雨あがりの夕暮れどき ~フレル朗読劇 1~
まだ6月である。この暑さは尋常ではない。人類初体験。梅雨の雨はどこへ行ったのか?今年は空梅雨だろうか?朝夕と日中の寒暖差が大きくなっているような気がする。その日数も年々増えて、春とは桜の咲いている間となり、秋はどこへいったのか?という感じが否めない。湿り気は肌に絡みついて気温以上の熱さをからだにもたらす。何年かぶりの西成の街。地下鉄の出口を出たところでお仲間に出逢う。おかげで必要以上に道に迷わずに済んだ。ありがとうございます。
フレル朗読劇。ユリさんのワークショップは面白くて楽しくて不思議。 好き。 今日はこのシリーズの二回目。数日前に「読みたい何か」を探しておくように、ということでわたしなりに用意をする。近況報告から、ウオーミングアップの体操。そして、わたしの用意してきたものを読んでみる。石垣りんさんの「わたしの前にある鍋とお釜と燃える火と」を読んでみる。食べるということ、家族との時間、今のわたしの状況が滲み出る。ユリさんやご一緒のメンバーは受けとめてくださる。わたしは声が小さいとよく言われること、自分で声の通りが悪いと思っていること、二人でいると聞き役になってしまうことなど、自分の思っていることを話す。そして、現在60歳でこれからの自分の表現として朗読劇をして行きたいと、希望を
そして。本題へ。今日の課題は国木田独歩の「武蔵野」の五の段。
参加者で一通り読んでみる。 次に課題を参加者で分けて担当し、それぞれで読み込んでいく。 わたしは最後の部分であった。迷い込んだと思っていたらそうでもない道、枯れてゆく季節、暮れてゆく一日の中での描写が、どこか人生の道行きに重なる。しかし美しさが溢れている。
自分の担当部分を1人で読む。ユリさんの提案で足の置き方、姿勢や座り方、目線を変える。もう一度読む。声が自然に前に出て行く感覚がある。声が空間に広がっていく感じがする。からだの有り様はこころの持ちようで、それらが姿勢やその場への向き合い方となり、声の出方や届き方となる。 至極納得である。
他の参加者それぞれの特徴を捉えつつ、より朗読としてのスキルを挙げていくユリさん。そのプロセスが面白い。わたしはまだまだ始まったばかりである。まずは声を出す姿勢を教えてもらった。これを習得したい。
わたしが読み始めようとすると丁度雷が鳴った。わたしはどうもこのような偶然が多いような気がする。わたしが表現しようとするとチャチャが入る。わたしが話し始めるとその場の集中が途切れる。その偶然にあきらめていた自分がある。それはそれとしてわたしは声を出したい。
今朝、五の段をはじめから朗読してみた。人の部分は読み込んでないので慣れてない。自分のところは少し、読みやすい。文章の美しさ、深見、表現。それを声に出すことは楽しい。面白い。ユリさんはこの文章を「祈り・願い」だと言う。そして、今回の朗読劇のテーマをこれにするとのこと。
次回の会まで、毎日声に出して五の段を読みたい。愉しい。
時間を共にしてくださった方々、多謝。
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