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オーストリア学派の理論経済学から明らかになるミレイ大統領の方法論的誤謬

オーストリア学派の理論経済学から明らかになるミレイ大統領の方法論的誤謬

蒲生襄二
上山祐幸

はじめに

本論文の目的は、ミレイ大統領の経済政策に内在する方法論的誤謬を明らかにし、オーストリア学派経済学の観点からその問題点を徹底的に論駁することである。ミレイ大統領は自由市場主義を標榜し、減税や政府の規模縮小を掲げているが、その政策の根幹には分析の欠如による総合の飛躍、均衡財政原則の軽視といった重大な誤りが含まれている。これらの誤謬は、オーストリア学派の方法論と矛盾しており、結果として自由市場と本来ならば相容れることのない政府介入が共存する不整合な政策へと帰結している。

本論では、まずオーストリア学派(特にミーゼス)の方法論を概説し、経済研究の基幹たる生産構造分析に必要な考えである「分析と総合」の正しい理解を示す。次に、ミレイ大統領の経済政策における具体的な誤謬を指摘し、それをオーストリア学派の視点から検討する。さらに、財政均衡の原則について詳述し、財政均衡の維持が自由市場経済にとって不可欠であることを明らかにする。そして、政策決定の現実的制約を踏まえ、ミレイ大統領の政策の矛盾点を整理し、最終的な結論を導き出す。

オーストリア学派経済学方法論の概観と「分析と総合」の正しい理解

オーストリア学派経済学方法論

オーストリア学派経済学の方法論、特にミーゼスの人間行為学的方法論は、以下のように特色付けられる。 

①方法論的二元論 (methodological dualism)

自然科学と社会科学(ミーゼスは人間行為科学という言葉を用いる)は、認識論的立場が、前者は法則的認識、後者は非法則的認識と異なるために明確に分画されるとする立場である。反対に、自然科学と社会科学は、認識論的立場が同じであり、統一することができるとする立場を方法論的一元論 (methodological monism)という。

②方法論的先天主義 (methodological  apriorism)

ミーゼスは、「人間は行為する」という公理から出発し、人間行為を分析した行為のカテゴリを演繹することにより、理論を導き出すとした。人間行為を究極まで分析することにより、行為のカテゴリが還元されるが、これは経験的知識に先立つ先天的知識である。よって、この立場は方法論的先天主義という。反対に、経験的知識から法則を導き出そうとする立場を方法論的経験主義 (methodological  empiricism)という。

③方法論的個人主義 (methodological  individualism)

ミーゼスの人間行為学は、「人間の行為」を取り扱う。全ての人間行為は個人によってなされ、社会的集団は個人の人間行為を離れて存在することはできない。従って、社会的集団を認識するためには、個人の人間の行為の分析から始める必要があり、集団は個人がその人間の行為にもたしめている意味を理解することにより初めて認識することができる。このような立場を方法論的個人主義という。反対に集団としての行動に焦点をあて、数量のような客観的基準から法則を見い出そうとする立場を方法論的集団主義 (methodological  collectivism)という。

④方法論的主観主義(methodological subjectivism)

知識や価値が、個人の主観に依存するとする立場を方法論的主観主義という。反対に集団から見出される数量のような客観的基準から法則を見い出し、それを知識や価値に置き換える立場を方法論的客観主義(methodological objectivism)という。ミーゼス自身は主観主義に対して「方法論的(methodological)という形容詞を当てていない。よって、主観主義(subjectivism)とするべきであるが、ミーゼスのニューヨーク時代の直弟子でありミーゼス研究の泰斗である村田稔雄教授は、『ミーゼス研究(二)』(※)において、ミーゼスが主観主義をもって自身の方法における特色の一つと考えていたとし、方法論的主観主義として、他の四つと並置することを提唱している。

本論では村田教授の所説に倣うが、ミーゼスが主観主義に方法論的という形容詞を冠さなかったのは、筆者の仮説としては、主観主義はカール・メンガーなどの先人たちから継承したものであり、語義を正確にして次代に継承するべく、そのままにした、という説を提唱したい。それを論証するものとして、ミーゼスのプラクセオロジーとカタラクティクスという用語を挙げたい。それぞれ、エスピーナとウェイトリーから継承したものである。一方で「流通手段」という用語を挙げたい。これは、ミーゼスの造語である。このように用語をめぐるミーゼスの対応の仕方に、仮説論証の根拠がある。

