頭でっかちによる「恋愛感情」への探求の歴史
私には「人生の命題」と呼んでいるものがいくつかある。
「人生が終わるまでに、自分なりの答えを出しておきたい事柄」とでも言えば伝わるだろうか。
(この場合に命題という言葉を使うのはおそらく不適切ではあるのだが、それは一旦イディオムみたいなものだと思って置いておいてほしい)
とにかく、その事柄の中の一つに「恋愛感情とは何か」というのがある。
おそらく、”普通”の人間は「恋愛感情とは何か」等とは深く考えず、もっと衝動的に恋愛を楽しむのだろうが、自分の場合はそう上手くは行ってくれなかったらしい。
コロコロ変わる"好きな人"
事の発端は小学校時代にある。
その頃の自分は人をすぐ好きになった。
今のように人間関係を作るときにアレコレ複雑に考えることが無かったし、「この人と遊ぶと楽しい!」と思うと、すぐに寄っていって、いとも簡単に“よく遊ぶ友達”が作れていた。
同性の場合はそれ以上関係が変化することもなく、そのまま仲良く遊んでいるだけなのだが、異性となるとほんの少しだけ差が出てくる。
お察しの通り、恋愛が絡む。
最も、当時は恋愛の意味なんてこれっぽっちも理解していなかったとは思うのだが、とりあえず、異性を好きになったら、告白という儀式を踏んで、“恋人”になるという認識だけはあったらしい。
ただ、私の場合はこの“異性を好きになる”の部分を履き違えていた。
定期的に入れ替わる「よく遊ぶ友達リスト」にいる異性のうち、最も上位に位置している異性を、”好きな異性”だと認識していた。
そして、その認識を持つたび、その異性に”告白”していた。
覚えている限りでも四回は“告白”をしたと思う。
今思えば恐ろしい行動力だ。
むしろ見習ったほうが良いのかもしれない。
おしゃべりだった私はそういった出来事を築一親に話していたのだが、ある時こう言われた。
「あんたは好きな人がコロコロ変わるんだね」
と。
当時は「そんな事無いもん!」などと言って否定したような気がするが、この言葉をきっかけに、私の恋愛観に対する疑問は始まったように思う。
自分の"好き"はなんかおかしい
中学に入り、偏りはあるものの恋愛に関するインプットが増えたり、ある程度自分の行動を客観的に認識できるようなったりした影響か、改めて「自分は好きな人がコロコロ変わるのだろうか?」と思うようになった。
それから自分の行動や感情変化を顧みると、確かにそうなのかもしれないと思い至った。
それに加え、自分は”人を好きになりやすすぎるのでは?”という新たな疑惑も持ち上がってきた。
思春期に入り、周囲の異性間の友人関係についての認識も変化してきたため、小学生時代のように両性とも仲良く遊ぶような状況は無くなったものの、”好きな異性”を自覚するアルゴリズム自体は小学生から一切変化していなかった。
その為当然ながら、一番関わりのある異性に”好きな人”のタグ付けが為され、関わり合いのランキングが変化するたびに”好きな人”タグは移動していく。
これは流石におかしい。
仮におかしくないのだとしたら、自分は飛んでもなく軽い人間ということになってまう。
中学に入ってからはそうポンポンと”告白”をしているわけでは無かったので、実害を伴う問題にはなっていなかったものの、「流石にこのままではやばい」と当時の自分も理解した。
それからというもの「恋愛感情とは何なのか」という問いは、自分にとって大きな関心事となった。
「恋愛感情」とは
もちろんこの問いに答えるのは簡単なことではない。
たまに思い出したようにそれらしい検索ワードを並べて情報を漁ったり、これだけがきっかけというわけではないが、恋愛系のアニメをよく見るようになったり。
自分なり問いに答えを出そうとはしてみたものの、あまり納得できる答えには辿り着けない。
だが、サンプルケースを増やしていけば行くほど一つの事実が見えてきた。
「恋愛感情は多種多様である」という事実だ。
それだけは否定しようがなかった。
もちろん一つの形として恋愛感情を定義する事を求めていた私としては、中々受け入れがたい事実であった。
とはいえ現実問題そうであるのなら、その事実を元に結論を導き出すしか無い。
そうしてさらに色々なコンテンツや人の意見に触れ、高校生になる頃には自分なりに結論を導き出した。
その結論は、
「その対象に抱いた感情の内実がどのようなものであれ、最終的に主体がその感情を恋愛感情と名付けたものが、恋愛感情である」
というものだった。
なんとも間抜けな結論だ。
「みんな好き勝手に自分が思った感情を恋愛感情って呼んでるだけだよ〜」
なんて、私の問題を何一つ解決してくれやしない。
この結論は、見方によっては不正解なのかもしれない。
むしろ不正解だと思いたい。
しかし、自分の見聞の中で出せる結論はこれしかなかったのだ。
自分の中の「恋愛感情」
納得できなく結論ではあったが、少なくとも自分の中で「恋愛感情」というものの定義は出来た。
だが、残念ながら旅は終わらない。
仮に恋愛感情は相手に対して抱いた感情につける名前の一つでしかないのなら、私はどんな感情に恋愛感情と名をつければ良いのだろう。
結果として、始まりよりも深い問題に足を踏み入れてしまった気がした。
何にせよ、自分はどんな感情に恋愛感情と名前をつけるのかを決めなければ、小学校から続く問題に決着がつけられず、永遠に恋愛が出来ないままに終わってしまう。
私は再び考えた。
どうやって恋愛感情と名付ける感情決めようかと。
それを知るには、まず自分が人に対してどんな感情を抱くことがあるのか、精査する必要があった。
感情の記憶なんて朧気なものではあるが、過去十数年の人生で抱いてきた気持ちの数々を振り返る。
正直、どれもしっくりは来なかった。
最終的には自分で名付けるかどうかであったとしても、「私のこの感情は恋愛感情です!」と他人に堂々と宣言できるかと問われると、どうしても躊躇してしまうものばかりだった。
そもそも思い返してみれば、繰り返してきた”告白”の数々も、「成就しなくても大丈夫」とどこかで思えていたから繰り返せたのだ。
様々な恋愛を見聞きした今、あの感情を恋愛感情などと自信を持って呼べるはずは無かった。
ではひとまず、過去の自分の人生には恋愛感情と呼びたい感情は無いことがわかったとして、それは未来永劫訪れないのか?
