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いまさら聞けない ガザ侵攻③

はじめに

 この記事は、ガザの戦争に関する一連の分析記事の続きです。前回の記事では、イスラエルとパレスチナの歴史的背景と、現在のガザ紛争の主要な要因について詳しく解説しました。今回は、特にイスラエルとイランの敵対関係に焦点を当て、その歴史的背景、宗教的対立、地域的な利害関係を深掘りします。また、サウジアラビアの取り合いに関するイラン、アメリカ、中国の視点と、中東におけるアメリカと中国のビジョンの衝突についても分析します。

以下に前回の記事のリンクを再掲しますので、まだご覧になっていない方はぜひお読みください。




イスラエルとイランの敵対関係の歴史

1. 初期の関係

 イスラエルとイランの関係は、イスラエルが1948年に建国された当初は比較的良好でした。当時のイランはパフラヴィー朝の支配下にあり、アメリカと西側諸国と親密な関係を築いていました。イランは1950年にイスラエルを事実上承認し、経済的および軍事的な協力も行われました。イスラエルとイランは、地域の安定と共通の敵であるアラブ諸国に対抗するために協力関係を築いていました。

この時期のイランは、親米的なパフラヴィー王朝によって統治されており、国内の近代化と西洋化を推進していました。イスラエルは新興国家として、地域内での孤立を避けるためにできる限りの外交努力を行っていました。このため、イランとの関係はイスラエルにとっても重要でした。イスラエルはイランに対して軍事技術や情報を提供し、イランはイスラエルに対して石油を供給しました。

2. イラン・イスラム革命と関係の悪化

 1979年のイラン・イスラム革命は、イランとイスラエルの関係に劇的な変化をもたらしました。この革命は、アメリカと密接な関係を持っていたパフラヴィー朝(王権)を打倒し、アヤトラ・ルホッラー・ホメイニーが指導するイスラム教シーア派の宗教国家を樹立しました。革命の結果、イランはアメリカやイスラエルを「大悪魔」と「小悪魔」と見なし、敵対的な姿勢を強めました。

解説図1: 1979年のイラン革命とイスラエルとの関係悪化


図は、1979年の革命がイスラエルとの関係に与えた影響を示しています。イランが王政からイスラム共和国に移行する過程を示し、イスラエルとの関係が敵対的に変化したことを表しています。図中のアイコンは、王政の崩壊(王冠に斜線)とイスラム共和国の台頭(イスラムの象徴である三日月)を表し、イスラエルとイランの関係が敵対的になったことを赤い矢印や交差した剣のアイコンで示しています。

<時系列の確認>
1948年
: イスラエル建国
1950年: イランがイスラエルを事実上承認
1979年: イラン・イスラム革命


宗教の宗派の確認>
イスラム教シーア派
: イランの主な宗派であり、少数派ですが地域的には影響力が大きい
イスラム教スンニ派: サウジアラビアを含む多くの中東諸国の主な宗派であり、イスラム教の多数派

 革命以前のイランは、アメリカの支持を受けた世俗的な王政国家であり、西洋化と近代化を進めていました。しかし、多くのイラン国民はこの政策に対して反発し、特に宗教的指導者たちは王政の腐敗やアメリカの影響力を強く批判しました。ホメイニーはこうした不満を背景に、革命を指導し、王権を打倒してイスラム教に基づく政府を樹立しました。

ホメイニー政権は、イスラエルを「小悪魔」と呼び、イスラエルの存在を否定する強硬な反イスラエル、反西側の立場を取りました。これにより、イランとイスラエルの関係は急激に悪化しました。また、ホメイニーはパレスチナの解放を支持し、パレスチナ解放機構(PLO)や後にハマスなどの反イスラエル勢力を支援しました。

さらに、この革命は中東地域の他の王権国家にも影響を及ぼしました。特に、サウジアラビアは王権国家であり、スンニ派の中心的存在として、シーア派のイランと対立する構図が生まれました。サウジアラビアはアメリカの強い同盟国であり、イランの革命はサウジアラビアにとっても大きな脅威となりました。

<勢力図の変化>
パフラヴィー朝時代
: イランとアメリカの強い関係
革命後: イランとアメリカ、イスラエルの対立激化
サウジアラビア: アメリカの同盟国としてイランと対立


3. 聖地の状況

 イスラエルとイランの敵対関係の背景には、聖地エルサレムの状況も大きく影響しています。エルサレムはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地であり、特にイスラム教徒にとっては第三の聖地です。イランのホメイニー政権は、イスラエルがエルサレムを統治することを強く非難し、イスラム教徒の聖地の保護と解放を訴えました。イランはイスラエルのエルサレム支配を不法とし、これを国際社会に訴えるとともに、武力抵抗を支持しました。

