見出し画像

ミーゼス『貨幣理論の分類について』

貨幣理論の分類について

ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス(著)
蒲生襄二(訳)
上山祐幸(編)

本論は、最初、1917年から1918年にかけて学術論文として発表された。その後、1924年の『貨幣及び流通手段の理論』ドイツ語版第2版では章として組み込まれる形で本篇に使用されたが、1934年のバトソンによる英訳では付録として位置づけられた。リバティ・ファンド版においても、付録として収載されている。

本論は、『貨幣及び流通手段の理論』1949年日本語版第1版(日本語版第1版リプリント版、日本語版第1版リプリント版のオンデマンド版を含む)においては、1924年ドイツ語版第2版を底本とするため、本篇の一部として読むことができる。このため、全訳する予定はなかった。しかし、ドイツ語→日本語、英語→日本語の翻訳の際の語感に著しい違いがあることと、専門用語(例:カタラクティクス)の翻訳のズレが顕著に見られること、1949年版は章題がついておらず読みにくいため、敢えてこれを全訳し、参考として閲覧に供することにした。

2025年2月3日
ミーゼス・インスティチュート・ジャパン
上山祐幸

1  カタラクティクス的及び非カタラクティクス的貨幣学説

貨幣という現象は、経済生活の他の現象の中でも極めて顕著な地位を占めており、経済理論の問題に特別な関心を寄せていない人々や、交換プロセスの徹底的な研究がまだ行われていなかった時代においてさえ、考察の対象とされてきた。このような考察の結果は多岐にわたっている。商人や、商業活動に密接に関与していた法学者は、貨幣の利用を貴金属の性質に帰し、貨幣の価値は貴金属の価値に依存すると述べた。世俗の事情に疎いカノン法学者(訳註:カトリックの教会法学者)たちは、貨幣の使用の起源を国家の命令に求め、貨幣の価値を「国家によって与えられた価値(valor impositus)」(訳註:valor impsitus=imposed value, 価値の押し付けは、bonitas intrinseca=intrinsic goodness, 内在的な善の対立語)と教えた。また、別の人々は、アナロジーを用いてこの問題を説明しようとした。生物学的観点からは、貨幣を血液になぞらえ、血液の循環が身体を活性化させるように、貨幣の循環が経済体を活性化させると考えた。また、貨幣を人間の「交わり(交換、貿易)」を容易にするという機能を持つ言語に例えた者もいた。あるいは、法的な用語を用いて、貨幣を「万人が万人に対して持つ為替手形」と定義する者もいた。

これらの見解には共通点がある。それは、経済活動のプロセスを現実的に扱ういかなる体系にも組み込むことができないという点である。これらを交換理論の基盤として用いることは全く不可能であり、その試みはほとんどなされていない。例えば、「貨幣を為替手形とする学説」を価格の説明と調和させようとする努力が、失望に終わるであろうことは明らかである。もし、これらの貨幣問題を解決しようとする試みに一般的な名称を付けるのであれば、それらは「非カタラクティクス的(acatallactic)」と呼ぶことができる。なぜなら、それらはカタラクティクスの理論(catallactics)の中に位置付けることができないからである。

(訳註:カタラクティクスは一般的には交換学と呼ばれる。ミーゼスのカタラクティクスとは、リチャード・ウェイトリーのそれではなく、ミーゼスの『国民経済学』においてはカタラクティークと呼ばれる一連の体系である。ミーゼスのカタラクティクスは、自由市場システムが交換比率と価格に到達する方法を理論化するものである。貨幣的計算に基づいたすべての行為を分析し、価格の形成を、各主体が選択を行う起点まで遡って追跡することを目的としている)

一方で、カタラクティクスの貨幣理論は交換比率の理論に適合するものである。この理論は、貨幣の本質を交換交渉の中に求め、その価値を交換の法則によって説明するものである。一般的な価値理論が貨幣の価値に関する理論をも提供し、また貨幣の価値理論が一般的な価値理論の一部として組み込まれるべきことは明らかである。ある価値理論や貨幣の価値理論がこれらの条件を満たすことは、その理論が正しいという証明にはならない。しかし、これらの条件を満たさない理論が満足できるものとなることはあり得ない。

非カタラクティクス的な貨幣観が、カタラクティクス理論の発展によって完全に排除されなかったのは奇妙に思えるかもしれない。この現象には多くの理由がある。

理論経済学の諸問題を解明するためには、価格の決定(商品価格、賃金、地代、利子など)の問題を、まず直接交換の前提の下で扱い、間接交換を一時的に除外して考察することが必要である。この必要性により、カタラクティクス理論は二つの部分に分けられることとなる。一つは直接交換の理論であり、もう一つは間接交換の理論である。純粋理論の問題は非常に多岐にわたり、かつ困難であるため、少なくとも一部の問題を一時的に脇に置くことができるという機会は、研究者にとって非常に歓迎されるものであった。その結果、最近の研究者の多くは、間接交換の理論、すなわち貨幣と銀行の理論にほとんど注意を払わないか、全く関心を寄せない状態が続いてきた。この分野は、科学の中で最も軽視されてきた部分であるといえる。この省略の結果は非常に不幸なものとなった。これは間接交換の理論、つまり貨幣や銀行の理論の領域だけでなく、直接交換の理論の領域にも影響を及ぼしている。理論の中には、間接交換の理論の助けを借りなければ完全に理解することができない問題がある。例えば、経済危機の問題はその一例である。このような問題を直接交換の理論だけの道具で解決しようとすることは、必然的に誤った結論に至ることになる。

このようにして、貨幣理論はその間、非カタラクティクス派に委ねられることとなった。多くのカタラクティクス理論家の著作の中にも、非カタラクティクス的見解の奇妙な名残が見られることがある。その中には、著者自身の他の貨幣や交換に関する主張と一致しない記述が時折見受けられる。このような記述は、明らかに伝統的な考え方が受け継がれただけであり、著者がそれらが自身の体系と矛盾していることに気づかなかったために採用されただけである場合が多い。

一方で、通貨論争は、近代的理論がこれらの問題にほとんど注意を払わなくなった時期に、貨幣理論への関心をこれまで以上に高めた。多くの「実務家」がこの分野に足を踏み入れた。一般的な経済学の訓練を受けていない実務家が貨幣問題について考察し始めると、当初は他の事柄との関連を考慮せずにその狭い範囲に限定して調査を進める傾向があり、そのため彼らの貨幣理論が非カタラクティクス的になりやすい。専門的な「理論家」がしばしば軽視する「実務家」が、貨幣問題の調査を出発点として経済理論の最も深遠な理解に至ることができることを示す最良の例がリカードの発展である。しかし、ここで述べる時期にはそのような発展は見られなかった。それでも、この時代の貨幣政策のために必要なことをすべて成し遂げた貨幣理論の著述家たちを生み出した。その中でも特にバンベルガー(訳註:ルートヴィヒ・バンベルガーLudwig Bamberger, 1823〜1899。ドイツの国民経済学者。金融論、貨幣論の著作がある)とゼードベール(訳註:アドルフ・ゼードベールAdolf Soetbeer, 1814〜1892。ドイツの国民経済学者。金本位制を主唱し、ドイツに導入させたことで著名。主著に『ドイツにおける金本位制導入に関する覚書Denkschrift betreffend die Einführung der Goldwährung in Deutschland, 1854』がある)の二人の名前を挙げることができる。彼らの活動のかなりの部分は、同時代の非カタラクティクス派の教義と戦うことに費やされた。

