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偏愛音楽。 メロウが好き。

偏愛音楽12回目は最近の「メロウな音楽」を取り上げました。

ところで「メロウ」とは何かご存知でしょうか。言葉の意味としては以下の通りでです。

「メロウ」という言葉にはいくつかの意味がありますが、一般的には以下のように使われます。
音楽や雰囲気: 穏やかで心地よい、または柔らかい雰囲気を指すことが多いです。特に、音楽やアートの文脈で使われることがあります。
色彩: 柔らかい色合いやトーンを表現する際にも用いられます。
感情: 穏やかで心地よい感情や気分を示すことがあります。
具体的な文脈によってニュアンスが変わることがありますが、一般的には心地よさや穏やかさを感じさせる言葉です。

そのほかにも「まろやかであること」や「熟れること」などの意味もあります。であるからして、一般的に「メロウな音楽」といえば、「穏やかで心地よい、まろやかなで成熟した」音楽という意味ではあります。しかしそれに加えてある種の洗練も「音楽的なメロウ」には必須である様に思います。

僕は根性がないので、音楽を聴くにあたって努力をして対峙するなんてことは、修行じゃないんだから昔からあまり好きではありません。それは年を経てさらにそういう傾向にあります。だから心地よい「メロウな音楽」には昔からお世話になっているわけですが、最近もそういう音楽には目がありません。

ということで、今回は最近のアルバムから穏やかで心地よい、メロウなアルバムを選びました。ただし断っておきますが、あくまでも僕にとってメロウなものであって。必ずしも万人がそう思うかどうかは別です。その点はどうかご承知ください。あまりたくさんのディスクを紹介しても聴く気にならないと思うので、今回も10枚だけに絞り、各々に簡単なコメントを付しました。気がつくとすべて男性アーティストのアルバムでした。これはあくまで結果ですが、僕にとって「メロウ」な音楽は主にそうなのかも。

*ちなみにこれまでの「偏愛音楽。」はこちらにマガジンとしてまとめています。




Bruno Major - Columbo

最初はピンと来なかったのだけど、僕自身Bruno Majorは好きなので、以前の作品は紹介していたし、本作もリリース後早々に聴いてはいたのだ。しかしなんか甘ったるすぎるってその時は感じてしまって、そのままもう一度聴くことがなかった。でもそういえば、って思い出して聴き直してみたところ、なんだよこれ傑作じゃないか。Bruno Majorはロンドンで活動するシンガー・ソングライター。本作は彼の三枚目となるフル・アルバムだ。僕はそんなに注目されているとは知らなかったけれど、いつの間にか「ビリー・アイリッシュやBTSも賛辞を送る人気シンガー・ソングライター」なっていたらしい(知ってました?)。今までのアルバムより全体的な空気感がノスタルジックで、フォーク〜ロック寄りに感じるけれど、少し鼻にかかった甘いハイトーンと、優しくメランコリックな曲想は変わらずインティメイトで、もはやエバーグリーンのレベルと言って良い。シンプルで洗練されたサウンドもこの音楽には相応しい。年寄りの悲しい性なのかもしれないが、僕はこういう優しい音楽を聴くと、「まだまだ頑張れるよ」って励まされているように感じるのです。


Daniel Caesar - NEVER ENOUGH

ゴスペルシンガーの家庭に育ち、グラミー賞受賞歴も持つトロント出身のシンガー・ソングライター/プロデューサー、Daniel Caesarの通算3枚目のアルバムです。コロナによるパンデミックで自己隔離期間中に制作に着手していたという、パーソナルなアルバムと言えます。それ故か基本的にはコンテンポラリー〜オルタナR&Bの路線だと思うけれど、本作は内省的なが多く、ムーディーで緩やかで甘〜〜い表現も多いようです。サウンドはミニマルでメロウで時に幻想的で、極めて洗練されたものです。そして最も基本的なことですが彼の歌が素晴らしい。この甘く切ないハイトーンを心地よく感じないものはいるでしょうか。


Diego Lorenzini - Palabritas y Palabrotas

Diego Lorenziniは、チリのシンガー・ソングライター/プロデューサーで、さらにイラストレーターでもあるのだそうです。加えて“Los VariosArtistas”、“Tus Amigos Nuevos”というバンドのメンバーとしても活動しているとのこと。多才な方ですね。本作はソロ名義としては4作目とのことですが、これが実に面白いのです。アコースティックな楽器にエレクトロニカやプログラミングを加え、洗練されたサウンドでもあるのですが、フォルクローレ的な微妙な「いなたさ」が、独特のチャーミングな風合いを生み出しています。曲はほとんどがDiego Lorenziniのオリジナル。その温かく哀愁溢れるメロディーと、優しくてちょっと惚けたハイトーンで独自の空気感を創り上げています。これはもっともっと注目されてよいアルバムです。


Eddie Chacon - Sundown

Eddie Chaconは1963年カリフォルニア州オークランド生まれ)。1990年台に活躍したソウルデュオ、"Charles & Eddie"の片割れで、その後長年音楽業界から離れて、近年はファッションフォトグラファー、そしてクリエイティブディレクターとして活躍していたそうです。それが2020年に突如カムバックしたのだそう。あ、知らないのは僕だけですか?僕のように徒らに齢を重ねる者もいれば、このEddie Chaconのようにこの年齢で、素晴らしい創造を成し遂げる者もまたいるわけで、この深みのある歌声はそんな容易に到達できる代物ではない。さまざまな重みを背負っての今が在ればこその歌声だと思います。本作は復帰後2作目。John Carroll Kirbyをプロデュースに、Logan Hone(Fl., Sax.)、Elizabeth Lea(Tb.)、Will Logan(Dr.)、David Leach(Perc.)らによる洗練されたサウンドが少し霞がかかったようにスウィートで、Eddie Chaconの激渋の歌声と過不足無くフィットしています。初老の星です。


