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軟派な理由で子どもを預ける

 子育て期間中の「私の」QOL(生活の質)を左右することのひとつに,

 「軟派な理由で子どもを預ける先があるかどうか」

 があるんじゃないかと思っている。核家族で両親遠方,なんていう状況に置かれていると,「いざ」という時に頼れる人が身近にいてくれると心強いものだが,私がここで言いたいのはそんな緊急事態のライフラインみたいなもののことではない。そうではなくって,オットの帰りが遅いけれど「忘年会行きたいなー」なんて時に,「ちょっとお願いできる?」と気楽に尋ね合える友人がいるかどうか,ということである。別に忘年会なんて行っても行かなくてもいいし,「仕事」とか「学校行事」とか「体調不良」みたいな誰がみても「正当な理由」じゃなくて,とりあえずあるのは「飲みたい!」という軟派な理由のみ。でも「できたら飲みに行きたいなー」というのがその時の素直な気持ちだとしたら,それを「なかったこと」にしないでとりあえず「ねーねー」と当たってみる先がある,というのはなんともありがたい。お互い「子育て中だって,飲みに行きたいのはフツーだ」と思っているからこそ成り立つことだし,いや別に「飲みに行く」は単に例のひとつにすぎなくて,「理由のいかんにかかわらず,その人がそうしたいんだったら子ども預かるよー」と思い合える関係をひとつでも築けたことは,確実に私のQOLをぐいんと押し上げていると思っている。

 そして子どもが行ったり来たりしていると,なんかもう友人の子どもが我が子のように思うしかわいくて仕方がないのである。我が子のようだ,が言い過ぎなら,少なくとも「他人の子とは思えない」・・・同じことか。まぁとにかく血縁ではないんだけど,「家族」が拡大する感じとでもいったらいいのか,「来てくれる」ってなったらすんごい嬉しいのである。もう一人立ちしてたまに帰ってくる子どもを喜んで迎えるお母さんのごとく,お料理だってはりきっちゃう。「入学式の時のそのかわいい美少女写真をおばちゃんにくれ。」とか変態みたいなことだって口走っていたりする。だから,「預かるし,預かって」みたいなギブ&テイクで成り立っているのでもなく,こういうのを何て言ったらいいんでしょうね?うむ。子どもの持つミラクルな力が介在していることは間違いない。・・・「飲み会行きたい」って,子どもを一時的に邪魔者にしておいてなんであるが。

 あんまり他者に頼らずに頑張っておられるお母さんたちはそれだけですごいと思う。でも「1人ではできん。」という軟弱な私が人を頼った先には,「よそんちの子もすんごくかわいい」という幸福が待っていたのも事実である。だから頑張りきれない人は,すこーし「家族」というものを開いたらいいんじゃないかな,と思う。

 まだ介護がリアルな生活に入り込んできていないのであるが,そのうちに「うちのおばーちゃん,ちょっとみてて。」なんてことも起こってくるんだろうか。そうなるといいな,と密かに思っている。

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Nishio Misato
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