現在、非カタラクティクス的な貨幣理論は、「理論」を必要としない経済学者の間で容易に受け入れられている。理論的な探求の必要性を公然と、あるいは暗黙のうちに否定する者は、その貨幣理論が理論的体系に組み込めるものであることを要求する立場にはないのである。

2  貨幣の「国家」理論

すべての非カタラクティクス的貨幣理論に共通する特徴は、否定的なものであり、それらがカタラクティクスのいかなる理論にも組み込むことができないという点である。しかし、これはそれらの理論が貨幣の価値に関する見解を完全に欠いているという意味ではない。もしそのような見解がなければ、それはそもそも貨幣理論とは呼べないだろう。しかし、これらの理論における貨幣の価値に関する見解は潜在的なものであり、明示的に表現されておらず、完全に練り上げられてもいない。なぜなら、それらが論理的結論まで一貫して徹底的に発展させられた場合、それらが自己矛盾であることが明らかになるからである。一貫して発展した貨幣理論は、交換理論に統合される必要があり、結果的に非カタラクティクス的でなくなるのである。

最も素朴で原始的な非カタラクティクス的理論によれば、貨幣の価値は貨幣材料の価値と一致するという。しかし、この先に進み、貴金属の価値の根拠を探求し始めることは、すでにカタラクティクス的体系の構築に至ることを意味する。財の価値の説明は、その効用または入手の困難さのいずれかに求められる。このいずれの場合においても、貨幣の価値に関する理論の出発点が発見されるのである。したがって、この素朴なアプローチを論理的に発展させれば、自動的に実際の問題に到達する。これは非カタラクティクス的であるが、カタラクティクスに至る道筋を提供するのである。

別の非カタラクティクス的理論は、貨幣の価値を国家の命令によって説明しようとする。この理論によれば、貨幣の価値は商業による評価ではなく、最高の公権力の権威に基づくものである。法が命じ、臣民が従うというわけである(原註1)。しかし、この理論は交換の理論に組み込むことは全くできない。というのも、この理論が意味を持つのは、国家がすべての経済財やサービスの貨幣価格の実際の水準を、例えば総合的な価格規制によって固定した場合に限られるからである。しかし、これが実際に行われているとは到底主張できないため、国家貨幣理論は、国家の命令が貨幣の名目単位の効力(Geltung)を確立するだけであり、これらの名目単位が商業において有効であるという効力を確立するわけではない、という主張に限定されざるを得ない。このような限定は、貨幣問題を説明する試みを放棄するに等しいものである。カノン法学者たちは、valor impositus(課せられた価値)とbonitas intrinseca(内在的な価値)の対比を強調することで、ローマ・カノン法体系を経済生活の事実と調和させるための詭弁を可能にした。しかし同時に、valor impositusの理論が本質的に無意味であることを明らかにし、その理論では市場のプロセスを説明することが不可能であることを示したのである。

(原註1:See Endemann, Studien in der romanisch-kanonistischen Wirtschafts- und Rechtslehre bis gegen Ende des 17. Jahrhunderts (Berlin, 1874-1883), vol. 2, p. 199.

エンデマン『17世紀末までのローマ・カノン法に基づく経済学および法学研究』(ベルリン、1874〜1883年)、第2巻、199ページを参照のこと)

それにもかかわらず、名目主義(訳註:名目主義または唯名論とは、普遍的な概念は現実には存在しないという考え方。唯名論の考え方によれば、「赤」という言葉は、リンゴやトマトの色を表すために人間が作った言葉にすぎず、現実の世界には「赤」というものは存在しないと考える)的な学説は貨幣理論の文献から消えることはなかった。当時の君主たちは、貨幣の価値を切り下げることを財政を改善する重要な手段と見なしており、この理論による正当化を必要としていた。人間経済の完全な理論を構築しようとする経済学という新興の学問が名目主義から自由であろうとしても、財政的な必要性に応じて名目主義を支持する者たちは常に存在していた。19世紀初頭には、ゲンツやアダム・ミュラーが名目主義の代表者として登場し、バンコツェッテル期のオーストリアの金融政策を支持していた。そして、名目主義はインフレ主義者の要求の基盤としても利用された。しかし、20世紀のドイツにおける「現実主義的」経済学の中で、名目主義はその完全な復活を遂げることになるのである。

(訳註:貨幣論に名目主義・唯名論を適用するということは、貨幣についての普遍的な考え方(すなわち貨幣論)は存在せず、ただ具体的な貨幣、すなわちドルや円、マルクが存在するとする考え方を言うと考えられる。これらの考え方に貨幣の国家理論とインフレーション主義が組み合わされば、各国の貨幣は普遍的な貨幣理論によってではなく、各国政府の政策によってその有り様が左右される、ということになる)

非カタラクティクス的な貨幣理論は、経済学における経験的・現実主義的傾向にとって論理的に不可欠である。この学派は、すべての「理論」に否定的であり、いかなる交換理論も提示しないため、必然的にそのような理論体系へとつながる貨幣理論に反対せざるを得ない。そのため、当初は貨幣問題の取り扱いを完全に回避していた。しかし、貨幣の歴史に関するしばしば称賛に値する研究や、政治的問題に対する態度においてこの問題に触れる限りでは、伝統的な古典派価値理論を保持していた。しかし次第に、その貨幣問題に関する見解は、前述のような、貴金属で作られた貨幣を「それ自体において」価値のある財と見なす原始的な非カタラクティクス的アイデアへと無意識に滑り込んでいった。これは矛盾していた。エタティズム(国家主義)を標榜し、すべての経済問題を行政の問題として捉えるこの学派にとっては、国家による名目主義の理論のほうがより適合していたのである(原註2)。(訳註:貨幣国定説を主唱した)クナップはこの結びつきを完成させた。それゆえ、彼の著書がドイツで成功を収めたのである。

(原註2:See Voigt, “Die staatliche Theorie des Geldes,” Zeitschrift für die gesamte Staatswissenschaft 62: 318 f. 

