酢飯と餃子とカラオケと
今から四半世紀以上前の話。
一浪して北の大地にそびえる大学に入るにあたり、一人暮らしをすることになった。自分が住むにあたってのこだわりは
1. 玄関の扉に鍵がかかる
2. 1階じゃない(1階は寒そうだから)
の2点だけだったので、親戚が住んでいたので適当に家を探してもらい、どのぐらい荷物を詰められるかのための内見を一度だけして即契約した。
それが初めての一人暮らしの場所「北24条」
通称ニーヨン、札幌ではすすきのに次ぐ規模の猥雑な飲み屋街だった。
ずっと一軒家しか住んだことがなかったから、エレベーターに乗って自分の部屋に行くことがなんだかうれしくてたまらなかったもんだ。
今もそうだが、断捨離とは真逆な生き方をしている私は部屋5畳弱のスペースに目一杯自分の持ち物を格納した。
ベッドを置くなんて夢のまた夢。布団を敷くと机や棚に張り付いた。
寝ている以外の時間は基本的に1畳用の電気カーペット分が生活スペース。
ある友人は部屋に来てはけらけらとそのスペースを「あなたの1畳間」と呼んだ。玄関と台所に3畳分ぐらいのスペースがあったので、帰れなくなった友人は良くそちらに寝かせていた。
何をしても自由、何もしなくても自由。
わたしの城。家賃は3万、19歳でもなんとか払える値段だった。
引っ越して半月ほどで自転車が盗まれた。
交番に行って住所告げたら「住んでいるところが悪い」と怒られた。
えー。
そしてそのマンション、記憶が正しければ1階には回転すし屋があり、2階には占いの館と焼肉屋があった。同じ階に近所のみよしのの作業部屋があって黄色い服の人と良くすれ違った。玄関を開けると常に酢飯と餃子のにおいがした。更に駅のすぐそばだったので隣はスナックがたくさん入った雑居ビルで、夜通しおじさんのカラオケで歌う声が聞こえてきてた。3日もすれば両方とも慣れた。隣の家の人が在宅中はGet Along Togetherを一晩中サビだけ歌っていたのにはなかなか慣れなかった。(Get Along Togetherだって気付くのに3日ぐらいかかる下手な歌いっぷりだったし、全然上手にならなかったから。)
近所には25時まで開いてるスーパーがあった。よく考えたらあの頃にこれってまあ夜の街の証明だったのかも。スーパーまでの道すがら「うきうきサロン団地妻 北海道1号店」ってピンサロがあった。泥酔した時にそこの呼び込みのおじさまに2号店どこじゃいと絡んだこともある。おじさまの回答は…覚えていない。
つまりあれだ、結構なカオス。混沌。
すすきのほどじゃないけど、まあまあ眠らない街。
それがとても楽しかった。
今となってはあのマンションも思い出の中だけに…と言えれば美しい話なんだけど、このマンションまだ元気に存在してるんだよね。壁の色塗り替えて。だからこれ書いた時点で場所わかってしまうかも。
今はどんな人が住んでいるのやら。
そこ、とっても楽しいでしょう?いいよね、ニーヨン。