ロゴ制作からアイ・ラブ・ユーを考える
正直なところ、ロゴ制作は現時点でまじでふわ~っとしか進んでないので、あまり書けることがありません(苦笑)。
ちなみにロゴ制作は山形でグラフィックデザイナー(雇われ)として活動する私の実弟、門馬太一郎に依頼しています。
結婚式のロゴもつくってくれた太一郎。姉が言うのもなんですが、とてもいいの作ってくれました。アイキャッチのロゴがそれです。
今回も色々と考えて提案してくれる太一郎に、
「う~~ん、なんか、ちがう」とか
「ちょ~っとここが、あれなんだよなあ」とか
オー人事オー人事並みの受け答えをする姉・わたし。
それでもよく付き合ってくれています。
ロゴ制作って簡単に言うけれど、限られた(もしくは無限とも言える)条件の中で、その人やモノの本質とか一番大切なところを表現しなきゃいけないのは、とっても大変な作業だと思います。
太一郎と話していても「それだと綺麗だけど意味は弱いよね」とか言われたりして、なるほどなあ、と。
でも一方でも思います。
—― もう、意味なんてなくてもよくね?
と。
「やる意味」「つづける意味」「はじめる意味」「あなたがやる意味」「ここでやる意味」「あそこと違う意味」…エトセトラエトセトラ…
情報や競合がありすぎて、みんながみんな「差別化」を求めてるし、そのための「意味」を渇望してる。
―― つかれるわー(やさぐれ感)。
例えばですね、誰かに愛の告白をされたとして、それが
①あなたのその円らな瞳とかわいい口元と艶やかな髪と愛嬌のある笑い声と聖母のような包容力とあの時かけてくれた優しい言葉とが僕の心から離れないから好きです。
と言われるのと、
②めっちゃ好き!なんか知らんけどめちゃ好き!!ラブユー!!!
と言われるのとでは、絶対後者のが嬉しくありませんか?(好みの問題か)
好きな理由はもちろん挙げればたくさんあるのだろうけど、結局のところ「めちゃ好きーーー!!!」が心の根底になければ何も始まらないのだと思うのです。というか「何か意味がなければ存在しちゃいけない」みたいな潜在意識のが怖い。想像してみてください。意味はありありだけど、全然ワクワクしない世界を。もうそんなものこそがザ・無駄。悪夢だと思う。
ということで、行き詰ったロゴ制作から逃避するための脳内ひとりargumentはここらで終了します~~。ぐだぐだ言ってないでがんばるぞ~~。
25JAN2020
Misato