ヴォイクト「国家的貨幣理論」『全国家科学雑誌』第62巻、318ページ以下を参照)

クナップが貨幣問題、すなわち購買力の問題についてカタラクティクス的な観点から何も述べていない事実は、カタラクティクスを否定し、価格決定の因果的説明を最初から放棄した理論の立場からすれば批判には当たらない。従来の名目的理論が失敗した難点は、現実主義的経済学の信奉者を主な読者とするクナップにとっては問題ではなかった。彼はむしろ、自身の読者層を考慮すれば、市場における貨幣の有効性を説明しようとする試みを放棄せざるを得なかった。もしクナップの著作が発表された直後のドイツで、重要な貨幣政策の問題が発生していたならば、貨幣の価値について何も語ることができない理論の不十分さがすぐに明らかになったであろう。

新しい国家理論が提唱されるや否やすぐに自己矛盾を露呈したのは、非カタラクティクス的な視点から通貨の歴史を扱おうとした不運な試みによるものであった。クナップ自身、その著作の第4章でイングランド、フランス、ドイツ、オーストリアの貨幣史を簡潔に述べている。その後、彼のゼミナールの参加者たちによる他国に関する研究が続いた。これらの研究はすべて純粋に形式的であり、クナップの枠組みを各国の状況に適用しようと試みている。それらはクナップ的用語で書かれた貨幣の歴史を提供するに過ぎなかった。

これらの試みから必然的に導かれる結果について疑いの余地はなかった。それらは国家理論の弱点を露呈している。通貨政策は貨幣の価値に関するものであり、貨幣の購買力について何も語れない学説は通貨政策の問題を扱うのに適していない。クナップとその弟子たちは法律や布告を列挙するが、それらの動機や影響について何も述べることができない。異なる通貨政策を支持する勢力が存在したことにも触れない。彼らは二重金属主義者、インフレ主義者、または通貨制限主義者について何も知らないか、重要なことを知らない。金本位制の支持者は「金属主義的迷信」によって導かれ、その反対者は「偏見から解放された者」とされている。商品価格や賃金、さらには通貨制度が生産と交換に及ぼす影響について言及することを意図的に避けている。「固定為替レート」に関する数行の記述を除けば、通貨基準と外国貿易の関係、すなわち通貨政策において重要な役割を果たしてきた問題には一切触れていない。これほど惨めで空虚な貨幣史の描写はこれまでに存在しなかったと言える。

世界大戦の結果として、通貨政策の問題が再び非常に重要となり、国家学派は通貨政策に関する時事問題について何かしら意見を示さざるを得ない状況にある。しかし、過去の通貨問題に関して何も新しい見解を示せなかったように、現在の問題についても何ら新たな洞察を提供できていないことは、クナップが執筆した論文「ドイツーオーストリア関税同盟における通貨問題」からも明らかである。この論文は、社会政策学会(Verein für Sozialpolitik)が出版した『ドイツ帝国とその同盟国間の経済的接近』という書籍の第1部に収録されている。この論文については、ほとんど異論の余地がないだろう。

貨幣に関する唯名論的学説が、通貨政策の問題に取り組み始めた途端に陥る結果の不合理さは、クナップの弟子の一人であるベンディクセン(訳註:フリードリヒ・ベンディクセンFriedrich Bendixen, 1864〜1920。ドイツの国民経済学者、銀行家。銀行家としては、ハンブルク抵当銀行の理事を務めた。主著に『貨幣の本質Das Wesen des Geldes, 1908』がある)の著作からも明らかである。ベンディクセンは、戦争中にドイツの通貨が国外で低い価値しか持たなかったという状況を、「ある意味では望ましいことでもあった。なぜなら、それによって外国証券を有利なレートで売却することが可能になったからだ」と見なしている。このような主張は、唯名論の立場から見れば単に論理的帰結にすぎないが、その異常さは際立っている。

ちなみに、ベンディクセンは貨幣国定論の単なる信奉者にとどまらず、貨幣を債権と見なす理論の代表者でもある。実際、非市場経済的な見解は好みに応じて融合可能である。このように、デューリング(訳註:オイゲン・カール・デューリングEugen Karl Dühring, 1833〜1921。ドイツの哲学者、国民経済学者。社会主義に接近したが、カール・マルクスには反対したためフリードリヒ・エンゲルスに『反デューリング論』おいて批判された)は一般的に金属貨幣を「自然の制度」と見なしているが、一方で債権理論を支持しつつも、唯名論を拒絶している(原註4)。

(原註4:Dühring, Cursus der National- und Sozialökonomie, 3d ed. (Leipzig, 1892), pp. 42 ff., 401.  デューリング『国民経済学および社会経済学教程』(第3版、ライプツィヒ、1892年)、42ページ以下、401ページ)

1914年以降の通貨史の出来事によって貨幣国定論が反証されたという主張は、「事実」によって反証されたと理解してはならない。事実そのものは、それ自体で証明も反証もできないからである。すべては、事実にどのような意味を与えるかにかかっている。理論が完全に不適切な形で構築されていない限り、それを展開して「事実」を説明することは、それが表面的であれ、また本当に知的な批判を満足させるものでなくとも、それほど困難なことではない。経験主義・現実主義学派の素朴な科学的教義が主張するように、事実に語らせるだけで思考の手間を省けるというのは真実ではない。事実は自ら語ることはない。理論によって語られる必要があるのだ。

貨幣国定論―そして一般的に非市場経済的(非カタラクティクス的)な貨幣理論―が破綻するのは、事実そのものが原因ではなく、それを説明しようと試みることすらできない無力さによるものである。1914年以降に生じた通貨政策の重要な問題に関して、貨幣国定論の信奉者たちは沈黙を守り続けている。確かに、この期間にも彼らの勤勉さや熱意は膨大な出版物を通じて示されたが、今日我々を悩ませている問題については何ら言及できていない。貨幣の価値という問題を意図的に拒絶する彼らが、貨幣制度における重要な問題のすべてを構成する価値と価格の問題について何を語れるだろうか。その独特な用語法は、現在世界を揺るがしている問題の解決に一歩も近づくことができていない(原註5)。クナップは、これらの問題は「経済学者」によってのみ解決されるべきであるとし、自らの理論がこれらについて何も語るものを持たないことを認めている(原註6)。しかし、貨幣国定論が私たちにとって重要と思われる問題を解明する助けにならないのであれば、その存在意義は何だろうか。貨幣国定論は悪い貨幣理論というわけではない―そもそも貨幣理論ですらないのである(原註7)。

(原註5:See also Palyi, Der Streit um die staatliche Theorie des Geldes (Munich and Leipzig, 1922), pp. 88 ff.

パリイ『貨幣国定論をめぐる論争』(ミュンヘンおよびライプツィヒ、1922年)、88ページ以下を参照)(訳註:メルキュール・パリイMelchior Palyi, 1892〜1970。ドイツの国民経済学者。後にアメリカに亡命。貨幣論を専門とし、金本位制の維持を主張した)

(原註6:Knapp, Staatliche Theorie des Geldes, 3d ed. (1921), pp. 445 ff.

クナップ『貨幣国定論』(第3版、1921年)、445ページ以下)

(原註7:To imagine that the state theory is a juristic theory, is to be ignorant of the purpose that a juristic theory of money has to fulfill. Anybody who holds this opinion should refer to any work on the law of contract and note what questions are there dealt with in the chapter on money.

