僕の好きなアジア映画111: ヘマヘマ:待っている時に歌を
『ヘマヘマ:待っている時に歌を』
2016年/ブータン・香港/原題:HEMA HEMA: Sing me a song while i wait/95分
監督:ケンツェ・ノルブ
出演:ツェリン・ドルジ、サドン・ラモ、ティンレィ・ドルジ、トニー・レオン、ジョウ・シュン
この映画は、言葉を選ばずに言えば、かなり変な映画です。この物語は基本的に以下の状況下で展開されます。
各人が装着しているさまざまな異様な仮面と、ブータンの伝統音楽や舞踊などによる、謎の儀式を神秘的かつシュールに描いています。監督はブータン仏教界の高僧であり、国際的に知られている(僕は知らなかったけれど)ケンツェ・ノルブ監督。
タイトルの「HEMA HEMA」は、「昔々」という意味で、副題の「WHILE I WAIT」は、仏教の死と再生の間の時間、中有(バルド)のことだそうです。要するに死から転生するまでの「待っている間」のことらしいのですが、申し訳ありません。こういう概念、さっぱり分かりません。チベット仏教といわれても、無宗教・無教養の輩(僕です)にはなんのことやら。
まあそれは置いといて(置いとくしかないのですが)、自分が誰であるかを相手に判らないようにすることは、行動の自由性を担保するものですが、逆にその秘匿性によって、欲望が解禁されて通常の状態ではとらない行動をとってしまう、というのが本作のポイントの一つのように思います。この儀式的な世界においてもルールを破ると極刑が下されるのですが、主人公はそれを犯してしまいます。匿名性を持った場合の人間の心理、自由に見えるコミュニティの危うさ、といったものが描かれています。
さてここまで来て僕はふと思い当た離ました。匿名性故に、通常の行動規範を間違えてしまう、あるいは意識的に実名ではできない極端な行動をとってしまうっていうこと。それは我々の日常にも、というか今や誰もがそこから抜け出すことができないネットの世界では当たり前のように起こっています。匿名性の高いSNSはもちろん、実名であっても実際に対面したことのない他者との交わりは匿名と大きく隔たりがないのです。それ故必要以上に相手を傷つける有形無形の暴力が、僕らの日常にもごく身近に存在するのです。果たして監督が意図したことが現代社会のこのような危うさに対する警鐘なのかどうかは分かりませんが、我々もこの儀式に準えるようなインターネットという、危険性を孕んだ世界に出入りしているということを自覚させられるのです。見事な映像美と神話的な世界観は、シュールではあってもとても魅力的な寓話だと思います。
さてこの映画のキャストにトニー・レオンの名前があって、仮面をしているのにどこに出てくるのだと疑念をだいておりましたが、出ましたね。主人公を追い詰め弓矢を放つ男がなぜか仮面を外す場面です。豪華な使い方というか、もったいないというべきか。カッコ良いけど。
第41回トロント国際映画祭プラットホーム部門名誉賞