エルサレムの問題は、イスラム教徒全体にとっても感情的で象徴的な問題であり、イランはこの問題を利用してイスラム教徒の支持を得ようとしました。ホメイニーはイスラム教徒の団結を呼びかけ、イスラエルのエルサレム支配を打破するための「聖戦」を訴えました。このような背景から、イランとイスラエルの対立は宗教的な色彩を強め、地域全体に波及しました。

4. レバノン内戦と代理戦争

 1980年代のレバノン内戦中、イランはヒズボラを通じてレバノン南部での影響力を拡大し、イスラエルと直接対峙することが増えました。ヒズボラはイスラエルに対する攻撃を繰り返し、イランはその背後で支援を続けました。ヒズボラは、イスラエルに対抗するための主要な武装勢力となり、イランはこの組織を通じてイスラエルに圧力をかけ続けました。

ヒズボラは1982年のイスラエルのレバノン侵攻に対抗して結成され、シーア派イスラム教徒の支持を受けて成長しました。イランはヒズボラに対して武器、訓練、資金を提供し、ヒズボラはレバノン南部を拠点にイスラエルへのロケット攻撃やゲリラ戦を展開しました。これにより、レバノン南部はイスラエルとイランの代理戦争の舞台となりました。

5. 核開発問題と経済制裁

 2000年代に入ると、イランの核開発問題が浮上し、イスラエルとの緊張がさらに高まりました。イスラエルはイランが核兵器を開発することを強く非難し、国際社会に対して経済制裁を求めました。これに対し、イランは核開発が平和利用であると主張し、対抗姿勢を示しました。

第二次世界大戦後の背景:
 第二次世界大戦後、核兵器の保有は国家の軍事力と政治的影響力を象徴するものとなりました。イスラエルは核兵器を保有することで中東地域における戦略的優位性を確保しており、イランの核開発はこの均衡を崩す可能性があると見なされています。イランは核エネルギーの平和利用を主張する一方で、イスラエルは核兵器開発の隠れ蓑であると疑念を持ち続けています。

国際社会もこの問題に対して二分されました。アメリカやヨーロッパ諸国はイランに対して厳しい経済制裁を課し、イランの核開発を抑制しようとしました。これに対し、中国やロシアはイランとの経済関係を重視し、制裁には慎重な態度を示しました。イランはこのような状況を利用し、自国の立場を強化しようとしました。

6. シリア内戦と地域的対立

 2011年から続くシリア内戦でも、両国の対立は顕著でした。イランはシリア政府を支援し、ヒズボラを通じてシリア内での影響力を維持しようとしました。一方、イスラエルはシリア内でのイランの軍事プレゼンスを脅威と見なし、空爆を含む軍事行動を行いました。

シリア内戦は、中東地域全体の勢力図を変える大規模な紛争となり、イランとイスラエルの対立も激化しました。イランはアサド政権を支援し、シリアを自国の影響圏内に留めようとしました。これに対し、イスラエルはシリア内でのイランの影響力拡大を防ぐため、シリア国内のイラン関連施設に対して繰り返し空爆を行いました。

7. ガザ紛争

 ガザ紛争もまた、イスラエルとイランの対立の一端を示しています。イランはハマスを支援し、イスラエルに対する攻撃を助長してきました。これに対し、イスラエルはガザへの軍事攻撃を行い、イランの影響力を排除しようとしています。

ガザ地区は、長年にわたってパレスチナ人とイスラエルの間で激しい衝突が続いている地域です。イランはハマスに対して武器や資金を提供し、イスラエルに対する攻撃を支援しています。イスラエルはこれに対して厳しい軍事行動をとり、ガザ地区への空爆や地上侵攻を繰り返しています。このように、ガザ紛争もまた、イスラエルとイランの代理戦争の一環として位置づけられています。


サウジアラビアの取り合い

図2: サウジアラビアの取り合い

イランの視点

 イランは、サウジアラビアとの対立を地域覇権争いの一環と見ています。サウジアラビアはスンニ派イスラムの中心であり、イランはシーア派イスラムの指導国としての立場を強調しています。これにより、宗教的な対立が地域の政治的対立を深めています。イランは、サウジアラビアの影響力を削ぐため、シリアやイエメンなどで代理戦争を展開し、地域全体での勢力均衡を図ろうとしています。