貨幣国定論が法学的理論であると想像することは、貨幣に関する法学的理論が果たすべき目的を理解していないことを意味する。この意見を持つ者は、契約法に関するいかなる著作でも参照し、その中の貨幣に関する章で扱われている問題を確認すべきである)

貨幣国定論にドイツの貨幣制度の崩壊に大きな責任があるとすることは、クナップがその原因となったインフレ政策を直接的に引き起こしたと主張することを意味しない。彼自身はそのようなことはしていない。それにもかかわらず、貨幣の数量について全く言及せず、貨幣と価格の関係を語らず、貨幣の本質は国家による認証にあると主張する理論は、貨幣創造の「権利」を財政的に乱用することを直接的に助長するものである。もし政府が、流通にますます多くの紙幣を投入しても価格に影響しないと知っているならば、すべての価格上昇が「貿易条件の混乱」や「国内市場の混乱」によって説明され、決して貨幣とは関係がないとされるならば、一体何が紙幣発行を抑制するだろうか。クナップは、過去のカノン法学者や法学者のように貨幣の「定められた価値(valor impositus)」について軽率に語ることはない。それでもなお、彼の理論と彼らの理論は、同じ結論に無差別に導く。

クナップは、一部の熱心な信奉者とは異なり、確かに政府の御用学者ではなかった。彼が発言したことは、常に真摯な個人的信念に基づいていた。それは彼自身の信頼性に関しては評価に値するが、彼の理論の信頼性には何の関連もない。

エタティズムの貨幣理論がクナップに由来するという主張は、全くの誤りである。エタティズムの貨幣理論は、クナップが「為替相場の全般的な起源」について言及する中で偶然触れただけの国際収支理論である(原註8)。この国際収支理論は、持続可能ではないにせよ、少なくとも市場経済的(カタラクティクス的)な貨幣理論である。しかし、それはクナップの時代よりもずっと以前に考案されたものである。この理論はすでに、貨幣の内部価値(Binnenwert)と外部価値(Aussenwert)の区別を伴って、例えばレキシス(訳註:ヴィルヘルム・レキシスWilhelm Lexis, 1837〜1914。ドイツの国民経済学者、統計学者。統計事象の安定性と死亡統計との分析を研究して、「正常寿命」の発見と生命表の作製技術の改良に寄与した)などのエタティストたちによって提唱されていた(原註9)。クナップとその学派はこれに何ら新しいものを付け加えていない。

(原註8:Knapp, op. cit., pp. 206, 214. クナップ、前掲書、206ページ、214ページ)

(原註9:Lexis, “Papiergeld,” in Handwörterbuch der Staatswissenschaften, 3d. ed., vol. 6, pp. 987 ff.

レキシス「紙幣」、『国家学ハンドブック』(第3版、第6巻)、987ページ以降)

しかし、国家主義学派(エタティスト学派)は、貨幣国定論がドイツ、オーストリア、ロシアで急速に受け入れられた要因に対して責任を負っている。この学派は、経済学が扱うべき問題群から交換と価格の理論(カタラクティクス)を不要なものとして排除し、社会生活のあらゆる現象を君主や権力者による支配の行使から発生するものとして表現しようと試みた。その論理的延長として、貨幣もまた単に力によって創造されるものであると表現しようとすることは当然の帰結であった。エタティストの若い世代は、経済学が本来扱うべき問題についての認識すらほとんど持ち合わせておらず、クナップの貧弱な議論を貨幣理論として受け入れることができたのである。

3  シュンペーターによるカタラクティクス的な債権理論の定式化の試み

貨幣を債権と呼ぶことは、特に反論の余地のない類推を示唆するものである。この比喩も他の比喩と同様、ある点では不完全であるが、それでも多くの人に貨幣の本質についての理解を形成させる助けとなる可能性がある。ただし、比喩は説明そのものではなく、これをもって貨幣の債権理論と呼ぶのは大きな誇張である。単なる類推の構築は、貨幣理論を知的に論じうる形で構築する道筋の半ばにも到達しないからである。債権の類推に基づいて貨幣理論を構築する唯一の可能な方法は、例えば債権を限られた広さの部屋への入場券とみなし、発行される券の数が増えることで、各券所有者に割り当てられる部屋のスペースがそれに応じて減少すると考えることであろう。しかし、この考え方には危険がある。この比喩を出発点とすることは、貨幣の総量と商品の総量との対比を引き出すことにしか繋がらないからである。だが、これは古くから存在する量的貨幣理論の最も初歩的で原始的なバージョンの一つにすぎず、その持続不能性については改めて議論する必要もない。

したがって、債権の類推は最近まで、貨幣理論の説明において不安定な存在を続けてきた。それは、すべての人が容易に理解できる表現手段という以上の重要性を持たない――と考えられていた――ものであった。ベンディクセンの著作においても、彼が自身の曖昧な議論を債権理論と呼んでほしいと願っていたにもかかわらず、債権の概念にこれ以上の重要性が付与されることはなかった。しかし、ごく最近になって、シュンペーターが債権の類推から出発して貨幣の価値に関する実際の理論に到達しようとする巧妙な試み、すなわちカタラクティクス的な債権理論を構築しようとする試みが行われた。

債権概念から出発して貨幣の価値理論を構築しようとする試みにおいて、常に直面する根本的な困難は、貨幣の量を何らかの他の総量と比較する必要性である。これは、たとえば入場券の比喩において、発行される券の総数を利用可能な部屋の総面積と比較するのと同様である。このような比較は、貨幣を特定の対象ではなく、商品全体の集合に対する共有権として見る理論にとって不可欠である。シュンペーターは、ヴィーザーが最初に展開した論法を発展させる形で、この困難を回避しようと試みている。彼は貨幣の量ではなく、貨幣所得の総額を出発点とし、それを消費財全体の総価格と比較している(原註10)。このような比較には、貨幣が消費財の購入以外に用途を持たないと仮定する場合には、ある程度の正当性があるかもしれない。しかし、このような仮定は明らかに正当化できない。貨幣は消費財だけでなく、生産財とも関係を持っており、特に重要な点として、貨幣は生産財と消費財の交換だけでなく、むしろ生産財同士の交換に用いられることのほうがはるかに多い。したがって、シュンペーターは、貨幣として流通しているものの大部分を単に考慮から除外することによってのみ、自身の理論を維持することができる。彼は、商品の価格は実際には貨幣総量のうち流通している部分とだけ関係があり、この部分だけが全所得の総額と直接的な関連を持ち、この部分だけが貨幣の本質的な機能を果たしていると述べている。そのため、「私たちが関心を持つのは流通している貨幣の量を得ることである」として、次のような項目を含む一連の要素を除外する必要があると述べている。

①貯蔵貨幣「貯蔵された貨幣」

② 「使用されていないが、使用されるのを待っている金額」

③ 予備金(リザーブ)、これは「経済主体が予期せぬ需要に備えるために、保有額を決して下回らないようにする金額」を指す。

(原註10:Schumpeter, “Das Sozialprodukt und die Rechenpfennige,” Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik 44: 635, 647 ff.