⑤方法論的単一主義(methodological singularism)

カール・メンガー以来のオーストリア学派経済学の方法を特色づけるものとして、方法論単一主義がある。経済事象を分析し、「個々の人間行為」(メンガー)または「行為のカテゴリ」(ミーゼス)に還元することを基本とするものである。反対に、経済事象を分析することなく、あくまでも全体、総合として捉えることを方法論的総合主義あるいは方法論的全体主義(methodological holism)という。

筆者はこれまで、オーストリア学派経済学の方法について、二元論、先天主義、個人主義、主観主義、単一主義と検討してきたが、これらの方法は相互に関係しており、一つとも欠くことはできないものである。一つでも欠けば、オーストリア学派経済学方法論として成立しない。これらの方法は、端的に述べれば経済研究の際に、正しい分析を行なえと要求している。経済学における正しい分析とは、まず経済現象を人間行為の前提となる先天的知識である行為のカテゴリにまで還元し、分析過程において生じた各要素を総合することによって、経済現象を再構築することである。よって、次節では分析と総合の検討に移ることにする。

経済研究の基幹たる生産構造分析

分析と総合の検討に入る前に、経済研究の根幹である生産構造分析について検討する必要がある。経済学の多様な流派において生産のフレームワークをどのように捉えているかについて検討することは、資源配分のメカニズム、市場の機能、技術革新の進展、経済成長のパターンなど、多くの経済現象を理解する上で極めて重要であるからである。

本節では、生産構造分析の諸様式を概観するため、代表的な理論的枠組みを比較・検討する。特に、古典派・新古典派、マルクス経済学、ケインズ経済学の視点を中心に論じ、各分析方法の特徴と限界について考察する。

古典派および新古典派の生産構造分析

古典派経済学において生産構造は主に「生産要素」の視点から分析された。アダム・スミスやデヴィッド・リカードは、生産要素を土地、労働、資本の三要素に分類し、それぞれの収益として地代、賃金、利潤が生じると考えた。リカードは特に「比較優位」の概念を導入し、異なる国や産業の生産構造を説明しようとした。さらに、リカード派の経済学では、限界生産力説が発展し、賃金や利潤の分配が生産性の変化に応じて決まるとされた。

一方、新古典派経済学においては、生産構造は主として「生産関数」によって記述される。コブ=ダグラス型の生産関数は、その代表的な形式の一つであり、労働と資本の投入量と生産量の関係を数学的に表現する。この枠組みでは、技術進歩が生産性向上の鍵とされ、特にソロー成長モデルにおいて「外生的技術進歩」が生産の長期的変動を決定する要因として重視された。しかし、新古典派の分析は市場均衡を前提とするため、動的な技術変化や制度的要因の影響を十分に説明できるわけではない。


マルクス経済学における生産構造分析

カール・マルクスは、生産構造を「生産手段と労働力の結合関係」として捉えた。彼の分析では、資本主義の生産構造は「資本家階級」と「労働者階級」の対立を基礎とし、剰余価値の搾取が経済の基本的なメカニズムとされる。マルクス経済学では、生産手段を所有する資本家が賃金労働者を雇用し、労働者の労働力から生じる価値の一部(剰余価値)を資本家が獲得する。この分析は、生産関係が社会的な権力構造と結びついていることを強調する点で新古典派の個別的・技術的な分析とは異なる特徴を持つ。

また、マルクスは資本の蓄積過程と技術の発展が、最終的に「資本の有機的構成の高度化」をもたらし、労働力の需要を相対的に縮小させると論じた。これは「労働力の相対的過剰」や「経済的不均衡」の要因として、景気循環や失業の発生メカニズムの説明にも応用されている。ただし、現代経済においては、マルクスが想定したような資本蓄積のメカニズムが異なる形で進行しているため、彼の分析がどこまで妥当性を持つかについては議論がある。

ケインズ経済学における生産構造の視点

ケインズ経済学においては、生産構造の分析は主に「総需要」との関係で議論される。ジョン・メイナード・ケインズは、「有効需要の原理」を提唱し、生産は市場の自律的な調整メカニズムに依存するのではなく、政府や金融政策の影響を受けると論じた。特に、短期的な視点において、消費・投資・政府支出の水準が生産と雇用に大きな影響を与えるとされた。

