山形新聞「日曜随想」 2020年9月5日
海外からアーティストを迎えるにあたって常に頭を悩ませるのは「食」の問題です。私自身が旅の楽しみは食だと思っているので、ついつい重要と考えすぎてしまう部分もあるかもしれません。しかし「山形といえばこれ」的なものではあまりにありきたりなので、できれば山形の食材を使って独創的な食事を、大袈裟に言えば山形の今の食文化を体験していただきたいと思うのです。しかし相手があることなので、それは必ずしも容易ではありません。
最近の南米のアーティストは、ベジタリアンが増えています。それも徹底的なベジタリアンもいれば魚や乳製品は大丈夫という基準の緩い方もいて、各々がどの程度制限しているかを事前に知っておかなければなりません。さらにアルコールを飲まない方も増えていて、飲食については日本人以上に「健康志向」です。もちろん例外もありますが、大雑把に言えばアルゼンチンのアーティストの方が食に対して柔軟で、日本の食事に対しても好奇心があるように思われ、ブラジルのアーティストはそれほど日本食に興味を示さない場合も多い、という感じです。いずれにしろ来県するアーティストの食事の嗜好については、前もってリサーチしておくことが必須です。
昨年の9月、ブラジルを代表するギタリスト/作曲家/歌手のトニーニョ・オルタが、初の山形公演を行いました。すでに30回余り日本を訪れ、日本のブラジル音楽界でも極めて人気の高いトニーニョですが、今まで地方での公演はほとんどありませんでした。彼の食事の好みについても確認したところ、あまり日本食には興味がなく、肉さえ出しておけばいい、ということでした。それを受けて山形公演前日、拙宅での食事会ではお肉を中心にした山形フレンチのお弁当を準備しました。その蓋を開けた途端、トニーニョは「海老は嫌いだ!」と言って蓋を閉じてしまいました。「肉が好き」という情報はあったものの、なんと「嫌いなもの」のリサーチができていなかったのです。
トニーニョ・オルタは、ブラジル南東部の内陸にあるミナスジェライス州の州都ベロオリゾンテに1948年、生を受けました。幼少の頃から独学でギターを習得し10代でミルトン・ナシメントに出会います。そしてミルトンを中心とした音楽集団「クールビ・ダ・エスキーナ(街角クラブ)」に参加。ハービー・ハンコックやウェイン・ショーターなど世界的ジャズミュージシャンとも共演を果たします。またパット・メセニーやジョージ・ベンソンなどにも影響を与えた、ともいわれています。
ミナスの音楽、殊にトニーニョの音楽は、しばしば「浮遊感」ということばで表現されます。日本人の感覚からは全く想像しがたい旋律の展開、繰り返される転調と複雑なハーモニー、空を駆けるような、柔らかい色彩感のギターのトーン、壮大でいて透明感を感じさせる音楽性が、重力から解き放されたような「浮遊感」をもたらします。故トム・ジョビンは「トニーニョ・オルタはハーモニーの王だ」と述べています。このようなサウンドクリエーションが、彼をして「ミナス・サウンド創世の立役者」と言わしめる所以です。歌はお世辞にも上手いとはいえないのですが、その巨体から発せられる歌声は、穏やかでいて大地の力強さを感じさせます。
さて今回取り上げるのは、1995年にリリースされたトニーニョ・オルタの「デュランゴ・キッド2」というアルバムです。ガットギターでの全編弾き語りの作品で、自身の名曲が数多く収録されています。ちなみにこの作品は93年の「デュランゴ・キッド」の続編ですが、選曲の好みから「2」を推します。彼の実に独創的な旋律とハーモニー、卓越したギターの技術を、シンプルな形で楽しむことができる作品です。穏やかな日曜日にゆったりと聴いてみてください。
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