偏愛音楽。 その5:カタルーニャの音楽。
カタルーニャの音楽、といっても僕は伝統的なその地の音楽に魅入られたというわけではなく、きっかけは一本の動画でした。
1人の若い女性が居酒屋で、父と思しき男性のギターに合わせて歌を歌い出します。周囲の男たちはカードゲームやおしゃべりに熱中していて、初めは彼女の歌に耳を傾けるものはほとんどいません。しかし歌が進むにつれ、やや驚きに似た表情で彼女の歌声に注目しはじめ、徐々にその歌に魅了されていきます。最後の慎ましい聴衆の拍手の中に、確かに彼女の存在が認められたことが窺われます。さりげなく感動的なこの動画の主人公こそ、現在のカタルーニャ音楽を代表する才能、Silvia Pérez Cruzであり、あっという間に彼女に魅入られた僕が、カタルーニャの音楽にも興味を持つきっかけでした。
ちなみにその後当時まだ紙媒体であった月間ラティーナ誌において恐らく日本ではじめて(2016年)彼女のインタビューを担当させていただき、その2年後の初来日時も同インタビューを担当させていただく幸運に恵まれました。面白くないかもしれませんが機会があればご覧ください(リンク先の一番下に記事があります)。
ちなみにカタルーニャ(カタルーニャ語でCatalunya、スペイン語ではCataluña)は、スペイン北東部に位置する自治州で、独自の文化、言語、歴史を持っています。首都はあのバルセロナ(Barcelona)。近年はスペインからの独立運動が活発化し、2017年には独立を問う住民投票が行われましたが、スペイン政府はこれを違法としています。
さて以来さまざまなカタルーニャの音楽を聴いてきましたが、ここではその中から僕が偏愛する歌い手を中心に10作品を選びました。カタルーニャの伝統に強く根差したものよりは、伝統を維持しながら幅広い音楽性のものが中心です。あまり多くのディスクを紹介しても聴く気にならないと思うので、今回も10枚だけに絞り、各々に簡単なコメントを付しました。
*現在までの「偏愛音楽。」はこちらでご覧いただけます。
Andrea Motis - Do Outro Lado Do Azul
Andrea Motisは、バルセロナ出身のジャズ歌手であり、トランペット奏者。サン・アンドレウ・ジャズ・バンドにも参加しています。彼女の音楽はカタルーニャの伝統音楽というわけではなく、ジャズ中心としてボサノヴァなどのブラジル音楽と融合していることで知られています。彼女の歌声はとてもしなやかで感情表現が豊かであり、またトランペットの演奏も一貫して高い技術と表現力を持っています。
Carolina Alabau & Èlia Bastida - Meraki
Carolina Alabauはシンガー・ソングライター、Èlia Bastidaはヴァイオリニスタ。このアルバムにはジャズ、クラシック、フォーク、フラメンコなど、様々な音楽スタイルが取り入れられており、彼女たちの豊かな音楽的バックグラウンドが感じられます。アルバムのタイトル「Meraki」は、ギリシャ語で「心を込めて」「魂を込めて」といった意味で、彼女たちの深い情熱と創造性が表現されています。
Clara Peya - Estómac
Clara Peyaはカタルーニャのピアニストでシンガー・ソングライター。ジャケットは男性みたいですけれど、女性です。彼女の音楽は「カタルーニャ」という地域色をそれほど感じさせません。よりユニバーサルな、洗練されたスタイルです。哀愁の漂う内省的な、しかしながらドラマチックな楽曲に、Magali Sareのフェミニンな歌をフューチャーして、夢の中のような切ない空間を創り上げています。
Ferran Palau - Kevin
Ferran Palauはカタルーニャ生まれのシンガー・ソングライター。とても穏やかで力の抜けた、しかしメランコリックな世界観は、彼だけの独特の磁場だと感じます。もしかすると失礼かもしれないのですが、彼の音楽は目一杯集中して聴くのではなくて、緩やかな日差しを浴びながら、少し微睡の中で聴いていたいのです。そんな音楽があっても良いと思うし、そういう聴き方が許されても良いのかなと思います。
Gemma Humet - Si canto enrere
Gemma Humetはカタルーニャ出身の女性シンガー・ソングライター。カタルーニャ音楽がベースにあるのはその歌唱法からも推察出来るけれど、その音楽性はもっともっと幅広いものです。メランコリックな旋律と、可憐で暖かい歌声はカタルーニャの陽光を感じさせます。伝統的なカタルーニャ音楽と現代的なポップやフォークの要素を融合させたスタイルで、時折ジャズやクラシックの影響も感じられ、その多様性が聴く者を魅了します。
Judit Neddermann - Aire
カタルーニャのシンガー・ソングライター、Judit Neddermannの2021年のアルバム。ギターのカッティングが気持ち良い1曲目のから、心地よい曲が並んでいます。彼女の歌や音楽性は、現代的なポップやジャズの影響が感じられ、カタルーニャのの伝統的な響きを強く感じさせるものではありません。ユニバーサルな音楽性だとは思うけれど、陽光を浴びるようにこの音楽の空気感がカタルーニャなのだと思います。
Meritxell Neddermann - In The Backyard of The Castle
Meritxell Neddermannは、なんとJUDIT NEDDERMANNの妹。カタルーニャはいま素晴らしい才能を輩出しているけれど彼女はまた方向性が違うけれど頭抜けた才能です。デビュー作にしてこの完成度の高い楽曲は、すでにエバーグリーンになり得るレベルです。音楽的にカタルーニャ色はほとんどありませんが、サウンドはしっかり同時代性を担保しつつ、ユニバーサルなシンガー・ソングライターとして驚くべきアルバムです。
Rita Payés - Imagina
歌とトロンボーンのRita Payesと、クラシック・ギター奏者Elisabeth Romaの、親子によるアルバムです。Antonio Carlos Jobim、Chico Buarque、Pixinguinha、そしてGuingaなどのブラジルの名曲、アルゼンチン・フォルクローレ、カタルーニャの伝統曲などを収録。この作品は「Ritaが母への誕生日プレゼントとして2日間のスタジオセッションを予約した時から始まった」そうです。親子の寄り添う様に親密な掛け合い。
Sílvia Pérez Cruz - 11 De Novembre
本作は、僕がカタルーニャの音楽に興味を持つきっかけでもあるSílvia Pérez Cruzによる2012年のアルバムです。このアルバムは、彼女の父親の死去を受けて制作されたもので、タイトルは彼の命日とのこと。アルバム全体を通じて、深い感情と詩的な表現が込められています。フラメンコ、ジャズ、フォーク、クラシックなどの要素が巧みに融合され、彼女の独特の音楽スタイルが確立されています。そしてなんといっても彼女の鮮烈な歌声は、聴くものの魂を強く揺さぶるものです。
Toti Soler - Fill de la fortuna
Toti Solerは、カタルーニャ地方出身のギタリスト/作曲家/歌手で、フラメンコ、ジャズ、フォークなどの多様な音楽を取り入れた独自のスタイルで知られています。フラメンコのリズムと情感、ジャズの即興性、フォークの素朴さなどが混然と一体化したユニークなスタイルです。ギターの演奏は非常に洗練されており、卓越したテクニックと音楽的表現力がアルバム全体にわたって感じられます。