生産構造の変化に関しては、「投資の不確実性」と「乗数効果」が重要な要素とされる。企業の投資決定は未来の需要予測に依存し、不況時には資本蓄積が停滞し、成長が鈍化する可能性が高い。したがって、ケインズ派の政策提言は、政府による財政出動を通じて「不足する総需要を補う」ことで、短期的な生産の停滞を克服することに重点を置く。

ケインズ経済学の限界としては、長期的な生産構造の変化、特に技術進歩や制度変化が果たす役割を十分に説明しきれない点が挙げられる。また、政府介入の効果や財政の持続可能性に関する問題も、実証的な研究の中で再評価が進められている。

オーストリア学派経済学における生産構造分析と、分析(Analysis)と総合(Synthesis)の正しい理解

前節においては、オーストリア学派以外の諸学派における生産構造分析について概観した。本節において、オーストリア学派経済学における分析と総合を定義し、生産構造分析について検討する。

「分析」と「総合」の定義

「分析」と「総合」は以下のように定義される。



◯分析(Analysis):経済現象を細分化し、段階的に「個々の人間行為」、「行為のカテゴリ」に還元すること。



◯総合(Synthesis):分析で得られた各要素と行為のカテゴリを、因果関係を維持しながら統合し、経済現象を復元すること。 


この手順を誤ると、「政府支出を削減せずに減税を行っても、経済成長により税収が増え、財政均衡が保たれる」といった「総合の飛躍(aggregation fallacy)」が生じる。

総合の飛躍などを生じさせないためには、人間行為の基本的カテゴリに対する理解を深めることが必要である。

人間行為のカテゴリ

ミーゼスの人間行為の基本的カテゴリは、方法論的主観主義と方法論的個人主義、方法論的単一主義に基づき、人間行為を理解するための枠組みとして提示されている。これらのカテゴリは、すべての人間行為に不可避的に存在する要素であり、経済学や社会科学において分析の基礎となる。

人間行為の基本的カテゴリには、以下の七つがある。

①因果性

②目的と手段

③価値規準

④交換

⑤変化

⑥時間と空間

⑦不確実性

人間行為の基本的カテゴリについて、詳細に検討することにする。

① 因果性(Causality)
ミーゼスは、人間が行為を行うのは、因果関係を認識し、それを利用して自身の状況を改善しようとするからであると述べている。つまり、行為者は**「この手段を使えば、この目的を達成できる」**という因果関係を前提に行動する。

因果律と経験則…人間は、経験を通じて因果関係を学び、それに基づいて行動する。例えば、「火を起こせば暖が取れる」と理解しているからこそ、人は薪を集めて火を起こす。

行為の必然性…何らかの因果関係を認識しなければ、人は行動することができない。因果性の認識がなければ、目的を達成するために手段を選択することも不可能である。

因果律と科学的知識…自然科学は因果関係を発見することで技術を発展させるが、経済学もまた因果関係(例:貨幣供給の増加は物価上昇を引き起こす)を理解することで社会現象を説明する。

② 目的と手段(Ends and Means)
人間行為は、目的(End)を持ち、それを達成するために手段(Means)を用いることによって成立する。これは目的合理性(Zweckrationalität)に基づく行動原理である。

目的の主観性…目的は各個人が主観的に決定するものであり、異なる個人は異なる価値観に基づいて異なる目的を設定する。

手段の選択…手段は稀少性の制約のもとで選ばれる。無限の資源があれば手段の選択は問題にならないが、現実には資源が限られているため、最も適切な手段を選ぶ必要がある。

効率性と合理性…ある手段が目的達成に適しているかどうかを判断することが、行為の合理性を決定する。ミーゼスは**「経済的合理性」とは、手段を適切に選択することにある**と述べている。

③ 価値規準(Scale of Values)
人間が行為する際には、異なる目的や手段の間で優先順位を決定する価値規準を持っている。これは主観的価値理論と関連する。

価値の序列化(Value Ranking)…すべての人間は、選択肢の中からより価値が高いと判断したものを優先する。例えば、空腹の状態では、食べ物を手に入れることが他の欲求よりも優先される。

主観的価値と経済学…経済学においては、市場価格は個人の主観的価値の相互作用の結果として形成される。これは限界効用の法則と密接に関係する。

価値と選択…人間の選択は、価値の階層に基づいて行われる。行為者は、「より価値が高い」と考える選択肢を選び、それに基づいて行動する。

④ 交換(Exchange)
ミーゼスによれば、人間は単独で生きるのではなく、他者と交換を行うことで利益を得る存在である。この交換は、互いに主観的に価値が高いと判断したものを交換することで成立する。

