『圧勝』という漫画に感じた謎
『圧勝』っていう漫画を久々に読んでまして。まだ1巻読み終わっただけなんだけどさ。
昔どこかでそこそこ読んだような気がするだけど、どこで読んだのか、何故読もうと思ったのか何にも思い出せなくて。なにか思い出すかなと思ってまた読んでみていた。なんか無料で読めたしね。
んで、読むにあたってすごく感じたことがあるから書きたいわけなんだけれども、それを伝えるにあたってそこそこ長い前置きが必要になる気がしているのだ。
いや、もしかしたらそんなに長くならんかも…?
まぁ何かといいますと、今の私の人生の中心はエロゲ、もっと広く言うとノベルゲームなのですよ。
今の私の考えは、そこそこの確率で、ノベルゲームを作ること・売ることに役に立つか、もしくはそれに関連させられるかどうかを中心に組み立てられている。
って言う割には四六時中エロゲやってるかと言われると、むしろ早く進めろと友人に怒られるくらいの進度だったりもするのだけど……
正直なんで今の私がこうなのか自分でもさっぱりなんだけどね?何故か自分の人生をかけるものはノベルゲームだって最初から決まってたみたいにしっくり来るんですよ。
そんな前置きがあった上で。
先述しましたあの『圧勝』という漫画、テンポがめちゃくちゃに早いんですよ。漫画ってこのくらいのテンポ感が普通なのかもしれないけど、描写で説得力をもたせる前からポンポンと設定が出てきて、ポンポンと事が進む。
でもそれ全部受け入れて楽しめるんですよ。これにかなり驚いた。
結構ノベルゲーム……に限らず文字ベースの物語全般かな。一つ一つの設定や関係性の進捗に描写をかけて説得力をもたせるものだと思うんですよ。
むしろそれをしないとあまり面白くならない感じがする。
なのにそんなのを全部無視しているかのように思える『圧勝』は何故かすんなり楽しめる。これってなんなんだろうなぁと。
まだ読み始めて間もないし、考えも深めてないからこれに対する説明は全く持って出来ないんだけど、とにかく凄いなって。
主人公以外の登場人物も全員結構尖ってて、人間というより「過度に記号化されたキャラクター」という側面が結構強く見て取れる。
なんならこの前エロゲをプレイしていてヒロインが「過度に記号化されたキャラクター」過ぎて人間として扱うことが出来ないと散々文句を言っていたのに、何故か『圧勝』に関しては客観的事実としてそう認識しているものの、全くそれが不快に感じられないんだよ。
こうやって話していると各媒体に対して求めている人間解像度の違いの問題なのかなとも思えてくるし、たしかに絶対そういう面はあるんだろうと思う。
エロゲって得てして自己投影を強くして、一種の仮想現実としてその作品の世界観に浸る事も目的の一つなのに比べて、漫画に対して少なくとも個人的にはそこまでのエンゲージ率(どれだけ作品世界を受け入れて浸れるかどうかを示す指標的ななにか)は求めていないから起こっている感じ方の差という説はありそう。
あとは、もっと身もふたもないことを言うと、あんまり記憶はないとはいえ、一度読んだ作品だからすんなり受け入れられてるだけなのかも。これだったら正直ここで考えてるの全部無駄みたいな所あるけど。
仮にただ単に読んだことあるからすっと受け入れられてるだけなんだったとしても、“なるべく物語上伝えたいことに描写を絞る”という意識は必要なのかなーとはちょっと思った。
一応自分でもノベルゲームのシナリオを書きたいと思って、一万何千文字くらいは書いてはいるんだけど、現実的な時系列とかの整合性を気にしすぎて、“物語としては必要ないけど、現実なら絶対に存在する描写”みたいなものを書きすぎている気もするのよね。
やり過ぎたらもちろん良くないんだけど、適度に描写を絞ってテンポを良くしていったり、少し安直に思えてもキャラ設定をわかりやすくしてみたり、っていう意識は、なんの媒体でもあっても持っていても良いものなのかもなーと。
文字媒体の場合は尺にとらわれない事がかなり大きな長所だから、テンポを気にしすぎると媒体としての良さを殺すことになるから塩梅が難しいんだけどねー。
『圧勝』自体まだ序盤しか読んでないし、どこまで無料で読ませてくれるのかも把握してないけど、もしかしたら読み終わる頃には今の意見全部ひっくり返してるかもしれんし、何もわからんけど。とりあえずそんなことを考えながら『圧勝』の続き読んでこようかな。
今回はここまで。
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