Giorgio Tuma - We Love Gilberto EP

本作はイタリアのシンガー・ソングライター、Giorgio Tumaの4曲収録のEPです。Giorgio Tumaは僕もその動静をフォローしていましたが、本作はノーマークでした。前作"This Life Denied Me Your Love"の後から、Giorgio Tumaは友人のギタリスト、Alberto Zacàと"WE LOVE GILBERTO"という、タイトルから想像がつく通りBossa Novaにオマージュしたバンドを結成。ヴォーカルにClarissa RusticoとGaia Rolloという2人の女性シンガーを起用していますが、この2人の歌声が柔らかくて切なくて。全4曲が軽快なSamba〜Bossa Novaで、これが極上の気持ちよさ。ブラジル人とはちょっと感触の違うGiorgio Tumaによる旋律が実に切なく甘いのです。


Jonah Yano - portrait of a dog

なんて優しい、なんて柔らかい歌声なんだろうって、そう感じたのが彼の音楽をを聴いた第一印象です。Jonah Yanoは広島に生まれ、幼少のころにバンクーバーへ移住、その後トロントをベースに(モントリオールとの記載もあり、どちらが正しいのか?)活動している日系人シンガー・ソングライター で、本作は2ndアルバムです。全曲にわたってトロントの3ピースのインスト・バンドであるBADBADNOTGOODがアレンジ、パフォーマンス、プロデュ―スを担当しています。彼らの作り出すジャジーでフォーキーで、時にソウルフルでタイトな音像と、Jonah Yanoのハイ・トーンの歌が気持ちよく溶け合っています。共作も含めてほとんどがオリジナルの楽曲も、親しみやすくかつメランコリック。こんな心地よい音を作っているのが日系人というのは、人種的偏見なんてことは抜きにして率直に嬉しいことではありませんか。


Kingo Halla - Empty Hands

Kingo Hallaはニューヨーク生まれの日系アメリカ人。現在はトロントを拠点としているシンガー・ソングライター/プロデューサー/multi-instrumentalistです。Henry Nozukaが本名?らしい。歌が素晴らしい。ソウルフルでいて柔らかく儚いハイトーンの繊細な美しさ。そしてスウィートで切な〜〜い旋律は、共作もありますが全てオリジナル。そしてヴィンテージ楽器/アナログ機器/テープマシンに造詣が深いという彼の作り出すサウンドは、温かく柔らかなヴィンテージ感に溢れています。基本的にソウル/R&Bなのですが、微睡の中にあるような、この上ない心地よさをもたらしてくれます。この音楽を創造したのが日系のアメリカ人というのも嬉しいですね。


Leonardo Marques - Flea Market Music

コロナ禍の影響で、Leonardo Marquesの日本ツアー、そして山形公演が中止になったのは2020年の3月のことでした。本作は自身のスタジオ「イーリャ・ド・コルヴォ」で録音された、ヴィンテージ機材によるノスタルジーをくすぐるローファイ・サウンド。少し気怠くスィートなLeonardoの歌声と、耳に残る優しく親密な色合いの旋律。タイトルの通りフリー・マーケットのように、記憶の棚の中に陳列されているさまざまな物や感情や事象を厭かずに眺めている、そんな幸福感を与えてくれます。彼の音楽の夢の中にいるような極上の心地よさは、さらにその純度を深めていて、これは掛け値なしに、期待を凌駕する、ブラジリアン・ドリーム・ポップの大傑作です。果たして幻となってしまった彼の山形公演が実現する日は来るのでしょうか。


QINHONES - Centelha

Qinhonesってだれ?って思っていたのですが、そうかQinhoが改名したのですか。知らなかった。ポルトガル語を解しない僕にはもちろん分からないのですが、本作はかなり社会的なメッセージが強いのだそうです。まあしかしメッセージはわからなくともこの音楽の素晴らしさはわかるので、それはそれで良いのだと思います。もちろんメッセージが理解できればもっと良いのですけれど。プロデューサーにAlberto Cntinentinoを迎えた本作、クラビネット、ウーリッツアー、そしてシンセやホーンセクションを絡めて、ダンサブルなディスコナンバーもあり、時にファンキーにソウルフルに、時にジャジーに洗練を極めたメロウなサウンドが超弩級の格好良さ。そして甘くジェントルで端正なQinhonesの歌声に、スイートなコーラスが絡んで極上の気持ち良さに。ヘビロテ確実の素晴らしいアルバムです!


Theo Bial - Vertigem

Theo Bialはリオ在住のシンガー・ソングライター。彼の音楽はリオデジャネイロらしい音楽、と言っていいんじゃないでしょうか。弦や管を交えた、柔らかい陽光を感じさせるボサノヴァ〜サンバを踏襲したサウンドに、優しい女性コーラスを交えて、都会的に洗練された甘い旋律に、Theo Bialのちょっと朴訥な歌声。Tr.3"Azul"は父Pedro Bialとのデュオ。Tr.5はMoacyr Luzをゲストに、Tr.6はMart’nalia迎えたサンバ。そしてTr.9はCelso Fonsecaの"Meu Samba Torto".音の陰影と色彩感が、リオデジャネイロらしい粋を感じさせtれくれます。まあ新しい感覚の音楽というよりは、リオらしい夜の帳を彩る青い音楽、とでも言いましょうか。


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