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雨あがりの夕ぐれ時         ~ひとのつながり今昔~

 今日は日曜出勤。小学校の体育館を借り切っての小学校区内の壱地域の防災訓練に子育て中の保護者を繋ぐカフェを併設し、親子で参加の保護者のつながりを模索する。壱地域の区長さんの音戸のもと、地域のチーム員さんと共に防災訓練を手伝いながらカフェを行う。

 壱区長さんの第一声は「イレギュラー発生!山火事が有って警察はそちらへ向かっている。」そうそうの予定変更が告げられる。

 前日の準備も休日出勤であったが、思いのほか、地域の方々の動きは手慣れたもので、新参者のわたしよりはるかに手際よく、大方の方々はわたしよりも年配の方々であるにもかかわらず、迅速な対応・準備であった。
予想よりもはるかに早く終えて、後はお天気を味方につけることであった。

 想定外は起こるもので、近くで山火事が発生!防災訓練の講師をお願いしていた警察や危機管理の方々は皆そちらに駆け付けられていて、予定していた順番が逆になったり、内容が手短になったりした。しかし、地域の方々は対応力おう盛で、動じずに粛々と予定をこなしていかれる。すごい適応力。

 壱区長さんの手配でやってきたサッカー少年たちも、大人の要望に応えつつ活躍し、子どもの時間を満していた。撤収についても準備の如く手際よく、だらだらとせずにメリハリがあり、また協力的で無駄がない。これまた予想していたよりもはるかに早くに後片付けを終えたのであった。

 大方の地域の方々はわたしくらいから年上の方々。昭和生まれの気骨か、する時はする、参加するときはきちんとやり遂げることが一定ラインで保たれている。すごいなぁ。過ごしてきた時代が違うからか、乗り越えてきたものが違うのか、ここへ参加する事への想いの強さなのか、こうして皆で力を合わせて何かをしてきた経験値が違うのだろう、そして主体性が、自然な責任感が素晴らしい。この感覚を今の子どもたちにどこで養うのか?

 今日の参加については学校でチラシを配布してもらい参加者を募ったが、前日までの応募はゼロであった。仕方なく個別に声掛けをしたが、それは確実な参加を意味しない。どうやら壱区長さん自ら地域のサッカーチームに声をかけたようである。少年たちはこの地域以外の子たちもいて、これは壱区長さんの狙いでもあった。

 小学校区の人の参加なら誰でもOK!それがこの壱区長さんの隠れ目標である。この小学校区は大きく3つの地区から成り立っているが、どうもお互いにけん制している。仲がしっくりしない様子。例えば、わたしが各地区にある公民館で巡回する子育てカフェを企画し、壱区長さんに意見を求めたところ無言の返事、そして「それは無理。他の地域の人に貸してくれない、同じ地域の人に貸すのにも条件付きである」との返事であった。なんと令和の協働・共同・多様性が叫ばれる社会にあってなんと閉鎖的な考え方。と思ってしまった。しかし壱区長さんはこの地区の公民館は「いつでも使ったらいい」とのことであった。そのオープンな想いには、この閉鎖的な状況をいつかは打破したいと望んでいるのだと、わたしは感じた。

 片付けが終って小学校横の公民館では地域の皆さんが三々五々休憩している。昨日今日の短かったが凝縮された頑張りの労をねぎらっている。豊かな時間。子どもたちに配布したお菓子屋らアルコールやらを片手に反省会、もといお疲れ会が行われている。このごチャットした座り方、とりとめのない話。初めて話す人もいる、この取り組みに参加して初めて知り合って会話する人、その地域の人がごちゃっと集まって、うだうだ話をしている。このうだうだが大事なんだな。この空間が今はない。このうだうだな時が今はない。行きづりの流されるような出逢いとだべりんぐの時間が今の生活にはなくなってしまった。どこか懐かしい、この地域の人とのとおしゃべりの場と時間。今ならではのそのような場を作っていきたいとひそかにもくろんでいるわたし。いつの日か。

 ごちゃっとしたずるずるの時間と場。
 あたたかい場。やさしい時間。
 今日出逢えた時間と場に感謝。

 山火事は収まったか?

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