今日は仏日
執着を手放すとは
自分の感情に蓋をして見ないようにするとか、遠くへ投げやって見えないようにするとかいうことではなく
よく見えるように、対象からステップバックして、自分の心に何が起こっているのかをきちんと観て
そこに巻き起こる感情に飲み込まれることなく、しっかり立っている感じのことかな
洗濯機の中にある渦を外から観ている感じ
そんなことは暇があるから考えていられるのかもしれないけれど
だけどその時間は敢えて作るものなのかもしれない
チェンマイにいるカリヤナミ(善友)が先日、竹の建築が素晴らしいと何かでつい最近取り上げられていたPanyaden International Schoolで行われたアチャン・ジャヤサロの説法を録音して送ってくれた
その冒頭の一部を・・・
”仏教の修行では自己を観察すること、そのために質の高い時間を作ることを重視します。
瞑想の時間というのはただリラックスすることやある種の心の平和を求めてするものではありません。
どのように目覚めた状態でいるかを学ぶものです。
自分の心と身体に何が起こっているのかを観察し、そしてそこから起こる感情、感覚、思考、恐れ、欲求などをダイレクトに観ることによって、それらをどう扱うのかを学ぶのです。 ”
(この時の説法のテーマはRelationshipでした。他者との関係の前に、自分自身に目を向けることの重要性が語られる冒頭の一節です。文脈の中から一部だけ抜き書きしていることをお許し下さい。英語中級者の私の能力でとりあえずここまでが限界ですがご了承くださいませm(_ _)m もしPanyadenのYoutubeなどで動画がアップされたらシェアしますね!)
そういえばチェンマイでブッダデーにお寺へ連れて行ってもらった時、バンコクやチェンマイ以外の場所から1泊2日でチェンマイの山奥まで来られるお医者様やビジネスマンの方たちが沢山いらっしゃった。そんな方たちも患者さんやお客様と向き合う前に、自分自身と向き合う時間を大切にしていたのかな、とふと思った。
それでは素敵なブッダデーを。
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