石島守
Acorn、エイコーン、つまり、ドングリ。 道を歩いていてドングリが落ちていると、拾いたい衝動に駆られる。我慢できず、拾ってしまう。それをどうするという訳でもなく、持ち帰って見ているだけ。次の日も、やっぱり拾う。どう言う訳かわからない。困ったもんです。
ヘミングウェイの小説に、「陽はまた昇る」っていうのがあって、大好きなんだけどね。 舞台はスペイン🇪🇸のパンプローナという町。 その町で行われる闘牛大会を中心に、物語が進んでいくんだけど。 でね、原題を直訳すると、「陽はまた昇る」ではなく、「陽もまた昇る」だと、私は思うわけです。「陽はまた」だと、昨日昇った太陽が、今日もまた昇るという意味になる。 でも、直訳の「陽もまた」では、太陽より先に何かが昇って、その後で、太陽も、あの「何か」と同じように昇る、そういう意味になる。 じゃ、
こまったなあ。どうしよう。
クモ ゴキブリ ツチハンミョウ ダンゴムシ センチコガネ みんなともだち。みんなだいすき。だってさ、虫はニンゲンとちがって、いじわるしないからね(^虫^)
残像。残響。後に残る黄金のオーラ。 後頭部に永く長く残り続けるブラームスの輝き。やっぱり赤ワインだよなぁ。 何ものにも代え難い、休符の美。 いや、言葉では伝えられませんね。
これは何でしょう? なんだっけ。
最近、考えているのは、詩を読む習慣のない人たち、いわゆる、普通の人たちに読んでもらえるような、そういう詩集を出したいなあ、っていうこと。 誰でも読めて、読んだらすぐにわかるような、そういうもの。 ほら、詩集ってさ、表紙を見て、題名を見て、やっぱり、読むのやめとこう、って、そういう人、いっぱいいるんだってこと。学んだわけよ。経験でね、それを学んだ。 だからね、そこんところをね、ずっと考えてるわけ。いや、答えは、まだ、わかんない。
「東京の生活史」 この本、とにかく、重い。 トイレで読むのは、けっこう大変。 この本は、 通読しなくても、個々の記事を選んで読める。 その日、その時、読みたい人の言葉を読めるから、本の重さは気にならない。 岸政彦編、筑摩書房。 永く付き合っていきたい本です。
予約が取れないとか、星が付くとか、行列が長いとかは意味がない。二人で過ごす時間、過ぎ去ってしまう時間の質こそが大切なのです。