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『夜空に浮かぶ星たちよ』

人が通るたびに開く自動ドアのせいで、冬の乾いた風が外から吹き込む。足首が不定期に冷やされるのが鬱陶しくて、片足だけでも助けるために足を組んだ。

“聞いた?“
“大園さん~大学受けるらしいよ“

冬季講習で賑わう塾のフリースペースで菓子パンをかじりながら隣の会話に耳を澄ませる。悪趣味だとか、気持ち悪いとか好きに言えば良い。僕だって普段ならこんなことしない。でも、貴女の話題だから仕方ない。

Aクラスの成績優秀な大園さんは巷で難関と言われている大学を受験するらしい。
Bクラスの僕では喉から手が出ても届かない大学だ。嘆いても埋まらない学力の差に少し落胆しつつ、返された模試の結果に目を通す。先生は「今回は浪人生も受けているから、これが自分の正確な位置だぞ。」と釘を刺してきた。先生の言うとおり、全国順位は前回よりも落ちていた。でも、偏差値の方は上がっていて、大学の判定もB判定とまずまずの結果にとりあえず胸をなで下ろす。

すると突然、後ろから肩をつつかれた。

『やぁやぁ』

「なんだ、大園さんか。」

マフラーに顔半分をうずめている彼女はとてもあざとくて、

『えー、じゃあ誰が良かった?』

こんなこと言いながら悪戯に笑っている。

「大園さんで嬉しくて泣きそう」

『なにそれ~、私も泣いちゃうかも』

少しの本音と冗談を笑い合う。

『○○くんも今から授業?』

「いや、自習室で課題しようと思って」

『そうなんだ。私も後から行こっかな』

「大園さんは今から何の授業?」

『古文の集中講座だよ』

大園さん曰く、古文の先生は癖が凄いらしい。

「大園さんが好きな先生じゃん。頑張って」

『そう、ほんと大好きなんだよね』

決して僕に向けられた言葉ではないのに、何気ない一言にドキッとしてしまう。

『あ、隣の席とっておいて欲しいな』

「え?」

『後から行くって言ったじゃん』
『じゃ、後でね』

控えめに手を振る大園さん。
僕は照れてしまって、手のひらだけ君に見せた。
カッコつけたみたいになったかな?けど、これが僕の最大限。

自習室のドアを開けるとシャーペンと空調の音しか聞こえなくて、どこか居心地が悪く感じた。
自分が座る席の隣に荷物を置いてミッションは完了。君が来るまでに課題を終わらせよう。

大問を解き進めていると必ずぶつかる長文読解。
僕が苦手としているタイプの問題だ。
今回の文章は、顔馴染みとも言えるアキラとジョンが日本の花火の文化について語っている。


「花火か。」

休憩がてら、夏の記憶を引っ張り出してみた。



あの日は花火大会があるというのに僕らは夏期講習が入っていたせいで、夏の大イベントなんて知らんぷりをして机に向かっていた。
講習が半分ほど終わり、1時間の休憩を迎える。
大半は教室でお弁当や買い弁で夕食を済ます。そんな中、僕は馬鹿な計画を立てていた。

「俺、焼きそば買ってくるわ!」

"マジ?"
"賭けに出たな"