自発的交換…交換は、双方にとって利得がある場合にのみ発生する。例えば、パン屋はパンを焼き、それを欲しがる人と交換することで、自分が欲しい他の財を手に入れることができる。

貨幣と間接交換…直接交換(物々交換)ではなく、貨幣を用いた間接交換が行われることで、経済活動が効率化される。ミーゼスは『貨幣及び流通手段の理論』において、この貨幣の起源を説明している。

市場の調整機能…価格は交換の結果として形成され、資源配分を効率化する。自由市場においては、価格メカニズムが需要と供給を調整し、資源が最適に配分される。

⑤ 変化(Change)
人間行為は、現状を変化させることを目的としている。行為とは、望ましい未来を実現するために現状を変化させる試みである。

満足から不満足への移行…もし現状に完全に満足していれば、人は行為しない。しかし、人間は常により良い状況を求めて行動するため、変化が生じる。

市場における変化…消費者の嗜好の変化や技術革新が市場を変化させる。例えば、新技術が登場すれば、それに応じて生産活動や価格も変化する。

社会の発展…経済発展もまた、変化の過程であり、イノベーションや新しい制度の登場によって進行する。

⑥ 時間と空間(Time and Space)
すべての行為は、時間と空間において行われる。時間は不可逆であり、すべての行為は未来に向かって行われる。

時間の不可逆性…行為は、過去には適用できず、未来のためにのみ行われる。例えば、「明日食べるためにパンを焼く」という行為は未来志向である。

時間選好と利子率…ミーゼスは、“人間が現在の満足を未来の満足よりも優先する傾向(時間選好)”を持っていることを指摘し、これが利子率の基礎となることを説明した。

空間の制約…交換や行為は、物理的な距離の制約を受ける。例えば、物流の発展は市場の拡大を可能にするが、依然として空間の制約は存在する。

⑦ 不確実性(Uncertainty)
人間行為は、常に不確実性の中で行われる。未来は予測できず、すべての行為にはリスクが伴う。

不確実性と起業家精神…ミーゼスは、企業家(Entrepreneur)は不確実性を克服し、リスクを取ることで利益を得る存在であるとした。

リスクと選択…人間は、確実な未来を知ることができないため、期待値を計算しながら行動する。投資活動などは、この不確実性を前提としている。

不確実性と市場…市場経済では、不確実性が価格変動を引き起こし、競争が生じる。しかし、この競争が経済の発展を促す要因にもなる。

以上、人間行為の基本的カテゴリを検討した。これで生産構造分析への準備が完整した。したがって、次節において本格的に生産構造分析を行なうことにする。

オーストリア学派の生産構造分析

オーストリア学派の生産構造分析は、第一段階として、生産の空間構造、生産の時間構造に分解される(多元生産構造分析)。第二段階としては、生産の空間構造は、生産の空間分布、空間分布と交易、企業家の役割に分解される。ちなみに、生産の時間構造との関連性として、資本の異質性と空間、時間選好と空間、景気循環と空間が挙げられる。

これらを行為のカテゴリにまで分解すると、オーストリア学派の「生産の空間構造」は、行為のカテゴリにおける「交換(Exchange)」に還元できる。

①交換(Exchange)
行為者は、異なる空間にある財や労働を交換することで、経済的価値を生み出す。生産の空間構造とは、「交換」による資源の最適な移動のプロセスである。

したがって、生産の空間構造は、「交換(Exchange)」という行為の基本的カテゴリに還元できる。

生産の時間構造については、資本の異質性、時間選好、貸し手と借り手に分解できる。時間とは、行為者が目的を達成するために認識し、考慮しなければならない経済的制約である。オーストリア学派の生産の時間構造は、行為の「因果性(Causality)」に還元できる。

①待機(Waiting)
行為者は、より大きな価値を生み出すために、現在の消費を抑えて将来の成果を期待する。生産の時間構造とは、「待機」による価値の創造である。よって待機は、基本的カテゴリの因果性に含まれる副次的カテゴリと解することもできる。

②因果性(Causality)
行為者は、現在の行動が未来の結果を生み出すという因果関係を認識し、計画する。生産の時間構造とは、「因果関係の認識」によって長期的な投資が促進されるプロセスである。