イエメン内戦は、イランとサウジアラビアの対立の一環として位置づけられています。イランはシーア派のフーシ派を支援し、サウジアラビアはスンニ派のハーディ政権を支援しています。このように、イランとサウジアラビアは中東各地で代理戦争を展開し、自国の影響力を拡大しようとしています。

アメリカの視点

 アメリカは、冷戦時代からサウジアラビアとの強い同盟関係を維持してきました。サウジアラビアは、アメリカにとって中東における戦略的パートナーであり、石油供給の安定を確保する重要な国です。また、アメリカはイランの核開発や地域的な野心を抑制するために、サウジアラビアとの協力を強化しています。サウジアラビアはアメリカの軍事基地を提供し、地域の安定に寄与しています。

アメリカは中東地域での影響力を維持するために、サウジアラビアとの経済的および軍事的協力を強化しています。アメリカはサウジアラビアに対して最新の武器システムを提供し、サウジアラビアはアメリカのエネルギー供給の重要なパートナーとなっています。また、アメリカはサウジアラビアを通じてイランの影響力を抑制しようとしています。

中国の視点

 中国は、エネルギー安全保障の観点からサウジアラビアとの関係を強化しています。中国の急速な経済成長に伴い、石油需要が増加しており、サウジアラビアはその主要な供給国です。中国は「一帯一路」構想の一環として、中東における経済的影響力を拡大し、サウジアラビアとの経済協力を深めています。また、中国はアメリカの影響力に対抗するために、中東地域でのプレゼンスを高めようとしています。

中国は中東地域でのエネルギー安全保障を確保するために、サウジアラビアとの経済協力を強化しています。中国はサウジアラビアに対して大規模なインフラ投資を行い、石油供給の安定を図っています。また、中国は中東地域でのアメリカの影響力を牽制し、自国の戦略的利益を守ろうとしています。


中東におけるアメリカと中国のビジョンの衝突

 今回の戦争の背景には、アメリカと中国がそれぞれ異なるビジョンで中東を安定させようとしていることが原因の一つとして挙げられます。

アメリカは伝統的に中東における軍事的プレゼンスと同盟国を通じて地域の安定を図ってきました。これには、イスラエルやサウジアラビアとの緊密な協力が含まれます。アメリカは中東の安定を維持するために、軍事力と経済制裁を用いることを重視しています。

一方、中国は経済的な協力とインフラ投資を通じて中東の安定を目指しています。中国は石油の流通の安定を確保するため、イスラエルをアラブ諸国で抑え込むことを考えています。これにより、中国はアメリカの軍事的影響力を抑制しつつ、自国のエネルギー安全保障を図ろうとしています。

パレスチナ問題の取り残される現状

 アメリカと中国の中東ビジョンの衝突の中で、パレスチナは取り残される状況にあります。アメリカの中東政策は、イスラエルを中心に据えたものであり、パレスチナ問題が軽視される傾向があります。これは、イスラム教の宗派の違いと経済的な孤立を意味しており、パレスチナの人々はその影響を強く受けています。

パレスチナ問題は、中東地域の安定にとって重要な課題であり続けています。アメリカの中東政策は、イスラエルとの緊密な関係を優先し、パレスチナ問題の解決には積極的に取り組んでいないとの批判があります。これに対し、中国はパレスチナ問題を含む中東問題に対してより中立的な立場を取っており、経済協力を通じて地域の安定を図ろうとしています。

まとめ

 イスラエルとイランの敵対関係は、歴史的な背景、宗教的な対立、地域的な利害関係が複雑に絡み合った結果です。特に、イラン・イスラム革命がこの関係の転換点となり、アメリカとの関係や王権の崩壊、宗教国家の成立、そして聖地エルサレムの状況が影響を与えました。また、サウジアラビアなどの他の王権国家との対立も、地域の緊張を一層高めています。さらに、第二次世界大戦後の核兵器開発とそれに伴う勢力均衡の問題も、両国の対立を深める要因となっています。

加えて、アメリカと中国の中東安定ビジョンの違いが、今回の戦争の一因となっています。アメリカはイスラエルを中心にイランを包囲しようとする一方で、中国は経済協力を通じてイスラエルをアラブ諸国で抑え込む戦略を取っています。この対立は、パレスチナ問題の解決を遅らせ、地域の不安定化を招いています。

これらの要因は、両国の関係を悪化させ、地域の安定を脅かし続けています。理解を深めるためには、過去の出来事と現在の動向を継続的に注視することが重要です。

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