「メンヘラ」という言葉にモヤモヤする理由を考えてみたら愛だった話。
あなたは、誰かに「メンヘラ」と呼ばれたことがあるだろうか。
私にはある。
はっきりと「メンヘラ」と言われた経験が。
何度かデートしていい感じになった男性に、ちょっとしたおもしろ話のつもりで自分の話をした時だった。
彼は明らかにドン引きした表情で、
「それってメンヘラじゃん。俺メンヘラ無理なんだよね。」と言ったのだ。
今振り返ると、確かに、私にメンヘラっぽさがあったことは否めない。
彼氏からメールが返ってこないと鬼電して着信履歴をいっぱいに埋め尽くしたし、
彼氏の携帯を勝手に見て、「誰よこの女!私以外の女が電話帳にいるなんて!」って当たり屋バリの難癖をつけたし、
なんなら夫にまで「仕事に行くなら帰ってくるまでに飛び降りる!」と脅迫をしたことがある。
※良い子は決してマネしないでください
私は、今までメンヘラという言葉を使ったことがない。
自分がメンヘラと呼ばれるのも嫌だし、他人に使うのも嫌だ。
なんとなくだけど。
なんとなくを心に置いておくのはモヤモヤするので、
今日はメンヘラについてとことん考えてみたいと思う。
そもそもメンヘラってなんなんだ?
とりあえずググってみた。
精神障害(狭義には境界性パーソナリティ障害)を患っている、あるいは精神的に不安定な状態にある人に対する俗称(ネットスラング)。2ちゃんねるのメンタルヘルス板にいるような人を「メンヘラー」と呼んだのに由来し、 自己中心的な人など含め広く指すこともある。
出典:ウィキペディア
精神障害から自己中までがメンヘラ?
意味が広い、広すぎる。
かつ、単なる差別用語のネットスラングという気もしてくる。
もう少し調べてみよう。
誰かに愛情を向けてもらいたい、そんな自分が何より愛おしい
誰かに気を向いてもらうためになんでもする「かまってちゃん」行為がベースにある
自分という存在がそっぽを向かれるのを何より恐れるが、自分以外の他人がどうなっても知ったことなし
一言で言えば、「愛してくれないならここで死んでやる!」
出典:ニコニコ大百科
メンヘラを象徴するセリフの一つが、
「愛してくれないのなら死んでやる!」か。
これはわかりやすい。
なら私は立派なメンヘラだったと言える。
でも、やっぱりメンヘラと言われるのにはモヤる。
メンヘラが愛を叫ぶ理由を考える
行動の裏には理由がある。
メンヘラが「愛してくれないなら死んでやる!」と叫ぶ裏にも理由があるはずだ。
「愛してもらえない私」→「愛される価値がない私」→「生きる価値がない私」→「死」
に結びついてしまう理由が。
もしかしてだけど、過去に心が深く傷つく出来事があり、愛情を感知したり記憶しておく場所が損傷しているのではないだろうか?
他者から自分への愛情も、自分から自分への愛情も、感知できないのではなかろうか。
だから愛情を注がれてもすぐに枯渇してしまい、四六時中注がれていないとカラっカラになって愛に飢えてしまうんじゃなかろうか。
仮説:愛情認知装置が破壊された人間=メンヘラ
自称としての「メンヘラ」
先程、メンヘラという言葉に仮の定義づけをしてみた。
だか、私は、やはり、メンヘラという言葉にモヤっているし、今後も使っていく気にはなれない。
しかし、自分が言われて嫌だからと言って、人もそうかと言われば、違うのだ。
「メンヘラ」という言葉をtwitterで検索すると、自分のユーザー名に「@メンヘラ」や、「メンヘラな●●」とつけている人もいる。
ここで、文筆家の牧村朝子さんのtwitterを紹介する。
なるほど。
メンヘラはという言葉は「誇り高き自称」なのか。
その考え方を知ってスッキリした。
私は、「メンヘラ」という言葉を用いて揶揄したり、蔑称したりすることにモヤっていたのだ。
自称で使うということは、
「私、傷を負って心の装置がぶっ壊れていますが、頑張って生きています。」
という表明のような気がしてきた。
戦って生き残った勲章としての傷を捉えているとも思える。
なんとも誇り高い。
それでもまだモヤっとする理由
人様に「メンヘラ」という言葉を使うことは、もはやご法度で論外の域に達したのだが、自称として「メンヘラ」という言葉を使うことにも、まだ若干のモヤりを感じる。
ここからは非常にお節介な話になるかもしれないけれど、
私のモヤりを言語化するための行為なのだ。
独り言として許してほしい。
ポップに自虐的に、「私メンヘラでーす!」と笑顔を見せてくれている人の中には、心に大きな傷を負った結果、深刻な状態のに陥っている人が潜んでいるような気がしていてならない。
メンヘラと一括りにしている人の中には、精神疾患を発症している人がいるのではないだろうか。
メンヘラって、「愛してくれないと死んでやる!」と思っているくらいなのだから、心に嵐を飼っていて、毎日昼ドラ並みのジェットコースターな生活を送っている気がするのだ。
エネルギー使い果たして、消耗しすぎて、鬱になっている場合があるんじゃなかろうか?
あるいは、性格と片付けているその感情のジェットコースターは、実は、鬱とその対極の躁状態を行ったり来たりする「双極性障害」という病気の症状なのではなかろうか?
あくまで可能性の話だ。
ちなみに私は「メンヘラは無理」とフラれた年に、双極性障害と診断された。
これは、一般の人には判断できない。思い当たる方はぜひ医療機関に相談してほしい。
メンヘラが病院にかかる時の注意点
ただ、一つだけ、ここでやりがちなことがあるので、頭の片隅にでも置いておいてほしい。
医者に惚れるor カウンセラーに惚れるのは、どうか慎重に。
安心に飢えている時には、安心をくれる存在を離したくなくて、愛に結びつけてしまいがちだ。一人でいても心の平穏を保てる時に、それでも一緒にいたいと思う人が、愛する人なんだと、私は勝手に思うのだ。
モヤっとが晴れたら
メンヘラという言葉にモヤっていた理由は、
■差別用語としての使われ方
■自称することで深刻な問題が見えなくなってしまう心配をしているから
だったのだ。
モヤモヤは晴れたが、メンヘラと呼ばれたり、自称している方々の中に、SOSを出している人がいるかもしれないという気持ちは持ち続けるつもりだ。
愛に飢えて愛を渇望する人が、確かな愛を感じられる日まで。
いただいたサポートは、18歳からの女性のためのステップハウス「アマヤドリ」の運営資金にさせていただきます。