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『大人になるきみへ』② はじめに

★★★20世紀のギリギリ最後に発行された、『大人になるきみへ』という小さな本があります。
帝京大学病院難聴児親の会のメンバーが、言語室の廣田栄子先生を囲んで5年間話しあい、知恵を出し合って執筆し制作した本です。
コミュニケーション障害とも言われる難聴の子どもたちが、言語指導を離れ思春期を迎える時、もしかしたらブツかるかもしれない問題について、親の考えを述べています。

巻頭言を書いてくださったのは、26年という長きにわたり帝京大学病院耳鼻科で難聴外来を開設しておられた田中美郷先生!
田中先生は、合宿でお会いしたときに「田中先生!」と遠くからでも呼びかける私たち親に、いつも気さくに手を挙げて、温かい笑顔で応えてくださいました。
それでは続けて、田中先生が書いてくださった巻頭言「はじめに」をご紹介させていただきます。★★★

はじめに

私が難聴児の聴覚活用による早期教育をホームトレーニングという方式で始めて、ほぼ30年になります。
かってお母さん方に抱かれて、あるいは手を引かれて通ってこられた難聴児も立派に成長して、社会人として活躍している人も続々と出てきました。
こうなる背景には、ご両親の並々ならぬ努力と苦悩があったはずです。

私はといえば、結婚式に招待されて、幸福感に浸っているカップルを見ては感動したり、あるいは結婚して子どもが生まれると、そのお子さんの診察も頼まれるなど、いつしかお孫さんとも付き合う歳になってしまいました。

顧みると、難聴児の早期治療教育というまったく新しい領域を、医学の分野で暗中模索しながら開拓したわけですから、難聴児には教わることばかりで、反省を要する点も少なくなかったように思います。

ところで、このたび、ひまわり会のお母さん方が子どもに向けて本を書かれ、これに一文を添える光栄に浴しましたが、原稿を早速読ませていただいて、まず、その格調の高さに敬服しました。
「親は無くても子は育つ」ということわざがあります。そのとおりと感じますが、しかし、どのように育つかには成育環境、とくに家庭環境や社会環境が大きく影響するはずです。
最近の中高生の刃物による殺傷事件の増加や、物質的豊かさがもたらしたと思われるフワフワ人間の異常増殖などを見るにつけ、その感を強くします。

昔は貧乏から抜け出すために必死に生き、あるいは勉強するといった切羽詰まった状況下にありましたから、人生や教育にもそれなりの目的を見いだせたのですが、今はそれがない。
物質的には満たされても、精神的な展望が開けない。
若くして死を選んだミュージシャンの尾崎豊さんの詩を読むと、今の若者の心の内が見えてくるような感じがします。

人間は誰しも悩み、考える。まさに「人間は考える葦」であり、「われ思う、故にわれあり」です。
ユダヤの言葉に「書物は知識を与え、人生は知恵を与える」というのがありました。人間として成長していくためには、どちらも必要なものですが、親から見れば、子どもは知識、知恵いずれにおいても親におよばない。しかし、子どもたちは自立していきますから、先々のために、自分の人生経験の中で得られた何か大切なもの、しかも子どもはまだ気づいていない、何かそういったものを子どもに伝えたい、そういった気持ちがひしひしと伝わってきます。

そこには、人生論(あるいは人生訓)あり、しかしそれは決して押し付けではなく、自分について深く考察することをうながす哲学があります。
しかも、これらが他人の説教の受け売りでなく、親自身のこれまでの育児体験やひまわり会の仲間との交流の中で培われてきた本音として吐露されているところに、素晴らしさを感じます。

☆Special Thanks to*  mocmocさん(cat's color illustration)


最後に本書を読まれる子どもさんたちへ。

温故知新、人類は言語を持ち、高い思考力を持つことによって科学的知識や技術を進歩させてきました。しかし、人間の知識は数千年前と比べて進歩しているという証拠がありません。
それだけに、人生経験の豊かな人の意見は、その人がどのような立場ないし身分の人であれ、人生にとって大切な知識を与えてくれるはずです。

しかし、自分自身に学ぶ気持ちがなければ、せっかくの宝物は見つかりません。
松尾芭蕉は人生を旅にたとえましたが、皆さんもただぶらぶら旅をするのではなく、人生を考え、開拓し、そして楽しい旅を続けてください。

                     帝京大学教授※  田中美郷

(※肩書については、刊行当時のままになっています。現・帝京大学名誉教授、田中美郷教育研究所所長)

『大人になるきみへ』1999年4月17日発行

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