それだけは避けたい。
そもそも正しい恋愛感情を知ろうとしたのも、結局は自分自身恋愛がしたいと思ったからに他ならない。
それに加えて長年のリサーチで恋愛に関してのインプットを増やし続けていれば、恋愛願望が膨れ上がっていくのは当然の摂理だった。
そうなれば、自分の中で新しい感情を見つけていって、いち早く恋愛感情と呼べるものを見つけなければならない。
そのためには色んな出会いを増やして、いっぱい異性と関わって、恋愛感情を見つけていく……なんてことができたら良かったのだが。
恋愛について一人考えを深める日々を送っていた結果、出来上がったのは立派な陰キャオタクだった。
そもそも参考としてアニメを用いてしまったことが一番の間違いだったのだろう。
最低限の社会性は保てていたものの、人間関係を広げたいなどと思ったことが無いのだから、人に話しかけるなんてことは殆せず、その中でも異性となれば尚の事。
そんな中で自分の恋愛感情を探そうにも、人間関係はほぼ固まっており、新しい異性との関わりなど年に二度あれば良い方だった。
そもそも、仮に人間関係を広げたとしても、「自分の恋愛感情を探す為に関わる」なんてそもそも不純なのでは?という問題まで付き纏う。
ようするに、詰みだ。
(今思うと、この状況に対して「恋愛感情を見つけられない」という危機感しか持っておらず、恋人を作ること自体への障害だとは微塵も考えていなかったのが一番滑稽なのかもしれない)
そんな絶望感の中日々を過ごしていた私だったが、程なくして一つの抜け道に辿り着くこととなる。
それは、
「創作物での心の培養実験」
である。
「心の培養実験」
先程にも言った通り、この頃の私はもうどっぷりと二次元に浸かっており、そろそろノベルゲームにも手を出し始めた頃だった。
ノベルゲームという媒体は他のコンテンツに比べると、「主人公の経験を追体験」している様に感じられるような作りになっている。
そのため感情移入がしやすく、ストーリーや登場人物に対して自分の感情も大きく揺さぶられる事も少なくない。
ということは、だ。
ノベルゲームを通して、自分がキャラクター達に対して感じた感情を精査していけば、自分の恋愛感情を見つけられるのではないか?
これは革命だった。
もちろんキャラと直接関わることは出来ないし、主人公の言動が自分と大きく異なることもあるが、それでも私自身の心が揺れ動いて、キャラに対して何らかの情を抱くのならば、実験場としては十分だ。
ノベルゲームを遊んでいく中で、色々なキャラに出会い、その度に自分の中に新しい感情を発見して行くのは、恋愛感情の探求を抜きしても大変に楽しく、興味深い体験だった。
好きなキャラを見つけることもあれば、反対にキャラに嫌いな要素を発見することもあった。
キャラと恋仲になる主人公に共感できる時もあれば、そうでないこともあった。
そうやって自分がそれまで知らなかった感情を一つ一つ見つけていく。
さらに、その後はノベルゲームに限らず、創作物に触れる際には自分の感情の動きに少しだけ気を配りつつ楽しむようになった。
そうして様々な作品に触れて、今に至る。
おわりに
「恋愛感情とは何か?」という所から随分おかしなところにたどり着いてしまったと、我ながら思う。
未だに完璧に答えを出し切れていはいないし、恋人に至ってはまるで出来る気配は無いのだが。
それでも、自分なりに考え抜いたことと、素晴らしい作品の数々に出会えたことは絶対に無駄ではないのだろう。
それに実を言うと、完璧に答えを出し切れていないとは言ったものの、とあるキャラクターのお陰で「自分の恋愛感情の一つの答え」は見出したんじゃないかと思っている。
その話は近いうちに、またどこかで。
それでは、今回はこの辺で。
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