シュンペーター「社会生産物と計算貨幣」、『社会科学および社会政策アーカイブ』第44巻、635ページ、647ページ以降)

しかし、これらの金額を除外するだけでは不十分であり、さらに踏み込む必要がある。というのも、総所得理論は「流通している貨幣の総量ですら関与しない」からである。加えて、「不動産市場、抵当市場、証券市場、その他類似の市場といった『所得分配』市場で流通しているすべての金額」を除外しなければならない(原註11)。

(原註11:Ibid., pp. 665 f.  同書、665ページ以降)

これらの限定は、シュンペーターが考えるように、流通している有効貨幣の概念を統計的に扱うことの不可能性を示すだけでなく、彼自身の理論の基盤をも切り崩している。貯蔵貨幣、未使用金額、予備金を残りの貨幣量から分離することについては、すでに上記で述べた通りである(原註12)。「使用されていないが使用を待っている金額」について語ることは認められない。厳密かつ正確な意味において――そして理論は常に厳密かつ正確でなければならない――現在考慮している時点で所有者が変わっていないすべての貨幣は、使用を待っていると言える。しかし、それを「未使用」と呼ぶのは誤りである。それは予備金の一部として貨幣需要を満たしており、結果的に貨幣の特性機能を果たしている。さらに、シュンペーターが所得分配市場で流通している金額を排除しようと提案する場合、私たちはただ問うことしかできない――では、一体何が残るのか?

(原註12:See above, pp. 168 ff.  上記、168ページ以降を参照)

シュンペーターは、自身の理論を少しでも成立しうるように見せるために、その理論に無理を強いている。その理論は、貨幣の総量をその需要の総量(すなわち経済主体による予備金需要の総量)と対比させる立場と比較することはできない。なぜなら、それは問題全体のごく一部しか解決しようとしていないからである。有用な理論であるためには、目の前にある問題全体を説明しようと試みる必要がある。シュンペーターの理論は、通常ならば不可能である比較を成立させるために、貨幣の総量とその需要を恣意的に分割している。シュンペーターが、貨幣の総量が流通、貯蔵と予備金、そして資本の3つの領域に分配されると主張しつつ、貨幣の完全な理論を提供したいのであれば、流通の領域で行った総所得と消費財総量の比較を、他の2つの領域についても繰り返すべきである。これらの領域もまた、貨幣の価値の決定において無意味ではないからである。貯蔵と予備金のため、あるいは資本の領域のための貨幣需要または供給の変動――この曖昧な区別を維持するとして――は、流通の領域の変動と同様に貨幣の価値に影響を与える。完全性を主張する貨幣価値理論は、貯蔵と予備金の領域、そして資本の領域での過程が貨幣の価値に及ぼす影響の説明を省いてはならない。

こうして、シュンペーターですら債権理論から完全なカタラクティクス的な貨幣理論を構築することができなかったことがわかる。債権理論をカタラクティクス的な貨幣理論にしようとする試みにおいて、彼が問題に対してこれほどまでに特異な限定を設けざるを得なかったという事実は、債権の類推に基づいて包括的なカタラクティクス的貨幣理論を構築することが不可能であることの最良の証拠である。彼がその卓越した議論の中で、それ以外の点に関しては他の方法や手段でカタラクティクス的貨幣理論が発見したものと本質的に異ならない結論に到達したのは、それらをすでに貨幣理論の中で見いだしており、それゆえに採用できたからにすぎない。それらの結論は、彼自身が提示した断片的な貨幣理論から導かれたものでは決してない。

4  「金属主義」

もはや唯名論的貨幣理論に反論を続ける必要はない。理論経済学においては、この議論はすでに決着がついている。それにもかかわらず、唯名論に関する論争は、学説史に誤解を広めており、それを排除する必要がある。

まず第一に、「金属主義(メタリズム)」という用語の使用が挙げられる。この表現はクナップによるものである。「重量と純度から出発し、刻印をこれらの特性の証明にすぎないと見なす著述家たちを、クナップは金属主義者(メタリスト)と名付けた。『金属主義者は、価値の単位を特定の量の金属として定義する』」と彼は述べている(原註13)。

(原註13:Knapp, op. cit., p. 281; “Die Beziehungen Oesterreichs zur staatlichen Theorie des Geldes,” Zeitschrift für Volkswirtschaft, &c. 17: 440.

クナップ、前掲書、281ページ;「オーストリアと貨幣国定論の関係」、『国民経済学雑誌』第17巻、440ページ)

クナップが提示した金属主義(メタリズム)の定義は、決して明確なものではない。価値の単位が金属の一定量で構成されると考えた著述家が、注目に値するほどの存在であったとは思えないことは、よく知られているべきである。しかし、唯名論者を除けば、価値概念の解釈においてこれほど安易に満足する学派は、クナップの学派をおいて他にないことを忘れてはならない。彼にとって、価値の単位とは「支払い額が表現される単位にすぎない」のである(原註14)。

(原註14:Knapp, Staatliche Theorie, pp. 6 f.  クナップ『貨幣国定論』、6ページ以降)

しかし、クナップが金属主義(メタリズム)について明言していないとしても、彼の意図は容易に推測できる。クナップにとって、金属主義とは唯名論に属さないすべての貨幣理論を指している(原註15)。そして、彼が唯名論的教義を正確に定式化していることから、彼が金属主義をどのように理解しているかは明らかである。唯名論的でない貨幣理論には統一的な特徴がなく、その中には市場経済的(カタラクティクス的)理論と非市場経済的(非カタラクティクス的)理論が含まれ、さらにこれらの2つのグループはそれぞれ異なる対立する教義に分かれていることを、クナップは知らないか、意図的に無視している。彼にとって、非唯名論的貨幣理論はすべて一つの理論にすぎない。彼の著作には、金属貨幣を「それ自体で価値を持つ物質」と見なす以外の貨幣理論の存在を知っていることを示唆するものは何もない。彼は経済学における価値理論の存在、つまり特定の理論だけでなく、あらゆる価値理論の存在を完全に無視している。彼は常に、自身が知る唯一の貨幣理論――唯名論に対抗すると彼が信じる唯一の理論――に対して論争を仕掛ける。この理論を彼は金属主義と呼ぶ。しかし、彼の議論は無用である。なぜなら、それはこの唯一の非市場経済的理論にしか適用されず、この理論を含むすべての非市場経済的理論、唯名論を含めて、経済学によってすでに久しく覆されているからである。

(原註15:“Alle unsere Nationalökonomen sind Metallisten,” Knapp, “Über die Theorien des Geldwesens,” Jahrbuch für Gesetzgebung, &c. 33: 432.

