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クロネコ谷の日々2章のはじまり

これは思いもしないことだった
いつか来ることはわかっていた
時が止まったように前に進むことができない
ただひたすら
悲しくてしかたがない
モモが居なくなってしまったことにまだ慣れることができないでいる

猫がわたしより短い命であることは始めからわかっている
モモが体がよわくてジジより先に逝ってしまうだろうとも

それでも今じゃないと思って、まだ側にいれくれるものだとばかり信じていた

昨年の夏に体調を崩して病院へ連れて行き、甲状腺亢進症と診断された。処方された薬はよく効いて体調は見るからに良くなってほっとしたが、もちろん油断はできなく、いつもモモの体調に気をかけていた。気にかけてるつもりだった

でもいつ頃からだろう、モモの影が薄くなってきてるように感じる時があり、モモとの時間を大切にしなければと自覚した記憶がある

以前は夏にカットした毛や落ちているヒゲを大切にとっていたのに、今年は、また出るからと保管せずに全部捨ててしまった。大事に取っておくなんて事は、まるでモモが居なくなるようだからそうしたくなかったのだ

モモの命があと少しだなんて認めたくないから、モモの不調について感づいた事をすべて否定して無視してしまったかもしれないとおもう

さらに初夏に母が急逝したために家を留守にすることが増えた。猫たちだけなら出来なかったが、家人が留守番してくれるから安心して家を空けた。わたしは安心できる環境に甘えてモモの変化に鈍感になってしまっていた

振り返るといくつかの分岐点となるモモの様子が思い浮かぶ。どうして立ち止まらなかったのだろう。どうしてもっと向き合ってあげられなかったのか。後悔ばかりが押し寄せている

モモは短命ではなかった。15歳と2ヶ月のほとんどを元気で楽しく過ごしていたと思う。後悔は、わたしが、モモの側にもっといたかった、あの日出かけなくても良かったのに…

10月21日にモモが空へ旅立ってから、わたしはぐるぐるとずっと同じ所を回っている。ジジもいるのだ、生きていかなくては。やるべき事は山程あり、次に作りたいものについて考える。そしてそこで止まってしまう

周りのものに関心が持てない。
良くない兆候だ。
こんなにも自分にとって大切だったモモ。

いつかまた戻ってきてくれるように、その時はもっと余裕のある自分でありたいから、そうなれるように。モモが望んでいるわたしは、自分自身がありたいわたしと重なっているのに。これからの人生は、モモの好きなわたしでいられるようにしよう

またいつかかならずね
モモちゃん

2024年6月のモモ


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