山形新聞「日曜随想」 2020年4月19日
2009年4月、10年以上たった今でもしばしば思い出す、とても印象深い公演がありました。それはブラジルはミナスジェライス州の州都ベロオリゾンテ出身の夫婦デュオ、ヘナート・モタとパトリシア・ロバートの公演でした。会場は残念ながら現在は営業をしていない山寺風雅の国「馳走舎」で、この二人にとって初めての日本でのツアーであり、その初日が山形市だったのです。緊張を隠せなかった二人でしたが、ステージのバックはガラス張りで、ライトアップされた満開の桜と、山寺の幻想的な景色を背にした演奏は、この上なく美しいものでした。今回紹介する一枚は、彼ら二人による「プラーノス」という作品です。
ミナスジェライス州は、サンパウロ州やリオデジャネイロ州の北に接する広大な州で、海のない内陸部に位置します。それ故に、山形市を訪れたミナス出身の音楽家は、その風景にどこかミナスを重ね合わせるようです。ミナスジェライスとは「鉱物全般」という意味で、古くから金やダイヤモンドなど鉱物の産地として名高く、ゴールドラッシュを機に多くの人々が入植した地域です。現在はブラジルで2番目に人口の多い州であり、風光明媚な景観には多くの観光スポットがあります。そういえば日本の住宅事情では決してあり得ないことですが、彼らの自宅の敷地内には、なんと滝があるのだそうです。
ミナスの人間は日本人以上に内気で静かだといいます。しかし彼らは節度を保ちながらもとても気さくで、知的でありながらサービス精神も旺盛でした。前夜の歓迎会にも、当日の打ち上げにもギターを持参し、惜しみなく演奏を披露してくれました。本番前には山寺に登り、その途中の「せみ塚」でも観光客を前に演奏を始めてしまったほどです。また彼らは今まで山形に来た南米のアーティストのなかで、最も日本の文化や食事に興味を示してくれました。精進料理も、寿司も、蕎麦も、とても興味を持って食べていただきました。彼らはその後10年にも山形公演を行っています。
ヘナート・モタは1963年生まれ。幼少時から歌を歌っていて9歳でギターを弾き始めました。作曲家として、そして歌手としてさまざまな賞を獲得し、92年に自身のデビューアルバムを発表。トニーニョ・オルタなど地元の著名なアーティストが参加しました。ミナスの音楽は、伝統的な土着の音楽、入植者たちがもたらした教会音楽、欧米のジャズやロック、クラシックなどの影響を受けた、ブラジルのなかでも特異な存在です。そして街角クラブと呼ばれるミナス独特のサウンドも生まれた地です。ヘナートの豊かな情緒を宿した旋律や美しい和音も、そんなミナスの土壌で育まれたものなのです。
99年の作品からは、妻でありクラシックのボイストレーニングを受けていたパトリシア・ロバートとの双頭名義の作品を発表しています。文学への造詣も深く、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの詩に曲をつけた作品を今まで2作品、ブラジルを代表する作家ジョアン・ギマランエス・ホーザに捧げたアルバムもリリースしています。さらに近年は音楽以外にヨガに専心しており、マントラに曲を付したアルバムも複数発表しています。
2005年にリリースされた本作「プラーノス」は、ボサノバの神様、故ジョアン・ジルベルトの1973年の名盤「三月の水」を着想の源とし、洗練されたブラジル音楽の原点を意識したものだといいます。共作もありますが全曲ヘナートの作曲で、ボサノバを基調とし、ギターと二人の歌とわずかなパーカッションのみで、簡素な美しさを追求した作品です。甘美な楽曲に、二人の寄り添うような美しい歌声が、穏やかな日曜日にとても相応しいアルバムだと思います。ぜひ聴いてみてください。
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