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起業二年目の気持ち~guesthouse Nafsha~

guesthouse Nafshaのグランドオープンから、一年が経った。
慣れないリノベーションとコロナ禍での開業とを経て、Uターン移住をして数年間経った今だから感じることを、ここに書いておこうと思う。

昨年夏ごろから、朝の散歩をするようになった。
と言っても、気温がマイナスになる冬のあいだは除くし、毎朝するわけではないので、ごくごく緩やかな気分転換のような位置づけだ。
岩瀬の環境が素晴らしいことはこれまでも何度か書いてきたが、改めてやっぱり、素晴らしいと思う。春めいてきた今ごろはもう最高で、一面の菜の花の黄色と早咲きの桜の淡い色合いのコントラストが、疲れた目に春の喜びを運んでくれる。そして岩瀬の田んぼ道を歩きながら、私はいつも思うのだ。「今日もこんなに美しい。ありがとう」と。

ゲストハウスという“場つくり”をしたい。宿というより、私たちのここでのリアルな“暮らし”に触れて、「福島で暮らすっていいな」を少しでも感じてもらいたいというのが、当初からの目標だった。リノベーションというハコ作りをする上で、“予め”決めておかなければならないこともあった一方、暮らしを築くってそんなに簡単じゃないのにな、はじめからどうなるかなんて分からないのにな、という想いも無視できずにいた。
開業してから一年、リノベーションを終えてから二年経った今、その時の違和感への答えが、少しだけ見えそうな気がしている。

それは、“暮らし”って生き物なんだということ。私たち人間が営むから常に一定の状態でなんていられないし、良い時も悪い時もあって、それらが予測不可能なリズムでやってくるということ。
現代のビジネスでは、「いつでも同じであること」が信頼の指標として用いられる場合が多い。でも私たちがここで実現したいのは、単なるビジネスではない。“暮らし”と“生業”が混ざり合って、その形態事態がゆらゆらとふつふつと有機的に変化しているのだ。「常に一定」なんてことはあり得えないのは、それが私たちの”生き方そのもの”だからだと思っている。

朝の自然の中を歩いているとよく思う。生きることの中には、色んな“良い”や”悪い”があるなと。感情だって喜怒哀楽があるから人間らしくいられるし、体だって調子の良い時と悪い時があるから、健康であることに感謝できる。今置かれてる環境だってそうだ。理想があるから苛立つし、辛さを知っているから有難く受け入れられる。目の前で日々移ろう季節にさえ、冬が来れば春の温かさを待ち焦がれて、夏が来れば冬の凛とした冷たさを懐かしんだりする。人も自然も、この世の中のあらゆることが「良いこと」と「悪いこと」を含んでいるから、豊かな均衡を保っていられるのだ。

一年間、私たちの暮らしとたくさんのゲストを受けれてくれたこのNafshaというハコを眺めて、今とても微かにではあるけれど、確信めいたものを感じている。
はじめは綺麗だった壁にも少しずつ汚れがついて、張り替えてもらった床はほのかに傷ついてきた。だけどそれらの経年変化は、私たちがここで生きてきた証でもある。まっさらな傷ひとつない空間では、命は育めない。そのことを思うと、私たちの歩んできた道は間違っていなかったと思える。人生は計画書通りにはいかない。予測できないから、私たちは生き物として健やかに暮らしていける。分からなさに向き合うから、外ではなく内に問いかける時間を持つことができる。思いがけない辛さや想像を超えた喜びがあるから、人は誰かと一緒に生きることをやめられない。

この『guesthouse Nafsha』という場所と一緒に、喜び、哀しみ、時には憤りそして思い切り楽しみながら、二年目も自分たちらしく暮らしていこうと思う。

まとまらない文章となってしまいましたが、春のはじめの抱負として。

03APR2022
guesthouse Nafsha
佐藤聡・美郷

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