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「をはらせ屋」 〜終活サポート水先案内事務所の優しい怪奇譚〜 1章 第2話(全13話)


第一章【case1.船木家の終活】 第2話

 
 ◇

 ――失敗した。
 そのことに気がついたのは、予定時刻の十分前、約束の事務所前――最寄駅より徒歩七分、雑居ビル三階の一角だ――にたどり着き、扉脇に取り付けられた案内看板を見た時だった。
【終活サポート&相談窓口・水先案内事務所】
 就活サポートではなかった。
 活サポートだった。
(マジか……)
 いや、ついさっきまでは縋れればもうなんでもいいような気分だったから、文面をちゃんとよく読んでいなかったというか。
 そもそもこの紙切れもキャリアセンターから取ってきたものだったから、完全なる思い込みで、当然のように『就活相談』の窓口だと思ってた。
(誰だよこんなまぎらわしい案内をキャリアセンターに置いたヤツ……)
 自分の確認不足を棚に上げ、今さら責任転嫁したところでどうにもならない。
 愕然としているうちに、いつの間にか約束の時間まであと五分を切っており、俺はさてどうしたものかと考える。
 確か案内には求人情報も併記されていたが、病んでいる今は『就活』ができるような気分ではない。かといって、もちろん『終活』ができる気分でもなかった。
 終わらせたいと願いながらも心が追いつかず、なにもかも終わらせられずに悩んでいるのが俺のわけで、その苦悩を相談できないというのなら、やはり予定はキャンセルした方が良いだろう。
(仕方ない……対面は気まずいから、電話で予約の取り消しを……)
「五時半からご予約の三瀬みつせ 幽利ゆうりさまですね?」
「うおびっくりした」
 携帯電話を探しながら踵を返そうとしたところ、俺のすぐ後ろ、目と鼻の先にコンシェルジュみたいな上品な格好をした女性が物静かに立っていたため、俺は心臓を口から飛び出す勢いで後退る。
「えっと、あの……」
 年齢は俺とたいして変わらないくらいだろうか。色白の肌に長いストレートの黒髪。セットアップの小洒落たパンツスーツに大きめのスカーフのリボン。端正な顔立ちだがにこりとも笑わず、どこか儚げな雰囲気を漂わせた絶世の美女だ。
 不意打ちに対する動揺と、あまりにもストライクゾーンのど真ん中すぎる彼女の容貌に、密かに胸の動悸が止まらず、またしても語彙を失う俺。
 言葉がまとまらずに閉口する俺を見て、彼女は落ち着いた声色で会話を引き取った。
「わたくしは水先案内事務所の終活プランナー兼相談員、水先みずさき 杏奈あんなと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
 小鳥が囀るようにそう囁いて、スッとお辞儀をするその女性。
 お辞儀の角度、速度、口調の滑らかさ。それはもう完璧なまでに洗練された振る舞いだったため、またしても俺は彼女に見惚れてしまったわけだが、いやしかし、やはり微塵も笑顔がなかった。怒っている、とかそういった印象ではなく、無表情。俺自身も大概無愛想で覇気のない方だが、それ以上に徹底されたポーカーフェイスぶりである気がしないでもなかった。
「えと、はい。その、自分が三瀬なんですが、実は……」
「お待ちしておりました三瀬さま。お話は中で伺いますのでこちらへどうぞ。お足元には充分お気をつけください」
「あ、ちょ」
 とにもかくにも『就活』と『終活』を間違えてここまできてしまったことを素直に話して、予約をキャンセルさせてもらおうと思ったのだが、女性は間髪入れずに案内を始め、スタスタと事務所の中へ入っていってしまった。
 まずい。完全に初手のタイミングを逃してしまった。
 俺は慌てて彼女の後を追いかけ、事務所の中に入る。
 内装はブラウンとブラックを基調とした、非常にシックな作りのこぢんまりとしたオフィスで、入ってすぐ、左側にトイレらしき扉、右側に給湯室。正面には三〜四名程度で過ごすのにちょうど良いくらいの執務空間があり、中央にすっきり整えられた所長机。その左側には空席。一方の右側にはごちゃごちゃと大量の書類が乗った机が一つずつの計三席がセッティングされていて、執務空間の右奥には金庫と思しき扉、左奥には応接室までもが見えた。
「こちらです」
 女性はその左奥の応接室手前に立ち、俺の到着を待っている。
 周囲を見渡していた俺は、誘われるがまま応接室に入り、ゆったりとしたソファへ腰をかける。
 相談員の水先さんが着席したら、勘違いであったことを素直に申告しようと身構えたのだが、彼女はほどなくして蓋付きの茶呑茶碗と茶托がのったトレーを持って中に入ってくると、「失礼します」と言い添えて、速やかに茶を提供。次の瞬間には机脇に備え付けられていた書類ケースの中から様々な案内資料が取り出され、ポカンとしているうちに、あっという間に机上に案内資料が並んでしまった。
(は、速い……)
 予約の電話をかけた時もそうだったが、驚くほど迅速かつ無駄のない動きで客を誘う水先さん。できる女のオーラが漂ってはいるものの、相変わらず笑顔はない。
 この人、一体何者なのだろう。
「あの……」
「本日はご来所いただき誠にありがとうございます。改めてご案内申し上げますと、弊社は『終活』に関するご相談を始め、生前整理・遺品整理サポートサービス、連絡代行サービス、葬儀・納骨サービス、行政手続き代行サービスなどといった各種お手伝いや、お客様のニーズに合わせ、様々なライフプランの提案も可能とする、民間の終活支援事業者にございます」
「あ、いえ、自分は……」
「差し当たりまして、三瀬様の『終活』に関する今一番のご要望を詳しくお伺いしたいのですが……」
「すみません。実は俺、終活の『終』と、就職活動の『就』の字を見間違えてしまって、『就職活動に関する悩み相談』のつもりで、ここへ来てしまったんです……!」
 案の定、川の流れのような速さで活の相談が始まりかけてしまったため、俺は慌てて話を遮った。
 きょとんとしたようにこちらを見る水先さん。
「……」
「ほ、本当にすみません……」
 シン、とする室内。気まずい顔をしていたのは俺だけで、やがて水先さんは納得したように頷き、素早い動きでサッと机上の資料を片付ける。そうしてから再び姿勢を整え、改まった口調で尋ねてきた。
「大変失礼いたしました。……では、就活――『職員採用の件』でのご相談、ということでお話を進めてよろしいでしょうか」
 そうくるか。
 全く動じることなく、〝終〟から〝就〟へ切り替える水先さん。
 確かに俺が見たチラシには求人採用についての簡単な案内も載っていたわけで、事務所側としては終活、就活、どちらの相談もOKだというスタンスなんだろうけれども、さすがにいきなり職員採用に向けての話が始まったところで、『終活』についての知識なんて微塵も持ち合わせていないし、そもそも自分が希望している業種とはかけ離れすぎている。
「あ、いえ。そういうわけでも……」
「遠慮はいりません。『職員採用の件』ということでしたら、ただいま事務の者を同席させますので、少々このままお待ちいただければ――」
「いやいやいや、あの、本当に、そういうわけでは」
 この人、何気に天然なんだろうか。
 親切心なんだろうけれども、やはり水先さんはどこかズレているようで、話が噛み合わないまま面談が進行しかけてしまって、なんとか食い止めなければと一人、いつになく焦りを募らせていると、
 ――ピンポン。
 ふいに俺たち二人の頭上に、小気味よい呼び出し音が鳴り響いた。
 
  


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