因果性のカテゴリがあることにより、待機のカテゴリが定位される。したがって、生産の時間構造は、「因果性(Causality)」という行為の基本的カテゴリと、「待機(Waiting)」という行為の副次的カテゴリに還元できる。

オーストリア学派の生産構造(時間構造と空間構造)は分析することで、究極的には 「行為のカテゴリ」 に還元される。

時間構造は、「因果性」という行為の本質的な側面に還元される。

空間構造は、「配置」と「交換」という行為の本質的な側面に還元される。

時間と空間の両方の構造は、行為者の選択と計画の中で統合され、経済活動として展開される。

すべての生産活動は、時間と空間の中で行われる「目的を持った行為」によって成り立っている。オーストリア学派の生産構造分析を、ミーゼスのプラクセオロジーに完全に統合することで、経済の本質をより深く理解することができる。

2  ミレイ大統領の経済政策における方法論的誤謬


ミレイ大統領の経済政策の根幹には「自由市場主義」を標榜する姿勢があるものの、彼自身がオーストリア学派経済学者として、アルゼンチン経済を厳密に分析しているわけではない点は重要である。特に、彼の政策立案や実行において、オーストリア学派の生産構造分析(特に時間構造と空間構造の観点)がどの程度考慮されているかは疑問が残る。本節においては、この点について検討する。

アルゼンチン経済の構造的問題点とオーストリア学派的視点

オーストリア学派の生産構造分析と照らし合わせると、アルゼンチン経済は、以下のような深刻な歪みを抱えていると考えられる。

生産の時間構造の歪み(資本形成の阻害)

オーストリア学派の視点では、長期的な資本形成(生産の時間構造)が経済成長の鍵である。しかし、アルゼンチンの経済政策は過去数十年にわたり、短期的な財政赤字補填のために紙幣を増刷し、貨幣価値を毀損してきた。高インフレーションは、市場参加者の時間選好を短期志向にし、長期的な投資を阻害する。これはオーストリア学派が指摘する「貨幣の非中立性」と「信用膨張による景気循環」の典型的な事例である。現在のアルゼンチン経済において、政府の介入により貯蓄率が低迷し、長期的な生産設備の投資が阻害されている。

生産の空間構造の歪み(資源配分の非効率)

国家主義(エタティズム)と介入主義(インターベンショニズム)の影響で、政府の資源配分が市場の需要と乖離している。アルゼンチンでは、政府が特定の産業を優遇し、補助金政策や価格統制を行うことで、本来市場によって決定されるべき資源配分が歪められている。その結果、競争力のない企業が存続し、本来ならば淘汰されるべき非効率な生産が継続されている。この現象は、オーストリア学派が警告する「政府介入による資源の誤配分」に該当する。

交換(Exchange)の歪み(貿易制限と外貨不足)

アルゼンチン政府は、貿易管理や外貨規制を強化し、ドル建て取引を厳しく制限してきた。この政策は、オーストリア学派が指摘する「政府の価格統制は市場機能を阻害する」という問題に該当する。通貨の自由な交換が制限されることで、国際貿易の円滑な流れが阻害され、経済の適応力が低下している。

貨幣と信用の歪み(インフレーションと信用膨張) 

アルゼンチンのハイパーインフレーションは、政府の財政赤字を埋めるために中央銀行が貨幣を発行し続けたことが主因である。この状況は、オーストリア学派の景気循環理論(ABCT: Austrian Business Cycle Theory)で説明される「信用膨張→誤った投資→景気後退」というサイクルに一致する。貨幣供給の増大は、生産構造の誤った長期計画を引き起こし、持続不可能なバブルを生じさせる。アルゼンチンの場合、長期的な投資の誤配分ではなく、短期的な通貨価値の暴落によって資本財市場が崩壊するという形で現れている

ミレイ大統領の方法論的誤謬

ミレイ大統領の経済政策は自由市場主義を標榜しているが、オーストリア学派の厳密な方法論に照らせば、いわゆる方法論的誤謬(Methodological Fallacy)が内在していると考えられる。これらの誤謬は、主に 分析の欠如による総合の飛躍、均衡財政原則の軽視、貨幣理論の不整合 という形で現れている。

「分析の欠如による総合の飛躍」(Aggregation Fallacy)

