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もうひとつの、生きていく力。
「ひとりで生きていく力をつけたいんです!」
「旅をしたいし、でも働くことを楽しんでいる大人にもなりたいです!」
「結婚して子育てをしながらも、旦那さんの転勤で海外に行くことになってしまっても自分の好きなことをし続けられる自分になっていたいんです!」
興味のないヒールを履きパリパリの白ワイシャツを嫌々着こなして、就活生のころは勢いよくこんなことを言い放っていた。なりたい自分になるために成長する。得たいものを得るために成長する。
そらく、わたしの中で何かを「諦める」ことはタブーだったのだろう。
***
人生で一度だけ、父親が何も言わずに家を出て行ったことがあった。"学費が払えなくなったら大学に通えなくなるかもしれない。"そう頭をよぎったとき、全身にビリリと一瞬で駆け巡る怒りと衝撃に、思考がショートしたのを覚えている。
わたしが目指している教員という夢は父親が帰ってこないというたったひとつのできごとだけで閉ざされる理不尽を突きつけられた現実。黒い錘がぼとりと空から落ちてきてこの先は通行止めですと言われてしまったようで呆気にとられた。
そうか。誰に何も左右されない生きていく力が必要なのだ。そのためにはもっともっと成長しないと。自己実現ができるようにならないと。
まだ見たことない景色を見てみたい。
やったことないことに挑戦したい。
わたしの原動力は、そんなきらきらしたものばかりではない。「誰かに何か」を諦めさせられる前に、自分の力で叶えたい現実をもぎとれる力を身につけなければと、危機感からくる衝動だったのかもしれない。
***
それから何年か経ち、父親は戻ってきたし今は楽しく暮らしている。大学も満足に通わせてもらい教員の道も自分の意思で選ばなかった。
ライターになり、ざまざまな人に取材をしていて思う。
やりたいことで生計を立て楽しそうに自己実現させている「生きていく力」のある人は、野心や実力だけじゃない「自分を愛すること」にも真正面から向き合っていた。
頭ではわかる。自分を好きになったほうがよいことも。自己肯定感が高いほうがいいこともわかる。でも"こころ"ではわからなかった。
なんせわたしは、人の悪口を聞くことも言うことも嫌いなのに、こころの中では自分への悪口ばかりを無意識に呟いていたから。人から言われたら傷つくような言葉を、たくさん自分に投げかけていることに気づいたのはそれら言葉をひとつひとつ紙に書き出して目にした瞬間だった。
人からされて嫌なことを自分にしては傷ついて寂しくなって。その悲しみを癒してほしくて他人に愛や承認を求めていたのだ。
愛や承認は人に求めるものじゃなく、自分が自分にしてあげるべきこと。誰かに抱きしめてほしくて笑っていたらいつまでたっても寂しいままで。自分の手で自分をぎゅっと抱きしめられるようになって初めて、何の見返りを求めずに相手を愛することができるのかもしれない。
わたしの中でひとつ、ルールができた。
自分がされて嫌なことは人にはしない。ならぬ、「自分がされて嫌なことは自分にもしない」だ。
好きになる。愛する。
ぼやっとした正解には必ず自分なりのやり方があるはず。生きていく力とは、なにも夢を叶えるために野心に燃え自己実現させるだけじゃない。
自分の人生を幸せにするために、自分で自分を満たし愛してあげる力も誰にも何も奪われない「生きていく力」なのかもしれない。