
光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」という小説は、壮大かつ美しく、ちょっと荒唐無稽で、辛い話です。
ちなみに萩尾望都の漫画版も名作ですが、私が衝撃を受けたのは小説の方です。何が衝撃って、最初はワクワクしながら読み進め、ラスト近くなるとナンダコリャとちょっと苦笑し、そして最後の最後に辛くて、その辛さを解消する手立てがないという事が何より衝撃だったのでした。
私は結構妄想激しい人種なので、辛いストーリーは勝手に続きを考えたり別ルートを考えたりして気を紛らわす事が多いのです。バッドエンドを妄想で乗り越えるという、いかにも二次創作とか好きそうなタイプなのです。
が、その私にしても無理。この小説のラストは続きも別ルートも無理。とことん絶望するなり、虚無感にうちひしがれるなり、無常に泣くなりして下さい、とどうにもできない結末を投げてよこされた、そんな辛さだったのです。
特に最後の一文は人類には太刀打ちできないレベルの虚しさが漂っており、読み終えたあとの虚脱感はなんとも言えないものでした。

そんな虚脱感に苛まれながらも私がこの話を好きなのは、最初壮大な宇宙から始まった話の中で神仏に近いような登場人物たちが時空を超えて謎に向き合い、そして最後はなんだかチープな戦いに収束していくのだけど、そこで再び宇宙空間に放り出されてその大きさに、その対比に眩暈がするような感覚を覚えるからにほかなりません。
所詮宇宙から見れば私などは微細なチリにすぎないのです。それは虚しくて、だけど眩暈を覚えるほどに気持ちがいいのです。

感覚的すぎてヤバい人の宗教体験のようになってきました。何を言っているのか訳が分からなくなりそうなので、ここからは具体的な小説の内容について触れてみたいと思います。


まずは宇宙の創生のような壮大な光景が美しい文章で綴られた後、いよいよ本編が始まります。
この話の主人公は3人いますが、最初に登場するのはプラトンです。アテネの哲学者プラトンという事は、たぶんソクラテスの弟子でアリストテレスの師匠なギリシア哲学のあの人でしょう。イデア論とかの人ですね。
イデア論って何でしたっけ? 真の実在、普遍的なイメージ? 
詳しい事は知りませんが、とにかく大昔に思索して思索して思索しまくった人です。
そんなプラトンは伝説の理想国家アトランティスに憧れています。これも彼のいうところのイデアなのでしょうか。そして、アトランティスが滅亡した原因を考えるうち、憧れは時空を超え、彼はいつのまにかアトランティスの施政官オリナリエになっているのです。

夢か誠か、なんだかよく分からないまま話は進み、アトランティス王国はアスタータ50の惑星開発委員会が「シ」という人だか組織だか何か分からないものの命を受けて開発実験のために建設したという事が分かります。古代なのか、それとも未来なのか、時間軸さえもあやふやになってきますが、王国は移動を強制されて反発した市民が暴徒になったりで、結局市街の半分が闇に呑まれてアトランティスが滅んでしまいます。
ここまでが最初の問題定義といったところでしょうか。何が問題なのかもよく分からない、謎に包まれた幕開けです。もうこの辺りですでにワクワクです。
「シ」て何ですか。何を実験してたんですか。なぜアトランティスは滅んだのですか。これらの謎がこれから解けていくのだろうという期待感でいっぱいな私は、最後にどうしようもなく果てしない結末に虚脱する事をこの時点ではまだ知りません。そしてこの楽しさはラストの少し前まで続くのです。

中盤のあらすじはざっと流していきます。
2人目の主人公はシッタータ(釈迦)です。たぶん仏教の開祖のあの人です。哲学者の次は宗教家です。どういう組み合わせかと思いますが、まあなんとなく似ている部分もある気がするので、一応納得しなくもありません。
シッタータは破滅の根源を知りたいと思い、兜率天を攻撃する阿修羅王に会いに行きます。この阿修羅王が3人目、そして一番重要な主人公です。シッタータとは仏教つながりとも言えますが、プラトンとの組み合わせがよく分かりません。なぜこの3人なのだろう? と疑問を感じつつ読み進めていくと、阿修羅王が弥勒菩薩は56億7千万年後に人類を救済すると言いながら、なぜ何が起こるか説明したり破滅を防いだりしないのかと言い始めます。要するに、弥勒は胡散臭いというわけです。
この小説の面白いと思う部分に、弥勒や後に出てくるナザレのイエスが敵側として描かれている事があります。キリスト教徒の人が読んだら怒らないのかなと、ちょっと心配になったりもします。

