俳句とからだ 175号 十年一昔十年一日
連載俳句と“からだ” 175
愛知 三島広志
十年一昔十年一日
十年一昔。時の流れは速いので十年も経つと昔となるという意味だ。世の移り変わりの激しさを言う。反対に十年一日という言葉もある。長い間全く変化のないことを示し、どちらかといえば負のイメージがある。
2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生した。地震と津波、火災、そして原子力発電所の爆発。天災と人災が絡み合い死者1万6000名に及ぶ未曾有の災害となった。あれから十年。果たしてこの十年を一昔と括れるか。原発の処理など十年一日の如く全く進捗していない。損壊した家屋の再建も困難で、故郷に帰れない人も大勢いる。愛する人を喪失した悲しみ、生き残ってしまった苦しみ(サバイバーズギルト)は、人々の心に深い傷を刻み、傷口には未だ痂皮もできていないだろう。十年一昔というにはあまりに短い。
瓦礫みな人間のもの犬ふぐり
高野ムツオ
その日、名古屋市内の病院で開催された地域医療連携の会合に出席していた。大きな揺れがとても長く続いた。急いでスマートフォンでニュースを確認し、東北で大きな地震が起きたと知った。帰宅後のテレビは、15時27分に津波第一波到来、福島第一原子力発電所の全電源喪失を報せていた。
翌12日15時36分、1号機が水素爆発を起こした。その映像は地元テレビ局が撮影し世界に発信されたが、当初日本のマスコミはごく一部でしか報道しなかった。旧知のイタリア人がイタリアからFacebookで映像を送ってくれ事実を知りえたが、日本の主要メディアは事実を把握しながら秘匿していた。不都合な事実は常に隠される。この報道の有り様も十年一日の如くである。
被災地から遠く離れて暮らす者にも暗澹たる日常が続き、心がいつも重い帳に包まれていた。平穏な日常と不穏な非日常が表裏一体であると強く思い知らされた。その頃以下の句を創った。
春の雷プロメテウスの炎を宥め
朝櫻濁世に生きてこののちも
鎮魂の櫻三分となりにけり
遠くに住む者の記憶は徐々に薄れ、十年一昔などと言いたくもなる。しかし帰還困難地域は現在も名古屋市ほどの広さがあり、一連の災害は、現地の人々にとって今も続く現実だ。一日千秋の思いで復興を待ち焦がれているに違いない。十年一昔と過去の出来事として記憶の外へ押し出すのではなく、十年という区切りの年毎に改めて思い起こし心に刻みつけるべきだろう。
鬼哭とは人が泣くこと夜の梅
高野ムツオ