先週、ドリアンパン学校で一緒に学ぶ同期の仲間が集まった。 今回は来られない仲間たちの顔も思い浮かべながら、これから訪れるだろう会える機会を想ってワクワクしつつ、今回来られた仲間たちと会えたことへの喜びでいっぱいになりながら、あっという間の数時間を過ごした。 毎月1回オンラインでの全体セッションがあるので、画面越しに顔を合わせてはいるけれど、同じ空間で直に会うというのは伝わり合うものが全然違う。 たぶん、お互いの湖の水が交流しあって、ものすごく良い循環が生まれていた。 い
昨日のこと。 信頼している人との関係がギクシャクしてしまった。 原因は、私が思い違いをしていたこと。 誤って理解していたことで相手に迷惑をかけてしまったので、理解に間違いがないか確認不足だったことを、自分の非として深く反省し落ち込んでいる。 その一連のやり取りの中で、とても辛かったことがある。 1つは、なぜ思い違いをしてしまったのか、その理由についてどんなに言葉を尽くして説明しても、「そんなことは有り得ない、理解できない。」と跳ね除けられてしまったこと。 もう1つは、「そ
先日、「執着について」の投稿で、無理のあるスケジュールを組んで頭痛がちになっていることを書いた。 自分にとって1番大切な「健康であること」を柱に生活を組み立てることを最優先に。 ただ、それによって頭痛との付き合いが完全に無くなるものではなく、私と頭痛の関係はなかなか深いものなので、その経験を少し書いてみます。 慢性的に頭痛が出るようになったのは20代。かれこれ20年の付き合い。 それでも、30代半ばまではそこまで酷く出ることは少なく、生活に支障ない程度で付き合えていた。 け
まだあります、執着のお話。 それは、この「note」への投稿について。 書く内容とその順番、まずこういう投稿から始めて、その上で次はこれで… その構成が大切だと考えてそれを優先してしまっていたがゆえに、 最初の投稿を書けないと次へ進めない状態に。 そうこうしているうちに、パン学校の授業内容と絡めて書いていきたかった内容と実際の授業とにタイムラグができてしまい、ますます書くことが追い付かない。 仲間たちは日々、投稿をアップしていく。できていない自分に焦る、 どんどん苦しくなる
執着とは 「1番大切なものを置き去りにして2番目に大切なものを優先すること」 最近の授業(パン学校での東洋医学/東洋思想の授業)でそれを聴き、 心に刺さった学びの一つ。 私の執着とは?への理解は「1つの物事に固執し過ぎること、その結果、視野が狭くなること」 そんなようなものだった。 そして自分では、この1年ほどで執着を手放せるようになってきていると思っていた。 けれど、”1番大切なものを置き去りにして”2番目を~、で自分を振り返ってみると、いやいや…まだまだ執着してますよ
「小麦で作るパンは体に悪い。」 そういった情報を目や耳にしたことがあるかもしれません。 結論から言うと、「小麦について正しく知らなければ、体の健康を害する可能性はあります。けれど、正しく知れば、心の健康を助ける味方になります。」 これは、私が学ぶパン学校での、東洋医学の先生からの教えによるものです。 詳しくお話ししていきます。 ⚫︎東洋医学における小麦 •生薬名:しょうばく •性質と作用:甘微寒 (甘=緩める、微寒=やや熱をとる) 肝と心へ作用する →肝へ作用して興奮
1年ほど前の私。「このままでいいのか?私は何をしたいんだろう?」「ただ物理的に生きているだけの存在になっている…私には何も無い。空っぽな人間だ。」そんなことを1日に何度も考えていた。 20年近い時間をほぼ働き続けてきて、その都度、全力で仕事に向かっていたけれど、心身疲れ切った毎日が繰り返される中で、今までの在り方に限界を感じていた。 その一方で、 もがいて浮上しかけては沈んで、また底からもがいて浮上しかけては沈んで… そんなふうに何十年か生きてきた私は、退職前の2年くらい、