今日のセブン 20

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とある晩私はアジの南蛮漬けを作っていた。一度目は失敗であった。南蛮酢の味が薄かったのだ。銀座渡利曰く、南蛮酢とは昆布出汁と酢、薄口醤油、みりんを混ぜたもののことらしい。まず失敗だったのは、昆布出汁の代わりに水を使ったことだ。もちろん、昆布がなかったからだ。しかし昆布出汁を侮っていたということは言うまでもない。もう一つは野菜の水分を考慮に入れてなかったことだ。南蛮漬けするのがアジだけという高尚な料理を作る気はない。味と同じくらい量が重要なのだ。この時は玉ねぎとカラーピーマンを南蛮酢に入れたが、彼らの水分でさらに南蛮が水っぽくなってしまったのである。 

今度は失敗は許されない。最初はアジの下処理からだ。エラとかま骨と内蔵を一気につまんで取り出す。これは1回目で経験済みであり、すんなりうまくいく。次に酢だ。依然として昆布はない。しかし野菜の水分を考慮に入れれば、濃くなりすぎるということはない筈だ。料理は実験だ。アレンジこそ料理なのだ。親からは酢と砂糖だけと教わったが、そこに銀座渡利のいう本来の南蛮酢のレシピを生かして濃口醤油を入れる。薄口じゃないのは薄口がなかったからだ。しかしアレンジ、つまり創造性こそが料理なのだ。薄口が濃口になってなんの問題があろう。出来る限りの力を尽くして美味しい料理を作ればそれで良いのだ。

アジを揚げて、酢に入れる。ここが肝心である。熱々のうちに酢につけると酢が身にまで染み込む。ジューっとたまらなくいい音がする。あとは野菜を入れて置いとけば完成のはずだ。しかし多少の疑念があった。南蛮酢が、、、、足りないのではないか?お酢を使い切ってしまったのだ。豆アジは11匹もいる。一体これは全部浸かるのか?果たして、全部浸からない。というより半分は浸かってない。酢に漬けられた野菜を上に乗せてカモフラージュしてみるが、さすがに浸かってない部分が多すぎて全くカバーしきれてない。水を足すのは最初の二の舞になる。かと言って酒とか醤油、みりんを足していくのにも限界がある。どうしようかしらん、これ、と悩む。が閃いた。閃いたというより気づいたのだ。自分はセブンイレブマーじゃないか。少しの逡巡。外は寒く、暗い。一応なんとか作れている。これでいいじゃないか。しかし私を奮い立たせたのは、イレブマーとしてのいかなきゃ名折れという、、、恥の意識であった。昼間に降っていた雨も上がり、天の思し召しかのようにセブンへ直行する。昨今24時間営業をやめるコンビニも多いようだが、我がセブンイレブンは依然として24時間である。なぜか。そう、イレブマーは私だけじゃないのである。なぜあのような辺鄙なところにセブンイレブンが存在し続けるのか。イレブマー諸君が存在するからである。なぜ車もほとんど通らなくなるのに24時間営業をやめないのか。イレブマー諸君が存在するからである。なぜ24時を回っているのに、店員さんはいつも複数人いるのか。私のように、24時を回ってから駆け込んでくるイレブマー諸君が存在するからである。 

まろやか穀物酢を買い、一目散に家へと駆け戻る。果たしてどんなものか。匂いを嗅いでみるとお酢の新鮮なきつさの残るいい香りがする。これが本物のお酢かと思う。料理を始めたのはここ最近。使い切ったお酢はおそらく4年ほど前に買ったものだ。今考えてみると、どう考えてもお酢の味をなしていなかった。そこまで置いておくと、お酢のきつさが薄くなって透明な香りになるのである。それではいい南蛮酢も作れるはずがない。 

酢を足してあじを全部浸からせた。まだ改良の余地があるがさすがに美味しいアジの南蛮漬けが作れた。イレブマーに恥じない行動を示せたと思う。皆さんにも元気、やる気、勇気が訪れますように。


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やまこう
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