「我々の国におけるすべての国民経済学者は金属主義者である」 クナップ「貨幣制度の理論について」、『立法年鑑』第33巻、432ページ)

論争的な著述家は、自らの議論において限界を設定せざるを得ない。特に研究が進んでいる分野では、すべての反対意見に反論することは不可能である。最も重要な反対意見、典型的なもの、自らの見解に最も脅威を与えそうなものを選び、それ以外は沈黙して通り過ぎるべきである。クナップは、現在のドイツの読者を対象に執筆している。この読者層は、国家主義的な経済学の影響を受け、非市場経済的な貨幣理論のみを知っており、その中でも彼が金属主義と呼ぶものにしか親しんでいない。彼がこの読者層で成功を収めたことは、彼が批判の矛先を文学ではほとんど代表されていないこのバージョンのみに向ける一方で、ボダン、ロー、ヒューム、シニア、ジェヴォンズ、メンガー、ワルラス、その他すべての学者を無視したことが正しかったことを示している。

クナップは、経済学が貨幣について何を述べているかを探求しようと全くしていない。彼が尋ねるのは、「貨幣の本質について問われたとき、教養のある人は何を思い浮かべるか?」ということである(原註16)。そして、彼は「教養のある人」、つまり明らかに素人の見解を批判している。これを行う権利を否定する者はいないだろう。しかし、これを行った後で、その「教養のある人」の見解を科学的経済学の見解として立てることは許されない。それにもかかわらず、クナップはこれを行っている。彼はアダム・スミスとデヴィッド・リカードの貨幣理論を「完全に金属主義的」と述べ、さらに「この理論は、価値の単位(ポンド)は一定量の金属として定義できると教えている」と付け加えている(原註17)。このクナップの主張について最も穏やかに言えることは、完全に根拠がないということである。この主張は、スミスとリカードの価値理論に関する見解と真っ向から矛盾しており、彼らのいかなる著作にも少しも支持されていない。古典派経済学者の価値理論や貨幣理論について、表面的な知識しかない者であっても、クナップがここで信じがたい誤りを犯していることは明らかであろう。

(原註16:Knapp, “Die Währungsfrage vom Staat aus betrachtet,” Jahrbuch für Gesetzgebung, &c. 41: 1528.  

クナップ「国家の視点から見た通貨問題」、『立法年鑑』第41巻、1528ページ)

(原註17:Knapp, “Über die Theorien des Geldwesens,” p. 430.

クナップ「貨幣制度の理論について」、430ページ)

しかし、古典派経済学者たちは、紙幣の問題に対する唯一の貢献が「憤慨」だったという意味で金属主義者(メタリスト)であったわけではない(原註18)。アダム・スミスは、『金貨や銀貨に代わる紙幣の導入』による社会的利点について、彼以前や彼以後のいかなる著述家にもほとんど並ぶ者のない方法で論じている(原註19)。一方、リカードは1816年に発表したパンフレット『経済的かつ安全な通貨の提案』において、この立場をさらに発展させ、貴金属貨幣を国内流通から完全に排除する通貨制度を提案した。このリカードの提案は、19世紀末にインドで初めて確立され、その後海峡植民地、フィリピン、そしてオーストリア=ハンガリーに導入された、現在一般に金為替本位制(ゴールド・エクスチェンジ・スタンダード)として知られる通貨制度の基礎となった。もしクナップと彼の「現代貨幣理論」の熱狂的支持者たちが、スミスとリカードがこれらの箇所で述べたことに注意を払っていれば、1900年から1911年の間にオーストリア=ハンガリー銀行が採用した政策を説明する際に犯した誤りを簡単に回避できたはずである(原註20)。

(原註18:Ibid., p. 432.  同書、432ページ)

(原註19:See also pp. 332 f. above.  上記、332ページ以降も参照)

(原註20:上述のリカードのパンフレットから、以下の一節を引用するだけで十分であろう。

「適切に規制された紙幣制度は商業において極めて大きな進歩であり、偏見によって私たちがより効用の低い制度に戻ることになれば、私は非常に残念に思うだろう。貨幣として貴金属を導入することは、商業や文明社会の生活技術を改善する上で最も重要な一歩の一つであると真実をもって言える。しかし同時に、知識と科学が進歩するにつれ、より啓蒙された時代以前には非常に有効であったその用途から貴金属を再び排除することが、もう一つの改善となるだろうということもまた真実である」(『リカード著作集』第2版 [ロンドン、1852年]、404ページ)。これがリカードの「金属主義的憤慨」の実態である)


5  ヴィーザーとフィリッポヴィッチにおける「金属主義」の概念


クナップの学説史における誤りは、残念ながら他の著述家たちによってすでに受け入れられてしまっている。この問題は、クナップの理論をできる限り好意的に説明しようとする試み、つまりその弱点を穏やかに評価し、可能であれば何らかの有用性を認めようとする試みから始まった。しかし、このような試みは、貨幣国定論に本来含まれていない事柄――その精神にも文言にも明らかに反する事柄――を読み込むことなく、またはクナップの学説史における誤りを受け入れることなしには実現できなかった。

まず、ヴィーザーに触れる必要がある。ヴィーザーは2つの貨幣理論を対比させている。「金属主義者にとって、貨幣は独立した価値を持っており、それは貨幣自体、すなわちその物質から生じている。一方、現代理論においては、その価値は交換対象である商品の価値から派生する。」(原註21)。さらに、別の箇所でヴィーザーは次のように述べている。「貨幣材料の価値は、2つの異なる源泉からの流入で構成される。それは、貨幣材料が宝飾品、器具、さまざまな技術用途といった多様な産業的用途によって得る使用価値と、貨幣が支払い手段として機能することによって得る交換価値から構成されている。貨幣が媒介手段として果たす役割と、産業用途で果たす役割は結合してその価値を共通に評価させる。… そして、2つの役割のそれぞれは、もう一方がなくなったとしても存続しうるほど独立していると言えるだろう。たとえば、金が鋳造されなくなっても、金の産業的機能が失われることはないのと同様に、国家が産業用途での金の使用を禁止し、それを全て鋳貨のために召し上げたとしても、金の貨幣的機能は終わらないだろう。支配的な金属主義的見解は異なる。この見解によれば、貨幣の金属価値は、金属の使用価値と同じ意味を持ち、それは唯一の源泉である産業的用途によるものである。そして、貨幣の交換価値がその金属価値と一致する場合、それは金属の使用価値の反映にすぎないとされる。支配的な金属主義的見解によれば、無価値な材料で作られた貨幣は考えられない。なぜなら、貨幣は、それ自体が製造材料によって価値を持っていなければ、商品の価値を測ることはできないとされるからである。」(原註22)

(原註21:Wieser, Über die Messung der Veränderungen des Geldwerts, p. 542.

ヴィーザー『貨幣価値の変動測定について』、542ページ)

(原註22:Wieser, “Theorie der gesellschaftlichen Wirtschaft,” Grundriss der Sozialökonomik (Tübingen, 1924), p. 316.