いよいよ3人の主人公がそろうと、舞台はトーキョーシティーへ。なんか昔のSFぽいなーとか思いましたが、よく考えなくてもこれ昔のSFです。1960年代、私が生まれる前に書かれた作品でした。
さてここで、3人は未だ謎の「シ」の手先となったイエスと戦います。しかもいつの間にかサイボーグになっています。結構めちゃくちゃな展開です。だって釈迦VSキリストですよ。なんだかこの辺りから、壮大な宇宙とは違ったにおいがしてきます。
この後地下都市のゼン・ゼン・シティというマトリックスのようなところを経て、いよいよアスタータ50へ行きます。
ここでようやく「シ」の目的が分かってきますが、その正体はいまいち分かりません。もしかして分からないままぶっちぎられるのでは、という嫌な予感が頭をかすめます。この手の予感は当たりやすいのです。

そしてイエスや弥勒ことMIROKU(ちょっとアーティストの芸名っぽい)と戦った3人は、虚数空間から脱出するために力を合わせて1人だけをどうにか逃がします。
宇宙の創生から始まり、アトランティスで時空を超えるという壮大なストーリーだったはずのこの話は、後半になるにつれ、サイボーグになってイエスを追いかけ回したり、MIROKUの精神攻撃を受けたりと、なんだか昭和のアニメのようなちょっとチープな感じの戦いを繰り広げているのです。
神仏に近い人類の進化系のような人たちが、どこか人間的なスケールの戦いをしているように感じられる事はとても興味深いです。深遠な世界を追求しながらも、読者と同じレベルに降りてきて命掛けの深刻な戦闘をしている彼らは、阿修羅王も含めて人類の延長なのでしょう。この後半部分で私にとってずいぶん身近になりました。
そして身近になった故に、ラストの阿修羅王のやるせなさが人間のやるせなさそのものとして伝わってきたのでした。


さて、これまで大雑把にどんな話か語ってきましたが、さらに簡単にまとめると「伝説の理想国家や天上界の兜率天を破滅させ、この世界を荒廃させるものの目的と正体を探していたら、どうやら「シ」という知的生命体の進化を嫌うものによって最初から破滅が仕組まれていたらしいという事が分かってきて、その手先のイエスやMIROKUと戦闘を繰り広げました」という感じです。

そしていよいよ話は終盤へ。
この世界を支配し管理する転輪王と、世界の終焉にアンドロメダ星雲らしきところで対峙する阿修羅王。いよいよ答えが得られるのかと期待感マックスで読み進めると、どうやら高エネルギー粒子の集団(転輪王の宇宙?)をさらにそれより大きい宇宙が破壊しようとして失敗したよ、知的生命体の文明は破壊したけど阿修羅王とか出てきちゃったよ、でも崩壊因子を挿入したから結局ほとんどは滅んだよ、的な話に。
いや、この辺りよく分からないんです。分からないけど、なんとなくそんな感じの内容なんです。
なんかコンピュータウィルスを排除しようとしたらプログラミング中にバグが発生しちゃったけど、とりあえずだいたい片付いた的な……。

最後に阿修羅王は「シ」とは何者かと質問しますが、明確な答えは返ってきません。やっぱりね、そんな気はしてました。
分かった事は宇宙の果てにはさらなる無限の宇宙が広がっている事。この世の荒廃も破滅も、それを含む宇宙の動きのほんの一部で、その宇宙の変転もまたさらに大きな宇宙から見れば微細な転回にすぎない、という事でした。
分かったような分からないような、結局我々はチリクズのようなもので宇宙は広く果てしなく、内側からその全体像は見えないという事なのでしょう。微細な転回のさらにほんの一部のために死闘を繰り広げた主人公たちはなんだったのか。闘いに終わりはあるのか。
そして阿修羅王は気付きます。

"進むもしりぞくもこれから先は一人だった。すでに還る道もなく、あらたな百億の、千億の日月があしゅらおうの前にあるだけだった。"

このどうしようもなさ。
しかし、阿修羅王が直面したこの虚無と孤独は、人間の人生そのものであるようにも思えます。人は一人で生まれ、生きる意味を求め真実を知ろうとし、明確な答えを得られぬまま長い年月を生きて、そしてまた一人で死んでいくのですから。
時間を遡って後戻りする事はかなわず、長い年月昼と夜を繰り返す。その(人類から見て)長い人生は、宇宙規模で見ればまさにとるに足らないチリクズのようなものでしょう。我々が知る宇宙さえ、さらに高次元の宇宙から見ればビッグバンとか起こされると面倒だし早く消してしまおうという程度なのかもしれません。
そんな世界観の中で、還る道は閉ざされチリクズとして生きるしかなく、時間は流れ続ける。これは絶望なのでしょうか。
虚しく、辛く、どうしようもない事実。だけど絶望というよりは、果てのない時空の広がりを感じて、不思議と悟ったような気持ちにもなります。

物語のラストは始めに戻り、寄せてはかえす波の上を時が流れ、昼と夜を迎え続けるのです。最後の一節を読みながら脳裏に浮かぶ光景は、静かな宇宙空間と、そこに意識を漂わせているであろう阿修羅王の気配のみです。
この結末から何を妄想できましょう。
想像力の限界という敗北を受け入れた私は、ただ無数の星の輝く天空を思い浮かべて本を閉じるしかないのです。

                          終わり

2019.7.14~2019.7.16 ブログよりまとめ


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