エスカレーターと、おじいさん。
平日朝の銀座駅。
いつものようにエスカレーターに乗ると、普段とは少し様子が違うことに気付く。
エスカレーター右側の、いわゆる「歩行者用レーン」が詰まっているのだ。あれ?と思い視線を上げる。渋滞の先頭にいるのは、70代くらいのおじいさんだった。
右側は急いでいる人のために空けておく、という暗黙のルールが分からなかったんだろうな…。しょうがないしょうがない。
そう思いながら右列をチラリと見ると、明らかに苛つくサラリーマンの顔がある。頭を横にずらして前方を見上げ、睨みつけるような人もいる。いよいよ舌打ちが聞こえてきた。
前提として、おじいさんは悪くない。「右側は急いでいる人のために空けておく」という暗黙のルールが勝手に社会に浸透しているだけで、鉄道会社は元々エスカレーターで歩行しないように、と伝えている。
それでも、平日朝の駅には1秒を争う人が大勢いるというのも事実。苛ついてしまう気持ちも正直分からなくもない。
微動だにしないおじいさんと、「邪魔」と誰かが言ってしまいそうな凍った空気に、私は思わずハラハラしてしまった。
長い長い10秒が過ぎて、おじいさんがエスカレーターを降りたようだ。人々は弾けるように散り散りに走り出した。
私は人混みの中でおじいさんとちょうど横並びになり、あることに気付いた。
左腕にギブスを装着していたのだ。
だから、右側に立っていたんだ、右手でしか自分を支えられなかったんだと、ようやくここで気付いた。
もしかしたらおじいさんは、右側は急いでいる人のレーンだと知っていて、刺さるような視線を背中で感じながらも、ぐっと我慢していたのかもしれない。
想像力が足りず、「この年齢なら暗黙のルールを知らないのはしょうがない」「急ぐ人の気持ちが分からなくもない」と、第三者として勝手に論じていた自分が恥ずかしい。
気付かずごめんなさい。お気をつけて。そう思いながら、おじいさんの前を通り過ぎる。
目の前の事実だけで勝手な判断をしないように、そう心に留めて会社へと向かった。