福島には、女の言葉が足りない。
この文章はローカルエディターである私、佐藤(門馬)美郷が、自身の運営するWebメディア『ff_私たちの交換日記』で綴ったコラムからの抜粋です。フルバージョンは記事下記のリンクからお読みいただけます。
この数か月、何をどう書けばいいのかが分からず、文章を書くということから意識的に遠ざかっていた。昨年の暮れに弟が死に、それ以前と以後での私のすべてが変わってしまった。弟がいなくなってしまった世界で、自分の中から出てくる言葉がどんなものか、自分自身でも知るのが怖かった。彼の死から3カ月。百カ日を迎える今日、はじめて筆を取る気持ちが芽生えてきたので、ここからまたはじめていこうと思う。
〝彼ら〟の復興の歩み
この数か月のあいだ、感じたり考えたり「これは残しておきたい」と思う事柄は度々あった。中でも今改めて触れておきたいのが、『福島には女の言葉が足りていない』という実感についてである。ジェンダーであれこれ語ることがタブーの今日において、〝女の〟なんて冠した表現は毛嫌いされるかもしれない。しかしここで言いたいのは、フィジカル的な意味での女性ではなく、その在り方についてである。
あえて〝女〟という言葉を使うのには、理由があるのだ。
東日本大震災が発生した2011年から丸12年が経った。当時24歳だった私も37歳になり、結婚をして、ライフステージも考え方も少しずつ変化してきている。当時からプライベートで復興関連の活動に取り組んできた私は、その中で出会った先輩世代の活躍も肌で感じてきた。会津で、中通りで、浜通りで。福島のそれぞれのエリアで頭ひとつ分抜きんでて、パイオニアとして道を切り拓いてきた彼らは、いつも何かと闘っていた。復興の課題と、行政との折衷と、地域住民からの視線と。そのたくましい背中を見ながら「私も頑張らねば」と襟を正す一方で、ふと気づくことがあった。〝彼ら〟のほとんど男性だということだ。
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