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センスとは知識量のこと(個人の見解です)

以前作品展示をしていて、見に来られたから「センスがないから自分には作れない」と言われました。
そのときについ、

センスというのは、今まで見てきたたくさんの物の中から合いそうなものたちを引き出してつなげる力のことです!
センスがないというのはストックしている知識量が足りない状態のことなので、センスを身につけたいならとにかくたくさんいろんなものを見て経験すればいいんです!

などと力説してしまいました。

かく言う私自身センスがあるとは思っていなくて、人から「センスいいね」など褒められてもなんとなく何を嬉しがればいいのかよくわかりませんでした。

前にデザイナーの友達が「たくさん勉強して身につけたセンスを、さも元々持っている特徴かのように褒められたくない」と怒っていたのを思い出しました。

「センスがいい」というのはその時々で適切な判断ができること、場面にぴったりのデザインや装飾、演出を持ってこれることだと思います。
たまになんの勉強もしてなくてもなんとなくの雰囲気で良い感じのチョイスができる人もいます。でもそれはきっと、その人が勉強という気持ちを持っていないだけで過去にたくさん色んなものを見てきた記憶の積み重ねがあるからだと思っています。

要はインプットです。そしてそのインプットは、仕事とは異なる場面から得る方がいいです。
チラシのデザインをうまく作れるようになりたいからといってあらゆるチラシデザインだけ見るのではなくて、映画やドラマの絵作り、イベントや舞台の装飾、建物や家具、身の回りの小物、あらゆる場面にデザインのヒントが潜んでいます。

知人の服飾デザイナーさんも、「デザインのアイデアは日常のすべてから思いつく」と話していました。音楽を聴いているとき、散歩しているとき、さまざまな経験をすることで知らず知らずのうちにセンスというものは磨かれていくのだと思います。

「センスの磨き方」という本を読んでもセンスは磨かれません。そこには「センスを磨くための方法」が書いてあるだけです。その本を読んで、その方法を知って、実践してみることが一番大事。

でも「インプットすること」が目的になってしまうとインプットが苦痛になるので、あくまでやりたいことをやるという意識でいる方がいいです。
インプットのために映画を見るのではなく、ただ面白そうだから見る、話題になって気になるから見る。そこで「自分はこの作品のどこを良いと思ったのか」をしっかり言語化して頭の中に留めておくことができればきっとインプット大成功です。
好きな本はたくさん読めるしすぐ詳しくなるけど、夏休みの読書感想文のための課題図書は読む気になれないし作文も書けないアレと一緒です。

あくまで主体的に、自分が興味のある範囲から始めること。そうすればきっとより多くのことを知りたくなってインプットの幅が広がっていくと思います。

などと大層なことを言っていますが私自身そのようなことが意識的に出来ている自覚はまったくなく、それが「私はセンスがあると思っていない」と
自称する要因になっている気がします。

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