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山形新聞「日曜随想」2020年2月9日

 昨年4月、現在のブラジル音楽において最も重要な作曲家でギタリストのギンガが、ファン待望の初来日を果たしました。ツアー初日は光栄にも山形市で、われわれが主催を担当させていただきました。本公演には西は広島県から北は北海道まで、各地から多くのファンが集結し、彼の人気の高さに改めて驚かされました。今回紹介するのはそのギンガの「ホエンドピーニョ」という作品です。


 「ギンガ」ことカルロス・アルチエール・ヂ・ソウザ・レモス・エスコバールは1950年にリオデジャネイロの郊外で生まれました。「ギンガ」は、グリンゴ(外国人)が訛ったもので、幼い頃の肌の白さからそう呼ばれたそうです。経済的には貧しかったようですが、クラシックを中心に音楽的には豊かな家庭で成長しました。彼が初めて手に入れた楽器がギターで、16歳になると作曲を始め、ギタリストとしてさまざまなアーティストのサポートもするようになります。そしてエリス・レジーナなど、ブラジルを代表する著名な音楽家にも曲を取り上げられます。


 しかしミュージシャンだけで生計をたてることはまだ困難でした。ブラジル音楽を題材にしたミカ・カウリスマキ監督のドキュメンタリー映画「ザ・サウンド・オブ・リオ」に出演したギンガは、音楽を続けるために副業として歯科医を営んでいたことを述懐しています。彼が自身のアルバムを初めてリリースできたのは1991年、40歳を超えてからでした。


 ギンガの作る楽曲は、非常に個性的です。旋律は常人の想像を裏切る「奇妙」ともいうべき展開であり、コード進行も極めてユニークなものです。しかしそれがいったん奏でられると、なんとも摩訶不思議で無上に美しい世界が広がります。ギンガの音楽は難解である、という先入観を持つ人は多かったのですが、彼の公演はそんな懸念を、音が鳴りだしたその刹那から覆してくれました。会場全体が即座に彼の魔法の虜になってしまったのです。


 ギタリストとしてのギンガは決して派手ではありませんが、複雑な和音を正確に弾きこなす技量はまさに「職人芸」です。そんな彼が最近使っているのは、日本のギター製作者、山梨県在住の越前良平さんによるものです。山形公演の前夜、拙宅で歓迎の宴を催しました。今回の日本公演では越前さんの新しいギターを使うことになっていて、その日がその楽器を初めて手にする日でもあり、わが家を訪れたギンガの頭の中はギターのことで占められていました。この日のために準備した料理にはほとんど興味を示さず、ずっと越前さんとギターの調整をしていました。その後ホテルにギターを持ち帰った彼は、新しいギターを自分の楽器として鳴らすことに没頭し、その夜はほぼ徹夜であったようです。


 あるインタビューで彼はこのように述べています。「僕はなんでも過度にやり過ぎてしまうところはあるのだけど、完璧主義というのは、自らの限界を乗り越えるための唯一の方法だと思っている」と。日本公演の初日の前日にすら、彼はその完璧主義を貫いたのです。さすがに公演終了後はひどくお疲れの様子でしたが。


 さてアルバム「ホエンドピーニョ」は、2014年にリリースされた、彼の長いキャリアの中でも初めての完全なソロアルバムで、それ故ギンガの音楽が凝縮されています。「ホエンドピーニョ」とは、かじる(ホエンド)と松の木(ピーニョ)による造語であり、松の木を使ったギターで自己の創作を追求する彼の姿を比喩したものです。そして本作の大部分で使われているギターは、越前さんが松の木で製作したもの。すなわち本作は越前さんに捧げられたアルバムでもあるのです。穏やかな日曜日にぜひ聴いてみてください。

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