風の音と、心の音~「聞こえないこと」の思索と物語
難聴児医療・教育界の93歳の長老、田中美郷先生が教えてくれたこと⑦
初回のこのシリーズでは、半世紀にわたり、医師でありながら、そのワクを超えて難聴児の療育に携わってこられた田中美郷(よしさと)先生の思いや、そのベースとなった哲学に迫ります。
今回は、「難聴児の療育のために、長年にわたりホームトレーニング(両親講座)を行ってこられたなかで、田中先生が禁じていたこと!」についてお伝えしたいと思います。
田中先生が一時代を築いた“ホームトレーニング”という療育法は、『幼児難聴』※という本の第7章の「home trainingのプログラム」というパートに、くわしく語られています。
その中で田中先生は、難聴の乳幼児に対して「そんなことをしても、ほとんど意味がない」→「それはいけない」→「禁じる」と注意信号を点滅させておられます。
禁じる! とストレートな表現を選ばれたところに、田中先生の深い思い、実践を通して得たゆるぎない確信が伝わってきます。
確かに、その禁止事項を守っていれば、聴こえない子どもであろうと、聴こえる子どもであろうと、豊かに成長していくと思える教訓。
子育て中の方々にぜひお伝えしたい「注意! 事項」です。
※『幼児難聴』は、田中先生が医師としてのスタートを切られた信州大学医学部付属病院耳鼻咽喉科学教室の鈴木篤郎教授と田中先生の共著。1979年に医歯薬出版から刊行されました。
「第1章 聴覚とその発達」「第2章 幼児難聴の病態」「第3章 幼児難聴の検出と診断」「第4章 電気生理学的手法による幼児の聴力検査」「第5章 幼児難聴の医療」「第6章 難聴児の言語習得障害」「第7章 難聴幼児に対する教育的措置」「第8章 補聴器とその装用」という8章で構成された、耳鼻科医による医学的な専門書です。
▼田中先生が指摘する「意味がないこと」とは?
まず、聴能訓練に関して、こんな記述があります。
親が子どもに音や言葉を教えたいと思い詰め、がむしゃらになっても、子どもの発達や気持ち、興味を無視した方法は、ほぼ意味がないということでしょう。まずは、子どもに無理強いすることに、田中先生は注意信号を出されています。
▼親は子どものよき理解者になるべきだ
子どもに無理強いせず、子どもの気持ちを大切にした対応を心がけること!
たとえば「声を出して話すことの意味」を悟らせたいなら、子どもが何かいってきた場合には、そのチャンスを逃さずに、ちゃんと子どものほうを向いて受け答えをするようにと説いておられます。
ものの名前を子どもに教えるときの大事な心得は?
ついやりがちだけれど、やってはいけない注意事項!
そして、子どもの気持ちのよき理解者であるために…
田中先生は後年、「身振り、動作などによる表現」に加え、手話や指文字も導入するべきだという立場を取られています。コミュニケーション活動のために使えるものは何でも使い、子どもの気持ち、意欲を大切に育てていくのが良いということでしょう。
▼できるだけ幅広い豊かな経験をさせること!
ことばを学ぶためには、実際の体験は絶対に欠かせないこと。五感を刺激するダイナミックな体験があるからこそ、その体験にまつわることばが子どもの意識にスムーズに入り、記憶されるのだと思います。
そのことについて、田中先生はこのように説明しておられます。
したがって…
田中先生のところでは、ホームトレーニング終了後に言語聴覚士の先生方のもとでグループをつくり、言語指導を行う方式も取られていました。そのグループで子どもが指導を受けることになった親は、一週間の間に子供が体験したことを絵日記としてまとめ、その絵日記をもとに親子で話し合うことが求められました。
絵日記の中で、ものの名前、ようすを描写する言葉、動きの言葉、気持ちを表現する言葉などをていねいに子どもにインプットしていくのです。
絵日記は、子供のレベルに合わせたことばを選ばないといけないし、話し合いの場は親子の気持ちが通う楽しい時間でなければなりません。
子どもの言葉を育てるうえで、このうえない方法であることは確かで、実際、毎週のように親が画く絵+言葉の絵日記により、子どもたちの言葉はぐんぐん伸びていきました。
▼家庭のなかで“かくまう”ようなことは絶対にしてはならない
外部との交流を避けるようなことは、決してしないようにと、釘をさしておられます。
実際、帝京大学病院耳鼻科言語訓練室で指導を受けたグループは、保育園に通い、同じ年の聴こえるお友達とともに保育を受けるようにと指導されました。
聴覚障害にたいする理解を得るために、親たちは保育園や周囲の母親たちに具体的な情報を伝え、PTA活動などにも積極的に参加して、子供の居場所を確保することに余念がありませんでした。
▼聴こえがさらに悪くなってしまったときの対処の仕方
最後に田中先生は医師としての立場から、聴力低下について語られています。
さて以上は、田中先生が共著として執筆された『幼児難聴』から、先生のお考えをピックアップしてご紹介したものです。
田中先生がここであげられた禁止事項、勧告は、難聴児を育てる場合の地図のようなものです。
その地図には、「そっちに行けば行き止まり!」「この道は危険!」「正しい道はこちら!」というように、危険信号、注意標識、正しい方向を示した道案内の標識が各所に示されています。
その地図をたよりに、たくさんの親たちが勇気をもって道をたどり、たくさんの難聴児たちが、それぞれ課題や苦労を抱えながらも、立派な大人に成長していきました。
いかがでしたか?
帝京大学病院時代の田中先生のホームトレーニングは、言語聴覚士の先生方のたゆまぬ実践指導へとバトンタッチされ、活発な親の会活動とあいまって、手探りながら創造的で熱意溢れる療育が展開されていきました。
21世紀に入ったいまの時代は、そうした手作りの療育から進化し、さらに支援体制の整った、総合的な骨組みの、もれのない難聴児療育をめざして前に進んでいます。
それでも、田中先生や言語室の先生方がタッグを組んで最前線で活躍されていた時代に居合わせ、歩みを進めてこられたのは、楽しい、またとない体験でした。親一同、感謝しても、感謝しきれません。
❤次回最終回は、現在も医師として活動しておられる田中先生が、長い時間の経過を経て、難聴児の療育について考えておられることを、まとめとしてご紹介します。