バンコクでぼったくりに遭った日
「タイ料理を現地で食べてみたい!」という理由で、バンコクへと旅立った7月。約3週間の旅は、トムヤムクンの出汁くらい濃厚だった。
いやほんと、現地で食べたトムヤムクンが、言葉を失うレベルで美味しかったんですよ。早速だけど、まずは食について語らせてほしい(笑)。
1年かけて煮込んだの?っていうくらいの海老のコク。しかもそれが、個人経営のお店で、不機嫌そうなおばさんによって提供されるんだから、最高なのだ。「私は美味しいものを作る。あんたはそれを食う。以上だ」と言わんばかりに、接客に笑顔はなく、どんぶりはドンと置かれる。微笑みの国……?
でもね、この最低限の接客が、むしろ心地よかった。味で殴ってくるおばさん、一発KOの私。一本勝負の戦いという感じで、興奮した。ここで味わえるので、バンコク旅行の際はぜひ訪れてみてほしい。
時差は2時間なので、仕事の支障は全くなかった。日中はジリジリ暑くてこんがり焼けるけど、観光地も多く、治安も悪くなく、交通網も発達していて、ご飯も最高で、タイがなぜこんなにも日本人に人気なのか、納得感しかない旅だった。
でもね。一個だけ苦い思い出がある。ぼったくりに遭った。
その日は、ワット・アルンとワット・ポーという観光地に訪れた。お昼時だったので、とりあえずランチをとることにした。にこにこ笑顔で客引きするおばさんに惹かれ、入ってみることに。
グリーンカレーを頼んだら、サラサラとしたスープが出てきた。私が知るグリーンカレーは、もっと辛くてドロドロしている。あれは、日本人向けにアレンジされていたのか。現地のグリーンカレーは、ココナッツミルクの甘さが前に出てくる、優しくてホッとする味だった。これもまた好きだ。
美味しくいただいて、お会計を頼んだ。たしか、300円くらいだったかな。さっきメニューを見たときに、そう書いてあったはず。日本人からすると、タイの物価はやっぱり安く感じる。こんなに美味しくて安いなんて、ほんとすみません、ありがとう。タイ、住みたい。タイ、ラブ。
おばさんは相変わらず客引きしているので、おじさんがお会計を持ってきてくれた。伝票の値段は、1000円だった。あれ、なんか伝票に、余計なものが足されている。タイ語だから読めないけど。
え、どうしよう。と一瞬だけ悩んだ。私いま、ぼったくられようとしているよね?
でも、「いや違うだろ300円って書いてあったの私知ってるんだからな〜!」と捲し立てる勇気も語学力もなく、隣に座っている地元の人っぽいお客さんがニヤッとこっちを見ていたけど、そのまま支払うことにした。「あ〜ぼったくられてるねぇ」という笑いだった。
被害総額、700円。なんだ、そんな小さな額かよ。と、突っ込まれそうだね。
マジで、大したことない。うん、それは自分でも分かっている。日本で食べるくらいの金額だから、ショックを受ける私は、器が小さいよね。
でもね、なんか、傷ついた。「怒り」よりも「悲しみ」だった。
騙してもいい存在
不快にさせてもいい存在
と、誰かに思われてしまったことが、ショックだったんだと思う。それが、友人知人でもない、二度と会うことのない相手だとしても。
ぼったくられたことよりも、ぼったくってもいい存在だと思われたことが悲しかった。
自己肯定感が高めの人間だったら、一瞬だけイラッとして、それで終わりなんだろうな。私の小さな自尊心が刈り取られちゃったから、ダメージ受けたんだろうなぁ。はぁ、闇深い。もうね、おじさんはそんなに悪くないよ。こんなことでクヨクヨする私が問題ありだよ。
ひとまず観光地に向かうことにした。
日本で見たことのないような建造物。面白くて、あっという間に時間が過ぎていった。
少し移動して、ワット・アルンの対岸にあるバーへ。風を浴びながら眺めるワット・アルンは最高だった。ピニャコラーダを飲みつつ、ぼーっとした。
たしかに、美しかった。美しかったのだけれど、私の体内のどこかに、ぼったくりのショックが、河原の石ころのようなサイズで、まだ一個だけ残っていた。しつこい。こういう切り替えの悪い性格が、自分でも嫌いだ。「クヨクヨさん」とでも呼んでくれ!
夜も更けてきたので、クヨクヨさんは帰ることにした。帰りのタクシーは、Grabというタイでメジャーなタクシーアプリを利用した。
幸運だったのは、タクシーの運転手さんが、懇切丁寧な方だったことだ。タイの交通事故量は社会課題だと聞く。前にタクシーに乗った時、「よく事故らなかったな」と思えるほど荒かったから、この日は安全運転で安心した。
終始優しい表情で、好感の持てる運転手さんだった。だから、チップを渡したくなった。Grabはカード決済だから、普通はチップを渡さないみたい。でも、気持ちを伝えたくなった。
多くも少なくもないであろう金額を決めて、タクシーから降りるとき、チップを渡そうとした。すると、運転手さんは眉尻を下げ、首を横に振った。外国人の私でも分かった。彼は「No」と伝えているのだ。「そんな、悪いですよ」と。
衝撃。
え、なんで。
私は混乱した。
だって、喜んで受け取ってもらえると思ったから……。
私は引き下がらず、もう一度チップを握った手を前に出した。運転手さんは申し訳なさそうに、それでも最後にはにっこりと笑ってチップを受け取ってくれた。
私は、走りゆくタクシーの後ろ姿を見つめながら、しばらく動けなかった。ショックだった。気付いてしまったのだ。自分の中にあった偏見に。
「タイの人は、日本人を“ぼったくってもいい存在”だと思っている。チップを渡したら絶対に喜ぶ人たちだ」
言葉にするのも恥ずかしいし、情けない。でも事実、私は日中の出来事を経て、そんな偏見を抱いてしまったのだ。この旅でぼったくってきたのは、あのおじさんだけ。それなのに、たった一人の言動に影響されて、「タイの人は」というデカすぎる主語で、私はこの国の文化や人に、色を付け始めていた。やだやだ。
運転手さんは、私を一人の乗客とみなし、日本人だろうがなんだろうが関係なく丁寧に扱い、料金以上のお金を受け取ることに恐縮していた。素敵な人だった。
それなのに私は、「チップ、絶対喜んでくれるでしょ」というスタンスで、運転手さんと向き合ってしまった。ごめんなさい。無意識の偏見に気付かせてくれて、ありがとうございました。
偏見の粒と、石ころのように転がっていた苦々しい感情は、運転手さんとの交流によって、バンコクの夜に溶けていった。全部含めて、いい1日だったな、と思う。
旅とは、自分と向き合うこと。バンコクのあの1日が、そう教えてくれた。