コロナがくれたもの
2020年初頭、コロナは対岸の火事だった。
中国っていつも新型の菌を生み出してくれるわね。
その程度の印象だった。3月になり、子供達の学校が休校になり、いよいよ怪しい雰囲気だった。マスクや消毒液が店頭から消えて、街からのほほんとしたムードは消えた。みんな、異常なほど神経質だった。何に気を付ければいいかすら、よく分かっていないのにとにかくピリピリ。1日に何度も「手洗った?」と家族に聞き、1日に何度もドアノブや電気のスイッチを拭いた。微熱が出ては「まさか」と体温計の電池がなくなるまで体温を測り直した。
判らないということがこれほどまでに人を戦々恐々とさせるとは。
私の母は幼い頃「体の痛い箇所に手を当てるから手当てと言うんだよ」と言って腹痛の時はお腹をさすってくれた。相手が落ち込んでいたら肩を抱いてあげたり、しばらく会えない人とぎゅっと抱き合ったり、励ましに手を握ったり…
人に愛情を伝える動作、表現の多くが人と触れることと誰もが認識していた。そういうものだと信じて疑わなかった。
それが、、、
「相手を守りたかったら、助けたかったら、離れなさい」と言われ、私は本当に本当に衝撃を受けた。触れること、近づくことが相手を傷つけるかもしれない。両親に会いに行くことが、孫の顔を見せに行くことが親孝行だと思っていた。でももう、会いに行けない。
これはハグや握手が習慣の国々では尚更ショックだったに違いない。
コロナがくれたもの①
社会との断絶。自分回帰。
通勤、通学、習い事、人付き合い…
あまりにも当たり前すぎて、以前ならそれらをやめていいと自分に許可を出すことは難かったと思う。
煩わしいものをぜーんぶ投げ出した状態。
最初はそわそわ。仕事は回るのか、勉強に遅れが出ないか、生活費はどうなるのか。
でもしばらくすると、「ああ、私、今までずっと休みたかったんだな」と気付かされた人も多かったのではないだろうか。働かざるもの食うべからずという言葉があるほと、日本は働かないことを許さない風習がある。学校も同様、決められた枠の中で、評価されて淘汰されていく。学校が合わないなら、学校に行かなくてもいいという選択肢はまだまだメジャーではなかった。
この長い間の洗脳を断つには、これくらいの荒療治が必要だったと言っても過言ではないと思う。
コロナがくれたもの②
マスコミ報道の失墜
民放の報道には偏りがある場合がある。いつも真実を正しく表現しているとは限らない。と多くの国民が気付くことができた。これは大きな産物だと言える。アメリカ大統領選挙においては、もっと大きな勢力が世界に歪められた真実を信じ込ませようとしている。米大手メディアの報道の信憑性と信頼性は奈落の底に落ちた。気分を害した方がいたら申し訳ありません。私の個人的な見解ですので、聞き流して下さい。
コロナがくれたもの③
少し前のことを大昔のことにしてくれた
日本人は変わらないことを良しとするところがある。長いお付き合い、勤続年数、この道何年、生粋の〜。戦後の貧しい時代に育った大人に「物を大切にしなさい」「もったいない」と教育されてきた。
変わることは時として怖ろしく、今が居心地の良い人間は変わろうとする者の足を引っ張るものだ。
私は最近、「一生物」と勝手に決めていたブランド物なバックを全て手放した。使えないわけではなかったのだけど、勇気を出して手放すことで、次に進めるような気がしたのだ。変化のスピードはどんどん加速している。古い考え方、古い人間関係、肩書き、使えるけど気に入ってない物…全部捨てて、軽やかに歩き始めよう。もう、あの頃は戻ってこないから。
コロナは私たちからいろいろな物を奪った。
患った方や身近な人が亡くなった方は本当に大変だったと思う。もしこれが、人工的で意図的なパンデミックだったとしたら、許されることではない。
一方でコロナは私達が前に進むことを後押しした。これも事実ではないかと思う。満員電車で疲れ果てた通勤、嫌なのに付き合っていた飲み会や井戸端会議、汚され続けた地球環境。
これからはそれぞれが好きな場所で、好きなことを発信して、相互に尊重し合える。
大政奉還と似たターニングポイントが訪れたのだ。
医者の息子が料理教室を開いたっていい。男性と男性パートナーと養子を育ててもいい。このことに高揚感を覚えた人は必ず成功する。そんな時代をコロナは運んできてくれたのだ。