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カナダで取材をしながら「私の身体は、私のもの」について考えてみた。整形や出産について
こんにちは。生き方を伝えるライターの貝津美里です。
現在カナダ・バンクーバーに住みながら、いろんな人の生き方を聴いて本を書いています。仕事・結婚・出産・子育て・離婚・移住……といった人生の選択から、セクシュアリティに伴う生き方・家族のあり方まで。8人〜9人の日本人女性・トランスジェンダー・ノンバイナリー&クイアの二人ママのお話を一冊の本にまとめている最中です。
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これは今の私にとって「ど真ん中ストレート」のやりたいことであり、本を書くため、いろんな人の生き方をインタビューするためにカナダに来ました。でもそれと同時に、「日本から逃げたい」「一時避難したい」という気持ちもあったように思います。
特に私がしんどかったのは、男尊女卑の考え方や社会構造。日本はジェンダーギャップ指数が下から数えたほうが早いほどに男女格差があるよ、と言われても「私は日本で生まれ育って、これが当たり前だと思ってしまっているから、どのように差別されているのか、格差があるのかわからない」ということもたくさんありました。
でもなんとなく、ずっとしんどい。
それから逃げたいと思うのは当たり前だったように思います。
ここでは割愛しますが、カナダに来る前のフィリピン留学でフィリピン人女性たちとジェンダーについてディスカッションできたこと、それによって世界のスタンダードを知れたこともすごく良かったと思っています。(詳細はこちらのエッセイに寄稿しています)
女性の身体を持つ私は、カナダに来てからも気持ちが楽になることがたくさんありました。
まず、ジャスティン・トルドー首相が「私はフェミニストです」「娘と息子もフェミニストに育てる」と公言していること。
街中でLGBTQ +のエンブレムはしょっちゅう見かけるし、YouTubeや記事サイト、電車や駅のホームで、過激な広告を目にしない(脱毛や整形、ダイエット、エロ漫画など)。同性婚が認められている。結婚するときは名字を選べる。少子化のニュースを見て「若い女性はなぜ産まないのか」というプレッシャーを感じずに済む。
国籍もセクシュアリティも多様な国で「女性はこうであるべき」「結婚とはこうあるべし」「これが美の基準です!」という圧を感じない生活に徐々に自分のしんどさが、薄まっていきました。
特に見た目に関しては、「容姿」を合わせにいく必要がないのもすごく楽です。老若男女問わず好きな服装をしている。露出があったりなかったり。柄が派手だったり地味だったり。肌にそばかすがあったりなかったり。メイクをしていたりスッピンだったり。もちろん目も、二重の人も一重の人もいる。鼻の高さも、髪の色も違う。体格も、体型も、筋肉量も違う。
カナダではよくドラッグストアに雑誌コーナーがあるのですが、「美容」に関する雑誌はほとんどなく、代わりに「マインドフルネス」「健康志向」の特集が組まれている(もちろんエロ本はない…)というのも、なんだか健やかだなぁと感じます。
本当に人間っていろんな人がいるんだな。身体のつくりが同じ人はいないんだなぁと思わせてくれる日々は、自分の中にこびりついたルッキズムやエイジズムを解放してくれました。
最近日本のニュースを見ると「今の10代や20代は、整形手術がすごく身近」「みんなやっている」という発言をよく見かけます。私もまだ20代なので世代で一括りにするのは主語が大きいと思いつつも、実際にそう思っている子はたくさんいるという事実を知って、正直とても心が苦しくなりました。
(カナダに来る前に電車の中で「私らしくなるために、二重になる!料金:2万5千円から〜」というような広告を見て、これは本気で言っとるんか、とおったまげたこともありました……)
私は整形やダイエット、脱毛そのものが悪いとは思いません。やっている人を責めたいわけでもない。私はその人の身体に責任は持てないし、一生その身体と付き合っていくのは、その人だから。