ヴィーザー『社会経済の理論』、社会経済学概論(チュービンゲン、1924年)、316ページ)

ここでヴィーザーは、貨幣の価値に関する2つの理論――現代的理論と金属主義的理論――を対比している。彼が「現代的」と呼ぶ理論は、価値を効用に遡る理論から論理的に導かれる貨幣理論である。効用理論が科学的な解明を得たのは比較的最近のことであり(その解明に貢献したことはヴィーザーの大きな功績の一つである)、現代においてこの理論が支配的な教義とみなされるのは間違いない(ただし、ヴィーザー自身は金属主義を支配的な教義と呼んでいることを除けば)。したがって、この効用理論に基づく貨幣理論を、特に「現代的理論」と呼ぶことは正当であると言える。しかし、そうする際には、主観的価値理論が長い歴史を有しているのと同様、それに対応する貨幣理論もすでに200年以上の歴史を持つことを忘れてはならない。たとえば、1705年にはジョン・ローがその著書『貨幣と貿易』において、これを古典的な形で表現している。ローの議論とヴィーザーの議論を比較すれば、両者の見解の基本的な一致が明らかになるだろう(原註23)。

(原註23:See the passages quoted on pp. 125 f. above.  上記、125ページ以降で引用された箇所を参照)

しかし、ヴィーザーが「現代的」と呼ぶこの理論は、クナップの学説とは明らかに異なる。クナップの理論には、この理論の要素が少しも見られない。この理論と、貨幣の価値の問題を無視するクナップの唯名論が共通するのは、どちらも「金属主義的」ではないという事実だけである。

ヴィーザー自身も、自身の理論がクナップの理論とは全く関係がないことをはっきりと理解している。しかし残念なことに、彼はクナップから「支配的な金属主義的見解によれば、『貨幣の金属価値は金属の使用価値と同じ意味を持つ』」という意見を引き継いでしまっている。ここでは、学説史におけるいくつかの重大な誤りが混ざり合っている。

まず注目すべきは、ヴィーザーが金属主義(メタリズム)という言葉で指しているものが、クナップのそれとは異なるということである。ヴィーザーは貨幣の価値に関する「現代的」理論と「金属主義的」理論を対比し、それぞれの意味を正確に説明している。これによれば、この二つの見解は互いに対立しており、一方が他方を排除する。しかし、クナップにとっては、ヴィーザーが「現代的」理論と呼ぶものも、他の理論と同様に金属主義的である。これが事実であることは容易に証明できる。

クナップはその主要な著作において、貨幣の問題を直接扱った著述家の名前を一切挙げておらず、関連する著作を引用することもない。また、貨幣に関する豊富な文献で通常見られる思考の流れに反論することもない。彼の争点は常に、彼自身が一般的な貨幣観として提示する金属主義との対立だけである。確かに、彼は序文において、金属主義者としてヘルマンとクニースの二人を明示的に挙げている(原註24)。しかし、ヘルマンとクニースはどちらもヴィーザーが提示した「現代的」理論に非常に類似した理論を展開している。これは不思議ではない(原註25)。というのも、両者は主観的価値理論に基づいており、この理論から「現代的」貨幣価値理論が論理的に導き出されるためである。このため、両者は貴金属の使用価値の基盤が、貨幣としての用途とその「その他」の用途の両方にあると考えている(原註26)。確かに、ヴィーザーとクニースの間には、「その他」の用途が消滅する可能性が貨幣機能に与える影響について、見解の違いが存在する。しかし、クナップはこれを決定的な特徴とは見なしていなかったようであり、もしそうであればどこかで言及していたはずである。実際、彼はこの点について、貨幣の価値に関する他のいかなる問題についてと同様に、特に言及していない。

(原註24:See Knapp, Staatliche Theorie, 1st ed., pp. 5, 7.

クナップ『貨幣国定論』初版、5ページ、7ページを参照)

(原註25:See Zuckerkandl, Zur Theorie des Preises mit besonderer Berücksichtigung der geschichtlichen Entwicklung der Lehre (Leipzig, 1899), pp. 98, 115 f.

ズッカーカンドル『価格理論について――学説の歴史的発展を特に考慮して』(ライプツィヒ、1899年)、98ページ、115ページ以下を参照)


(原註26:See Hermann, Staatswirtschaftliche Untersuchungen, 2d ed. (Munich, 1870), p. 444; Knies, Das Geld, 2d ed. (Berlin, 1885), p. 324.

ヘルマン『国家経済学的研究』第2版(ミュンヘン、1870年)、444ページ。クニース『貨幣』第2版(ベルリン、1885年)、324ページを参照)

実際、クナップやその学派が描く金属主義者を経済学者の中に探すことはできない。クナップが常にこの恣意的な金属主義者のカリカチュアを相手に議論している理由を彼自身はよく知っており、賢明にも、その金属主義者に発言させた意見の典拠を引用することを控えている。実際、クナップが念頭に置いている金属主義者とは、他ならぬ彼自身なのである――ただし、『国家貨幣論』を書いたクナップではなく、「すべての理論を無視して」(彼自身が証言しているように)貨幣制度の「実務」を講義していたクナップである(原註27)。彼は経済学における歴史主義の旗手の一人として、経済問題について考える代わりに古文書を出版することで代替できると考えていた。もしクナップが、酷評される「理論家たち」の仕事をこれほど高慢に見下さず、それに関与することを軽蔑しなかったならば、自身がその内容について完全に誤った認識を持っていたことに気づいていただろう。このことはクナップの弟子たちにも当てはまる。実際、彼らのリーダーであるベンディクセンは、自らがかつて「金属主義者」であったことを率直に認めている(原註28)。

(原註27:Knapp, Staatliche Theorie, p. 5.  クナップ『貨幣国定論』、5ページ)

(原註28:Bendixen, op. cit., p. 134.  ベンディクセン、前掲書、134ページ)

貨幣材料の価値がその産業的用途のみに由来するとする見解を、ヴィーザーのように「支配的な学説」と呼ぶことは、決して望ましいことではない。クニースによって否定された貨幣に関する見解を、支配的な学説と見なすことは到底できないだろう(原註29)。現代理論の結論に基づく貨幣文献全体が、ヴィーザーの意味する金属主義的見解ではないことは疑いない。しかし、それだけでなく、他のいかなる市場経済的(カタラクティクス的)貨幣理論も、同様にヴィーザーのような意味における金属主義ではない。

(原註29:See Wieser, “Theorie der gesellschaftlichen Wirtschaft,” p. 317.  

ヴィーザー『社会経済の理論』、317ページを参照)

実際、ヴィーザーが貨幣理論の先達たちに対して抱いていた見解は、彼が「金属主義」という表現を受け入れたことによって歪められている。彼自身もこの点を見逃しておらず、前述の発言に次のような言葉を補足している。「支配的な学説は一貫性を保っていない。というのも、それは…貨幣の交換価値を説明するために特別な理論を展開しているからである。もし貨幣の価値が常に金属の使用価値に制限されるのであれば、貨幣需要、流通速度、または信用代替物の量がどのような影響を及ぼすのか?」この一見した矛盾の解決は、ヴィーザーが「支配的な金属主義的学説」と呼ぶものが、貨幣の交換価値を説明するために「特別な理論を展開する」市場経済的(カタラクティクス的)理論と非常に鋭く対立しているという事実に求められるべきである。

ヴィーザーと同様に、フィリッポヴィッチも貨幣の価値に関する2つの理論を対比している。一方は唯名論的な理論であり(アダム・ミュラー、クナップなどがこれを代表し、フィリッポヴィッチはアドルフ・ワーグナーもこのグループに含めている)、もう一方は唯名論的立場を拒否する理論である。後者のグループを代表するものとして、彼は私の『貨幣及び流通手段の理論』を挙げている(原註30)。フィリッポヴィッチはさらに、貨幣の価値を論じる中で、私は「商品貨幣の価値が、共通の交換手段としての機能に依存する範囲でのみ、貨幣価値の理論に関連する」と認めざるを得なかったと述べている(原註31)。この点において、クナップの歴史的見解に従ったため、フィリッポヴィッチはヴィーザーと同じ誤りに陥っている。

(原註30:[Of which the present work is a translation. H.E.B.]

