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何のために、誰のために、書き続けるのか。
最近、自分が書く文章に自信がない。いや、自信を持って書いた記事なんて、日記のように綴ったnoteも含めてたったの一つもない気がする。
私にとって書くことは、「好き」なことの一つだけれど、自分の至らなさや弱さと向き合わなければならない「苦しい」ことの一つでもあるのだ。
それならば、なぜ、書くのか。
フリーランスでライターと名乗り始めて数ヶ月の頃、インタビューと執筆を担当させてもらった記事が、最近公開された。
生きづらいと思っている子に、ちゃんと届く記事を作りたい。と、丹精込めて書いた。
SNSでシェアする指は、思った以上に緊張していて。それでも数日後、インタビュイーの方がシェしていただいた投稿コメントに寄せられていたのは、読者からの温かい言葉の数々だった。
気づきや、学び。安心や、共感。
頭と心を、フル回転させて書いた記事へ寄せられた言葉の数々は、ライターとして「誰かの人生を少し上向きにできた」と実感を得る、初めての経験だった。
届いた…
その感動は、思った以上に大きくて。同時に、インタビューの方からからいただいた感謝の言葉がとっても嬉しかった。手のひらにずっしりと重みのある「ありがとうございました」の一言に、達成感と充実感が心に広がる...
全身全霊で、魂込めて、書いて良かった。
私の仕事は、「その人らしさを、届けたい人に、届くように、翻訳する」ことで、世の中をほんの少し良くすることなのだ。
本当に、文章力がない。と感じる毎日。会社の日報でさえ「こんな文章ですみません...」と思う有様で。「私の職業は、編集アシスタントです!ライターです!」と胸を張って言えるような実力ではないぞ...やばいぞ...とヒリヒリする日々の中。
私は、何のために、誰のために、書き続けるのか。
すごい。と思われたくて書いているわけじゃない。有名になるためにでも、お金持ちになるためでも、褒められるためでも、ない。
言葉を、必要としている人に届ける、橋渡しがしたいのだ。その一言で救われる人がいるのなら。
私は、「人の想いを、人の心へ」届けたい。
もしかしたら、膝を抱えて部屋の隅っこで縮こまっている子も、ある本の、ある一行に出会ったことで顔を上げられるかもしれない。ある記事の、ある単語に出会ったことで、自分から扉を開け、外に出ようと踏み出せるかもしれない。
世界中にたくさんの本や記事がある中で、私が紡いだ言葉もその役割の一端を担えたのなら。こんなに嬉しいことはないのだ。
人を救えるなんて、大それたことは思っていない。けれど、人が、自分自身の足で、手で、歩き始めるときの支えになることは、できるかもしれない。
そのための妥協はしたくない。
そのための努力は惜しみたくない。
言葉は、魔法だから。その言葉をどこまでも信じる「書き手」でありたい。
そんなことを思う、夏の終わり。