クラスメイト達は笑いながら僕の背中を押す。

「よしっ」
塾を出て、気合を入れる

『コンビニ行くの?』

「え?」

そこにいたのは大園玲さんだった。

「いや、焼きそば買いに行こうかなって」

僕の計画を聞いた大園さんは信じられないくらい笑った。

『私も行きたい』

『いい?』

上目遣いで聞いてくる君に「無理」なんて言える奴がいる訳もなく、

「う、うん。」

君は少し遠慮がちに僕の腰に手を回し、自転車の荷台に乗った。

「じゃ、行くよ」

『行っちゃえ!』

角を曲がるたびに少し強くなる腕の締め付けと、背中に感じる体温のせいで僕の心臓は速まる。
息が切れるのは運動不足のせい。そう思い込む。

しだいに行き交う人が多くなり、僕らは自転車を近くのコンビニに止め、歩いて屋台まで行くことにした。

その間も君は、
『りんご飴美味しそう』『サメ釣りだって』
見る物全てに心を躍らせ、笑っている。

射的なんかして、可愛いぬいぐるみをプレゼント出来たら好意印象だろうが、あいにく僕にはそんなスキルも時間も持ち合わせていない。

人混みで逸れないように、時々振り向いて斜め後ろを歩く姿を確認する。

「大丈夫?ついて来てる?」

『大丈夫、えへへ』

「どうしたの?」

『こまめに後ろ向いてくれるから、飼い主さんが着いてきてるか心配してるわんちゃんみたいだな〜って思ったの』

「なにそれ、じゃあちゃんとリード待っててください」

『はい』

君はほんの少しだけ僕のTシャツをつまんだ。

逸れそうになるとシャツの隙間から吹き込む風が汗を冷やして知らせる。

数分歩いたけれど、この状況を同級生に見られると思うと恥ずかしくなって、どう切り出そうか迷っていると、

『焼きそば屋さんあった!』

君は1段階トーンを上げた声を出した。
大園さんが指差した方を見ると、同い年くらいの男の子が焼きそばをパックに詰め込んでいた。

「すいません、1つ下さい」

「焼きそば1つ500円です!」

『うわぁ美味しそう〜』

僕の後ろからひょっこり顔を出して目を煌めかせる。

「いる?」

『ううん、ダイエットしてる』

一瞬だけ、店員の男の子がびっくりした様な表情をしたような気がしたけど、大園さんはいつも通りだから気のせいだろう。

「熱いので気を付けて下さい」

「はい、ありがとうございます」

焼きそばを受け取ってみたものの、プラスチックの容器は熱々で、僕が慌てているとハンカチを渡してくれた。

『まだ熱い?』

「大丈夫、ありがとう」

どこで食べようかと辺りを見渡す。しかし、座れそうな場所には人だかりが出来ていて、仕方なく僕たちは自転車を置いたコンビニまで引き返すことした。

コンビニに着き、僕は少しだけ冷めて食べやすくなった焼きそばを羨ましそうに眺める大園さんの目の前ですすった。
やっぱり罪悪感はすごく感じて、

「いいよ、食べて」

新品の割り箸と焼きそばを差し出す。
君は少しだけ葛藤した後に割り箸を割った。

『いただきます』

幸せそうに頬張る姿はとても可愛くて、
「僕の分も残しておいてよ」と、少し意地悪。

焼きそばも終わりが見えてきた頃だった。

『そういえば、名前聞いてなかったね』

「そうだね」

僕は既に君の名前を知っていたけど、気持ち悪がられるのが嫌で、初めて聞いたみたいなリアクションをとった。

『〇〇くん』

「何?」

『呼んでみただけ』

貴女にとっては80億人の中の1人の名前。

「大園さん」

『えへへ、何?』

「やり返し」

僕にとっては特別な名前。
嬉しそうに笑う君を際立たせるように後ろで花火が咲いた。

『綺麗』

『星が降ってくるみたい』

そんな君の感性にずっと浸っていたい反面、夏期講習が残っている現実からは逃げられない。

「そろそろ行かなきゃ」

『そうだね。……ありがとう。』

「え?」

『花火、見れて良かった。』

花火に見惚れている君の横でポケットから自転車の鍵を探し出す。
花火よりも大きな音で自転車のロックがカチャンと音を立てて外れた。

「帰ろっか」『うん。』

僕たちは行きより少しだけ距離が近くなった。





 
『手が止まってるよ』

「あ、お疲れ様」

『席、取っててくれてありがとね』

「うん。」

『何考えてたの?』

「花火のこと。長文の題材が花火だったんだ」

『そうなんだ』

君は席に座りながら相槌をうつ。

『花火といえばさ…』

『夏休み2人で見たの綺麗だったね。あれからもう4ヶ月?』

「早いね」

2人で思い出に浸る。
僕にとっては青く、輝いた思い出。
君にとっては…

『なんか、青春って感じ』

えへへと、小声で笑った。

『手持ち花火もしたいね』

「え?」

『ほら、打ち上がる方は見たから次は手持ち花火がしたくなったんだけど、来年までお預けか』

少ししょんぼりして言う君と、来年なんて不確定要素に焦って、

「やろうよ、花火。」

後先考えずに口走ってしまった。
後悔も一瞬、

『え!いいね!やりたい!』

あの日、僕の馬鹿な提案に乗った時の君がそこにいた。

いつの間にか隣から聞こえるシャーペンの音も、たまに唸る空調も無視して、僕たちは小声で計画を立てた。




そしてその日はやってきた。
12月25日。はからずしも今日はクリスマス。
お互いの予定が合う日がこの日だけだったのだ。
生まれて初めて僕はイエスに感謝したかもしれない。