[本書はその翻訳である。H.E.B.])

(原註31:Philippovich, Grundriss (Tübingen, 1916), p. 275.

フィリッポヴィッチ『概論』(チュービンゲン、1916年)、275ページ)

ヴィーザーが貨幣のチャータル(証券)理論および唯名論を否定する一方で、フィリッポヴィッチはこれに忠誠を告白しつつ、それを解釈する際に市場経済的(カタラクティクス的)概念と唯名論的概念の違いを完全に消し去るような形で述べている。一方で彼は「貨幣単位の本質は、価値単位としての名目的なGeltung(有効性)にある」と宣言し、他方では「貨幣単位は、実際には技術的に定義された貴金属の一定量ではなく、その購買力または支払力である」と述べている(原註32)。これらは決して両立し得ない二つの命題である。前者はクナップの定義としてすでに触れたものであり、後者はすべてのカタラクティックな貨幣理論の出発点である。この二つの間にこれ以上の鋭い対立を想像することはほとんど不可能である。

(原註32:Ibid.  同書)

貨幣単位を購買力と同一視することが、クナップの見解を表現するどころか、それを完全に否定していることは、彼の著作のいくつかの箇所から明確に導き出すことができる(原註33)。貨幣の価値や購買力について語らないという点こそが、唯名論――そしてすべての非市場経済的(ア・カタラクティクス的、非カタラクティクス的)理論――を特徴づけている。フィリッポヴィッチが提示する二つの命題がいかに矛盾しているかを示すのは容易である。クナップ自身の理論の範囲内では、「マルクは前の価値単位ターレルの3分の1である」と定義するのは形式的には正しい(原註34)。この定義がどれほど説明不足であっても、それ自体には矛盾は含まれていない。しかし、フィリッポヴィッチが次のように述べる場合は話が別である。「銀のマルクは、ターレルの3分の1として、かつて計算のための貨幣単位であった。そして経済主体の経験において、ある一定の購買力を表していた。この購買力は、新しい金属の貨幣単位にも維持されなければならなかった。つまり、金貨としてのマルクは、以前の銀マルクが表していたのと同じ量の価値を表さなければならなかった。したがって、貨幣単位の技術的決定は、貨幣単位の価値を維持することを目的としている。」(原註35)これらの文は、先に引用したものと合わせて見ると、ドイツの貨幣制度改革がターレルの購買力を従来の水準で維持することを目的としていたとしか解釈できないように見える。しかし、これはフィリッポヴィッチの真の見解とは到底考えられない。

(原註33:See esp. Knapp, Schriften des Vereins für Sozialpolitik, vol. 132, pp. 560 ff.

特にクナップ『社会政策協会刊行物』第132巻、560ページ以降を参照)

(原註34:Knapp, Geldtheorie, staatliche in H. d. S., 3d ed.

クナップ「貨幣理論、国家的観点から」、『国家学ハンドブック』第3版)

(原註35:Philippovich, op. cit.  フィリッポヴィッチ、前掲書)

フィリッポヴィッチがクナップから受け継いだもう一つの歴史的誤りは、「市場経済的(カタラクティクス的)貨幣理論が、国家の紙幣が強制流通させられた実例を無視している」という信念である(原註36)。この点に関連してフィリッポヴィッチが参照している唯一の著作である本書の初版を含む、あらゆるカタラクティクス的な文献は、その反証となるだろう。確かに、カタラクティックな学説がこのような紙幣の問題を満足のいく形で解決していないという主張は可能であり、それは未解決の問題である。しかし、これらの理論が紙幣の存在を無視していると主張することは間違っている。この点は特に重要である。なぜなら、クナップの弟子の多くが、戦争期の紙幣経済によってカタラクティックな貨幣理論が反証されたと考えているからである。しかし、この問題は、リカード以来すべての貨幣理論が取り組んできた問題であり、今さら新しいものではない。

(原註36:Ibid., pp. 272 ff.  同書、272ページ以降)

クナップが過去および同時代の経済学者たちの貨幣理論に関する見解について犯した誤りが、ヴィーザーやフィリッポヴィッチのような経済学史および経済学文献の分野で著名な専門家二人に受け入れられたのであれば、現在ドイツで貨幣問題に取り組んでいる多くの研究者が、自身の学説史を完全にクナップに依拠していることに驚くべきではない。


6   原著者註:名目主義をめぐる論争と英国銀行理論の2つの学派の問題との関係

ある著述家は金属主義理論を通貨原則(Currency Principle)と同一視し、チャータル理論(証券理論)を「旧銀行原則(Banking Principle)の一種」と呼んでいる(原註37)。また別の著述家は、「金属貨幣と紙幣を同様に扱う限りにおいて、通貨学派の教義を経済的唯名論と呼ぶことに一定の正当性がある」と述べている(原註38)。しかし、どちらも誤解しているように思われる。信用理論における二大有名学派の対立は、全く異なる領域に存在している(原註39)。クナップとその弟子たちは、自らが関心を持つべき問題を認識することすらなく、ましてやそれを解決しようと試みることもなかった。

(原註37:Lansburgh, Kriegskostendeckung (Berlin, 1915), pp. 52 ff.

ランスブルク『戦費の賄い』(ベルリン、1915年)、52ページ以降)

(原註38:Bortkiewicz, Frage der Reform, A. s. P. G., vol. 6, p. 98,

ボルトキエヴィチ「改革の問題」、『公法学年報』(Archiv für Staatswissenschaft und Politik)、第6巻、98ページ)

(原註39:See pp. 379 ff. above.  上記、379ページ以降を参照)

ベンディクセンの貨幣創造に関する学説は、クナップの唯名論・名目主義とは偶然的かつ緩やかに結びついているにすぎず、本質的には銀行原則(Banking Principle)の誇張された、極めて素朴なバージョンに過ぎない。ドイツの経済理論の低迷を象徴する特徴的な兆候の一つは、ベンディクセンの学説が長年にわたり新しいものとして見なされていたことである。実際には、その違いはせいぜいドイツで数十年にわたって支配的であった学説の展開方法にあるにすぎなかったにもかかわらず、この点が指摘されることはなかった。

いいなと思ったら応援しよう!