山形新聞「日曜随想」 2020年10月11日
南米は地球の裏側です。われわれも1度だけブラジルを訪れたことがありますが、それはもううんざりするほど遠いのです。しかしほぼ20年間にわたって南米からアーティストを招聘していると、その遠距離を厭わずに何度も日本を、そして山形を訪れてくれる演奏家もいます。われわれの主催した公演の過去の記録を振り返ってみたところ、一番数多く山形に来てくれたのは、アルゼンチンを代表するギタリストで作曲家のキケ・シネシで、なんと昨年の12月の公演は通算5回目の来県でした。
キケ・シネシの名前を殊更に日本の音楽ファンが意識することになったきっかけは、2000年にリリースされたカルロス・アギーレ・グルーポの、通称「クレマ」というアルバムへの参加でした。この作品の冒頭を飾る名曲「永遠の三つの願い」は、フォルクローレとコンテンポラリー・ミュージックが融合した記念碑的な名曲です。この曲でのキケの、風のように瑞々しい、美しいギターの演奏によって、彼の名前は現代フォルクローレを愛するものにとって忘れ難いものとなったのです。
キケ・シネシは1960年、ブエノスアイレスに生まれました。現代のアルゼンチンにおける最重要ギタリストであり、作曲家でもあります。7弦アコースティックギターを中心に、ピッコロギター、チャランゴ、ロンロコなど、さまざまな弦楽器を曲ごとに弾きこなし、類い稀な技術と繊細な表現で、多くの人を魅了してきました。
10代ですでにプロとしての活動を始め、20代で世界的バンドネオン奏者ディノ・サルーシのバンドメンバーになります。その後もジャズ界の巨匠チャーリー・マリアーノ、アストル・ピアソラ楽団の黄金期を支えたピアニストのパブロ・シーグレル、そしてペドロ・アスナール、シルビア・イリオンド、カルロス・アギーレなどのアルゼンチンを代表するアーティスト、さらには日本を代表するケーナ奏者岩川光など、世界中の名だたる音楽家と共演し、多くの録音を残してきました。またソリストとしてもさまざまな国際的音楽フェスティバルなどに出演し、確固たる地位を築き上げています。タンゴ、フォルクローレといったアルゼンチンのリズムだけにとどまらず、即興、ジャズ、ワールドまで幅広く手がけ、アルゼンチン国内はもとより世界中にファンを持つ音楽家です。
今回紹介するのは、そのキケ・シネシが2014年にリリースした「シエテ・スエニョス(七つの夢)/ファミリア」という2枚組のアルバムです。このうち2枚目の「ファミリア」は自身の家族への思いを表現したもの。そして1枚目の「シエテ・スエニョス」は、キケが初来日を果たした12年にカルロス・アギーレと巡った日本の7都市(姫路、名古屋、山形、東京、岡山、福岡、京都)に捧げられたもので、その地の風景やそこで出会った人々、そこでおきた出来事や心の動きにインスピレーションを得て作曲されたものです。
彼にとって初めての日本ツアーは、日本人の音楽への深い愛情や繊細な感性を発見し、それに共鳴した、非常に印象深いものであったようです。それ故に以降19年までの7年間に5回もの来日を果たすことになったのでしょう。彼はアルゼンチンに帰ってから「私はそのツアーから触発され得た感情を、音楽で表現すべきだという気持ちに駆られた」と言っており、それがこのアルバムなのです。
本作にはもちろん、山形をモチーフにした曲(3曲目の「エル・アウラ・デ・ラ・モンターニャ(山のオーラ)」)も収録されています。キケは、日々の生活や人生、特に日常とは違った体験ができる「旅」から作曲の発想を得ることが多いそうですが、彼の目にわが山形は一体どう映ったのでしょう。その答えはこの曲を聴いていただければ自明ではないでしょうか。穏やかな日曜日にぜひ聴いてみてください。