鈴の音が鳴っている駅前は小さめのツリーが輝いている。そんな幻想的な光景を横目に、僕は自転車を漕いでいた。それも、カゴに季節外れの手持ち花火を入れて。

背中のリュックには災害時に使うと母が買い貯めていたロウソクと、父の部屋から勝手に拝借したライターが入っている。これで、準備は万全。

ペダルを踏む足に力が入ったり、下り坂で無駄に立ち漕ぎになるのは花火がしたいから。だと思う。

待ち合わせ場所は、塾から少しだけ離れたコンビニ。
時計を見ると、授業が終わるまで後5分ほど。
火照った身体を冷ますように冷たい風が頬をかすめる。体温が下がっていくのを感じるのに、何故か胸の高まりが収まらなくて、身体の芯は熱いまま。

TikTokを流し見ながら、平常心を取り戻す。

しばらくして、マフラー巻いて手袋をはめた君がやってきた。冬の寒さまで味方につけたように鼻先が赤い君は今日も可愛く見えた。

『ごめん、待った?』

「いや、僕もさっき来たとこ」

君はカゴの花火を見て『いよいよだね。』と微笑んだ。

『花火なんてこの時期に売ってるんだ』

「めっちゃ探したよ。でもどこにもなくて、結局アマゾン。」

『そうなんだ。わざわざありがとね。これも。』

君は荷台を指さして笑った。
乱雑にロープで巻かれた座布団は最大限の僕の優しさ。

照れてしまって目が合わせられない僕を、『あれ?照れてる?』と覗き込んでくる君から逃げるために「早く乗って、置いていくよ」なんて強がってみる。

慣れた手つきで荷台に跨った君を確認してから、

「出発しまーす」

『はーい』

ペダルを踏み込んだ。


風の遮るものもない河川敷について、僕らは準備を始める。寒そうに手を擦る貴女にポケットからカイロを取り出して渡した。

『ありがと。でも、寒くない?』

「僕は大丈夫、暑いくらいだから」

スプリント式のライターに慣れていない僕は火を上手くつけられない。

『私にもやらせて』

大園さんも上手く出来なくてギブアップ。
だけど、僕が諦めるわけにはいかない。

クリアファイルで風除けを作ってくれた君のためにも火を灯さなければならない。

『あ!ついた!』

「よかった…」

おかげで親指が痛い。


火がついた花火は辺りを彩り始めた。

運良くホワイトクリスマスに。なんて事は起きなくても赤、青、黄色の火花が君の輪郭を照らしていることの方が幻想的だ。とか思ってみる。

遠くで鉄橋を渡る電車の音をBGM代わりに花火を持ちながら僕らは喋った。

『〇〇くんは大学入ったら何するの?』

「それは、勉強?それとも生活?」

『んー生活っ』

「まずは免許取りに行くかな」

『いいね〜ドライブ行こうよ』

「僕と?」

『うん、星が綺麗に見える所に行きたい。』

「いいね。」

『楽しそうじゃない?』

「めっちゃ楽しそう。じゃあ大園さんは?」

『私はまずアルバイトかな、まだ働いたこと無いんだよね』

「本屋さんとか似合いそう」

『ほんと?じゃあ本屋さんで探してみよっと』

そんな他愛ない未来の話なんてしながら一本、また一本と花を咲かす。花火を見つめる君の瞳はまるで星のカケラを集めたみたいに綺麗だった。

『あ、もう最後の一本だ』

「本当だ。あっという間だったね」

袋から取り出した花火を手渡しながら、

「勝負しようよ」『勝負する?』

被った声に2人で笑いながら同時に火をつけた。


数分の沈黙。
突然、君が口を開いた。それも消えいるような小さな声で。

『あのさ…━━だよ。』

近くを通った車のせいで君の声がかき消された。

「ごめん、なんて?」

『んーん、なんでもない。また、今度。』

含みを持った君の言葉に動揺して、最後の線香花火が落ちた。


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冬季講習が終わり、授業が共通テスト対策から志望校対策に変わった。だから僕達が会う回数も自然と減っていった。