でも、こうも思います。
身体について不安感を煽られ、コンプレックスを植え付けられ、その結果、安くないお金を払って「評価される身体」に「自分を変えなければならない」と思わされてしまう若い女性がたくさんいる社会構造が、悲しくて仕方がない。
私の身体なんだから、いいじゃない。私が決めたんだから、いいじゃない。
そうかもしれない。
でも、その背景には誰がいるのだろう。誰が「二重がいい」と言っているのだろう。誰が「痩せているほうがいい」「胸は大きいほうがいい」と言っているのだろう。もし友達やパートナーからそう言われているとすれば、その人たちはなぜ、「それが良い」と相手に言ってしまうのだろう。
どうしてその人たちは、「あなたの身体は世界でたった一つなのだから、そのままでどれほど尊くて大切で、宝物か。そのままでいいんだよ、そのままで充分すぎるくらい素敵で、可愛くて、美しいよ」と言ってくれないのだろう。
若い子が自分の身体にコンプレックスを感じてお金をかければ、儲かるのは、その商売をしている大人たちです。広告とは、つまり、そういうことなのです。いくら「私らしく」と綺麗な言葉でまとめられても「私らしく」を商売にしている大人がいる限り、私はその言葉の使われ方が信用ならない。ましてや「2万5千円から!」って。私らしくにお金がかかるんかいな、と思ってしまう。
「私の身体は、私のもの」とは、どういう意味だろう。
フィリピンに行って、カナダで生活をして、私なりに出た答えは、「私の身体に誰も口出しさせない、ジャッジメントをさせない」ということでした。
私も学校や職場で「ブス」と言われて傷ついたことがあります。傷が癒えたかと言われれば癒えていません。今でもコンプレックスに思うこともあります。でも、だからと言って私を傷つけてきた人のために、言われた通りの容姿になるために、わざわざ私が変わってあげようとは思いません。
私も綺麗になりたい、可愛くなりたいと思うこともあります。でも自分を活かした方法でなりたい。私に似合うものを見つけて、私の身体が損なわれることなく、誰の意見にも左右されずに、私がいいと思うものを見つけたい。
そして出産・子育てといった身体の負担が伴う決断をするときは、誰にも踏み込ませずに決めたい。国のため、家族のためではなく、自分の生き方と向き合って選択がしたい。
私の身体を自分から手放すようなことはしたくはないと思うのです。
本の中では、私がカナダでこのように考えるようになった背景やインタビューを通じて「私の身体は、私のもの」とはどういうことか、いろんな女性・セクシュアリティの方の考えや言葉も載せています。ぜひ本ができた暁には、「私の身体は、私のもの」とは、どういうことか?ということも一緒に考えられたら嬉しいです。
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連載「本になるまで」
この連載「本になるまで」では、"バンクーバーで出版という夢を追う過程"を実況中継していきたいと思います。日記のようにつらつらと綴る日もあれば、熱く何かを語ったり、時に落ち込み喜ぶ日もあるでしょう。
完成していない、完璧じゃない物語です。どのようなエンディングを迎えるのか自分でもわかりません。本当に出版を実現するのか、実現はしなかったけど自分なりに納得するゴールに辿り着けるのか、それとも後悔が残るのか。この先何が起こるかどんな感情になるのかわからないからこそ、人生の転換にもなるであろうバンクーバー生活で心が揺れた一瞬一瞬をしっかり書き残しておきたい。そう思っています。
海外で一人暮らしをしながら、毎日いろんなハプニングが起きたり、普段は感じないような気づきや驚きに巡り会ったり、自分自身もどんどん変化してく。そんな中で、本当に無事にインタビュー集を完成させ、自分の本が本屋さんに並ぶ光景を見られるのか…?
バンクーバーで七転び八起きする様子を、海の向こうから見守っていただけたら嬉しいです!
▼Instagram(主にストーリー)では、よりリアルタイムにバンクーバーライフを発信しています。よかったら覗きにきてみてください。