オーストリア学派の分析枠組みでは、経済現象は 個々の人間行為(Methodological Individualism) に還元され、そこから総合的な経済現象が説明される。しかし、ミレイ大統領の政策には、この分析過程を省略し、あくまで総合的な視点で主張が展開される総合の飛躍が見られる。

誤謬の具体例①
「減税すれば経済成長し、財政均衡が実現する」という単純かつ短絡的な主張をおこなう。オーストリア学派の視点では、財政均衡は自由市場経済の前提条件である。しかし、ミレイ大統領は、政府支出削減が進む前に減税を推進し、短期的な財政赤字拡大を許容している。これは 「政府支出を維持したまま減税しても、経済成長により財政均衡が達成される」 という飛躍した論理に基づいており、均衡財政原則(Balanced Budget Principle)を軽視している。これは、「分析(細分化)」の過程を経ずに「総合(統合)」を行う誤謬の典型例である。

均衡財政原則の軽視(Balanced Budget Principle)

オーストリア学派の視点では、財政均衡は自由市場経済を維持するための前提条件であり、政府の赤字財政は信用膨張を引き起こし、資本構造を歪める原因となる。ミーゼスやハイエクは、一時的な景気刺激のために財政赤字を容認することが、結果的に経済の誤配分を招くと警告している。

誤謬の具体例②
ミレイ大統領は「政府支出の削減」を掲げているが、実際の政策実行においては、短期的な減税が先行しており、政府支出の削減が追いついていない。そのため、減税による財政赤字が拡大し、国債発行やインフレ圧力の増大を招いている。「財政赤字があっても、経済成長がそれを解決する」という考え方 は、オーストリア学派の方法論における「因果関係の逆転」にあたる。財政均衡こそが経済成長の前提であり、財政赤字を拡大させながら成長を目指すのは「原因と結果の混同」である。

貨幣理論の不整合(Monetary Theory Inconsistency)

オーストリア学派は、貨幣と信用の役割を重視し、特に中央銀行の信用膨張が経済構造を歪めることを指摘している。ミレイ大統領は中央銀行の廃止を提唱しているが、その過程でドル化(Dollarization)を推進するという政策は、オーストリア学派の貨幣理論と整合的ではない。

誤謬の具体例③
ミレイ大統領は「ペソの価値を安定させるためにドル化を推進する」としているが、これは外生的な通貨システムへの依存を高めるだけであり、根本的な貨幣改革とは言えない。オーストリア学派の貨幣理論では、「市場が自由に貨幣を選択する」ことが重要であり、法定通貨の強制を廃止し、競争的貨幣システムを確立することが本質的な改革とされる。しかし、ドル化は「米国の金融政策にアルゼンチン経済を従属させる」ことを意味し、ミーゼスの主張する貨幣の市場選択原則(Market-Determined Money)と矛盾する。

結言

最後にミレイ大統領がオーストリアンであれば必ず為すべきことを挙げてみよう。もし、ミレイ大統領がオーストリア学派の経済学を厳密に適用するならば、彼が行なうべき政策は単なる減税や政府の縮小ではなく、
①財政均衡の確立(均衡財政原則)
②貨幣の健全性の回復(通貨発行の規律化)
③市場メカニズムの回復(政府介入の段階的撤廃)
④信用創造の規律化(中央銀行の改革または廃止)
といった包括的な戦略を取る必要がある。

筆者は、ミレイ大統領の統治姿勢をオーストリア学派の理論、方法論に対する攻撃として捉えているが故に、この論文を書いた。ミレイ大統領が、実際にはオーストリアンではないにも関わらず、オーストリアンであると万民に対して偽った事実は重い。中国と日本には、四つの知、すなわち「四知」という言葉がある。「天知る、地知る、我知る、子知る、誰も知らぬとどうして言えるのか(Heaven and Earth know, you and I know—
How can one claim that no one knows?)」で、つまり隠し事はできないという意味である。ミレイ大統領、あなたは、自らを恥じ、悔い改めなければならない。筆者は同時に、ミレイ大統領へ助言を為したつもりである。この通りに政策を進めれば、少なくとも、アルゼンチン市民に嘘を吐いたという事実からは逃れられる。しかし、それと引き換えにして、あなたは必ず大統領の地位から逐斥されるだろう。インフレーションを抑制するということ、オーストリアンの経済政策を遂行するということは、自らの栄光や生命と引き換えにして達成される重いものなのである。

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