たまにすれ違った時に急に呼び止められて、

『〇〇君、お手。』

「え、何?」

戸惑いながら手のひらを上にして差し出すと、僕が好んで食べていたグミをひと粒貰えた。

『頑張ろうね、じゃっ』

「ちょっと待って!」

立ち去る君を呼び止めて、

「お手」

ラムネをひと粒返そうと思ったら3つ出てしまった。
そのくらいの交流。

手を振りながら離れていく君に、僕も手を振った。

口に放り込んだグミは甘く酸っぱかった。

それからは特に何も無く、机に向かう日々が過ぎ、受験当日を迎えた。

"お互い頑張ろうね"

スマホに表示される文字はどこか温もりを感じた。

そろそろ試験開始時刻になる。
スマホのキーボードを叩いてメッセージを送り、電源を切ってをカバンにしまった。



"よーい、始め"






日は暖かいのに風が冷たい日。僕は受験結果を報告しに塾に久しぶりに向かった。お世話になった先生はよく頑張ったと褒め、そして慰めてくれた。結局、喉から手を伸ばしても君と同じ大学に行くことはできなかった。だけど、元々の第一志望だった大学に合格することができた。「記念受験だったから。」なんて明るく言って自分の傷を隠す。

大学生活のエールをもらい塾を後にしようとした時、大園さんが入ってきた。

「久しぶり。」

『久しぶり。』

「髪の毛切ったんだ。」

長かった黒髪は肩にも付かないくらいに短くなっていて、前より大人びて見えた。

『どうかな?』

「似合ってる。とっても。」

えへへ、照れながら笑う君に僕はもう確信した。

自動ドア越しに君と先生を見る。
先生の反応的に君は合格したんだろう。


数分後、塾から君が出てきた。

『待っててくれたの?』

「うん。」

「送るよ」

自転車を押しながら2人並んで歩き出した。
どこと無くいつもより重く感じる自転車に足取りは遅くなる。

『あのさ、』

『ありがとう。』

「え?」

『受験の日、LINEくれたじゃん』

「うん。」

『あのメッセージのおかげで緊張がほぐれたんだ』

「待って、何送ったか覚えてないや」

『えー、"2人で頑張ろう"って言ってくれたじゃん』

そういえばそんな事送った気がする。

『試験会場には知り合いが居なかったから心細かったんだけど、〇〇くんのおかげで1人じゃないって思えてホッとしたんだ』


緊張と寂しさで上手く話せないまま君との分かれ道に着いてしまった。


『これでバイバイだね。』

返す言葉を必死に探していると君が呟いた。

『ねぇ、また、2人で花火見ようよ』

「…どっちの花火?」

『〇〇くんはどっちが見たい?』 

また意地悪。

「僕は、両方かな…」

『えへへ、欲張りさんだ』

「悪い?」

『ううん、私も両方見たいと思ってた』


隣を歩く君を今までで1番近くに感じた。
多分それは、僕の左手が包まれていたから。

『また、会える?』

「うん。会いに行くよ。」

『自転車で?』

「いや、約束したし車の免許頑張るよ。」

『うん。頑張って。』

『じゃあ…またね』

「…ま、またね」


離れてゆく背中に居ても立っても居られなくて呼び止める。

「あのさ!」

振り返った君と目が合う。

「あの日、花火をした日。大園さんは何て言ったの?」

僕の問いに君は髪を耳にかけ、目を伏せ照れくさそうに言った。

『……それ、私に言わせるの?』










"おまたせ"

そう言いながら車に乗り込んできた。

"手、出して"

言われるがまま犬のように手を出す。

手のひらにグミが1つ。

「玲、このグミ本当に好きだよね」

『そう?私が食べ始めたのは君が塾で食べてて好きだと思ったからなんだけど』

「なにそれ」

『好きな人の好きな食べ物って気付いたら好きになってたりしない?』

僕がラムネを食べる理由と一緒で恥ずかしくなった。

「ほら、早くシートベルトして。じゃないと振り落とすよ」

『また照れてる』
悪戯にえへへと笑った。


鍵をひねるとエンジン音が響き渡った。




「じゃあ行こうか、星でも見に」