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あなたの旅が未来をつなぐ。旅人からのギフト

旅人現地の人
「その地域について」語る時、旅人の方が優れている視点がある。


それは「客観的にその地域について語れる」ということ。

現地の人の当たり前は、外から来た旅人にとっては、魅力的で価値のあるもの。
日常に埋もれていた文化や生活の価値を見出し、世に発信しやすいのは、圧倒的に外から来た旅人なのではと思う。

実際に、旅人たちの学問により、記録され守られたことで後世に残されている文化も数多い。

では、この「旅人の学問」とは何か。


それは「文化人類学」である。

この学問は、名前の通り人類の文化や社会を研究する学問。
特定の社会に行き、現地の人と飲食をともにしたり、何泊も同じ時を過ごし、文化や社会について記録する。

現地で生活すること自体がフィールドワークなのだ。
そして、その役割や価値を、時には他の地域と比較しながら、学問的に分析する。

もちろん、著名な文化人類学者もみな、世界各地を飛びまわってきた。

旅しなければ研究できない学問」なのだ。

実は、私みさぞうは大学で文化人類学を専攻していた。
国内、国外を問わず、色んな場所でフィールドワークをした思い出はまさに第二の青春だ。


そんな私が、一番印象に残っているフィールドがある。


それは、「大神島」。

宮古島から船で約15分。
観光客が、ごった返す宮古島とは圧倒的に空気感が違う。
文字通り「神の島」として、宮古本島の人からも特別な島としてみられている。

2015年から数年間、私は何度もその島に通った。
あの当時で、なんと人口30名弱。さらには、島の若手と呼ばれる人々は50〜60代、ほとんどが75歳以上の後期高齢者ばかり。

限界集落どころではない。
なぜ生活やコミュニティが維持できているのか不思議なほど過疎と高齢化が進んでいる島だった。

もちろん病院はなく、小さな商店がかろうじて一つあるのみ。急勾配で山がちな地形を行き来する、おじぃやおばぁは「これが元気の秘訣さぁ」と言っていたが、高齢者には正直こたえるだろう・・

それでも、子や孫たちのいる宮古本島ではなく、この島に留まり続けるのは「この島が好きだから」という理由だけではないように感じた。
自分たちがこの島を守らなければ」おじぃやおばぁ達の目には、そんな覚悟のようなものがみえた。

でも、
この島のために私ができることは、何かないのだろうか。

そう思った時に、私は大神島について論文を書くことに決めた。

しかも、卒業論文
4年間、様々なフィールドをかけめぐってきたが、その集大成のフィールドをこの島にした。正直、台湾のアミ族や与論島。候補はいくつもあった。

でも、ここについて書かなければと思った。
理由は、私の一方的なエゴかもしれない。
でも、私が記録することで
「この島の文化や生活、そして素晴らしさを後世につなぐことができるかもしれない」と思った。

実際、過去を知る手がかりには、島に来た旅人が記した「手記」や「詩」「ルポタージュ」がとても役に立った。
きっと島を旅して感じたことを感情的な「詩」に残した人は、まさかそれが研究の中で扱われると思ってもいなかっただろう。

でも、誰かが記録したもの全てがその島にとっては大切なもの
未来につながる貴重なものなのだ。


旅人たちの記録とフィールドワークを通して私が残した記録。

とある学会で発表したその論文は、他の大学の教授や学者から、一番多くの質問があった。「島のことを伝えられた!」「誰かににつなげられた!」と手応えを感じた瞬間だった。



そして私は、今でも旅をする。
それはきっと、これからも変わらない。

では、次の旅先で私は何ができるのだろうか。

あの日と変わらず発信することなんだろうと思う。
noteや写真、SNS。どんな形でも構わない。
自分が得意な方法で良いと思う。

あの時、私と大神島のことをつなげてくれた旅人達のように
私も未来に「つなぐ」ことができると信じて。


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