山形新聞「日曜随想」 2020年3月15日
「フォルクローレ」という音楽をご存じでしょうか。わが国においてはアンデスの、あの素朴な民族音楽を指すのが一般的です。ブラジル音楽ファンは概してフォルクローレが苦手です。それはブラジル音楽が多様な音楽のミクスチャーによって、洗練を育んだものであるのに対し、フォルクローレの音楽的純血性はなんとも泥くさいものに感じられるからです。
では、「ネオ・フォルクローレ」という言葉をご存じでしょうか。この言葉、まだ定まった用語ではありませんし、日本だけの呼称であろうと思います。一体どういう音楽を指すのかというと、平たく言えばフォルクローレのルーツに根差しつつ、ジャズ、クラシック、ロック、ブラジル音楽などの多様性を取り入れた、洗練された音楽のことです。ブラジル音楽ばかり聴いていた私が、アルゼンチンの音楽に魅入られるきっかけが、このネオ・フォルクローレでした。今回紹介するのはこのシーンを代表する音楽家、生きる伝説とまで言われるカルロス・アギーレの「ラ・ムジカ・デル・アグア(水の音楽)」です。
カルロス・アギーレは1965年、アルゼンチンのエントレリオス州の小さな村に生まれました。フォルクローレを中心に郷土の音楽に親しみながら、ジャズやロック、ブラジル音楽などにも影響を受け、80年代後半から音楽活動を始めました。セッションピアニストとして頭角を現し、2000年代から自身のグループでの活動を開始します。現在もパラナ川のほとりに住み、大自然のなかで創作活動を続けています。日本では一部のファンから熱烈な支持を得ていましたが、知る人ぞ知る、伝説的な存在でした。00年に録音した名盤「クレーマ」の日本盤が10年に正式にリリースされ大ヒット。その年の秋には初来日を果たしました。その初日が山形市だったのです。
初めて彼の音楽を聴いたときにもちろん洗練された美しさに魅かれたのですが、それ以上に音楽の純粋さ、誠実さに驚かされました。見た目は堂々たる体躯と、鋭い目、ぼうぼうと髭を蓄えた豪快な風貌なのですが、実際に会った彼はその音楽の通り、穏やかで思慮深く、優しい目と優しい声の人でした。彼の音楽にはそんな人柄がストレートに投影されているように思います。
初来日を果たしたのち、12年5月にはアルゼンチン屈指のギター奏者キケ・シネシとのデュオで再来日。18年には再びソロで、19年には音楽的師弟関係にあるセバスティアン・マッキのトリオの一員として、現在まで4度の来日を果たしていますが、その全てにおいて山形で公演をしていただいています。もはや山形は日本でのホームタウンの一つと言ってよいでしょう。
さて、アルバム「ラ・ムジカ・デル・アグア(水の音楽)」は、18年の山形公演と同じタイトルが冠されたもので、山形公演と同様にピアノでの弾き語りによる作品です。本作に収録された楽曲は、彼自身の作曲によるものではなく、出身地エントレリオスなどパラナ川流域の先人や同胞たちによるもので、ここ数年彼が取り組んでいる重要な主題です。この地の雄大な自然と、そこに住まう人々の日々の情景を綴った素朴な輝きに溢れるものです。彼自身の楽曲に比べればとても質素ですが、土地に根差した豊かな情緒が感じられます。それらの楽曲を、優しい歌声と、水の音や水の流れ、そして川面の煌めきを思わせる彼の端正で現代的なピアノで描き上げています。
彼自身がライナーノーツで記しているように、「ここには田舎の環境に由来する表現と、都会で生まれた表現が共存して」います。彼の諸作の中では地味な作品ではありますが、聴くほどに本作の放つ、淡い光のような音像に心奪われるのです。穏やかな日曜日にぜひ聴いてみてください。
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