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さとりをひらいた犬

このままだと悟りひらいちゃいそう。でもそれだけはあかん気がする。

これは私がここ最近ずっと感じていた感覚。

そんな時にこの本に出会い、タイトルを見て思った。

あ〜ひらいちゃったのか、この犬は。

気付いたらポチっていた。

この本が伝えている「ほんとうの自分」や「ほんとうの自由」を知っていることで、どれだけの人が自分も相手も大事にできるのだろう、より豊かな人生をおくれることだろう。

忘れてしまわないように、書き残しておく。

内容サクッと

ずっと猟師に飼われている猟犬であった主人公のジョン。ある日、猟師が仕留めた狼に、ジョンはこう語りかけられる。

“生存している”と“ほんとうに生きている”とは、存在の形態が違うのだ。いまの君は生存しているだけだ。生きてはいない。それに気づくんだ。

さとりをひらいた犬 P20


これをきっかけに、ジョンは仲間から離れ、「ほんとうの自分」を探す旅に出る。その旅の中で誰に出会い、どんなことを感じ、何を学んだかが描かれている。

キーポイント

1. 「私たち」は、3つの存在によって成り立っている

1つ目が「身体、肉体」2つ目が「自我、エゴ」3つ目が「魂、スピリット」

肉体は魂の乗り物、つまり馬、エゴは御者、つまり馬を操って走らせる者に該当する。そして3つ目の魂、これこそが動物の本質であると言われている。

自分とは:3つの存在の融合体


2. 「私」は、個ではなく、宇宙、全体、大いなる存在そのもの。

私たち一人ひとりの存在は、大いなる存在の別の側面をそれぞれが表現しているだけ。分裂した個ではない。

個性や役割に違いがあるだけで、元は一つの存在である。

大いなる存在という全体から見れば、あなたは右足であり、私は尻尾なのです。ただし、そのつながりを忘れ、右足と尻尾がそれぞれ分離していると思い込んでしまっているのです。つまり、右足と尻尾が争い合い、競い合い、殺し合っているということです。従って、誰かを傷つけるということは、自分自身を傷つけていることと同じことなのです。(一部省略)

さとりをひらいた犬 P231, 232

エゴがぶつかりあい、喧嘩や戦争が起きる。

エゴは体を動かすために必要であり、自分と相手が異なるエゴを持っているときに、衝突するのは当然。
しかし、自分のエゴを正義とし、相手を敵であると突き放し、傷つけることは、結果として自分が傷つくことになる。元をたどれば、皆繋がっているのだから。

あなたは右足であり、私は尻尾


3. 「悟り」とは、"私はいない" と知ること。

"私"は分裂した個ではない。大いなる存在そのものである。

このことを、身体、心、魂の三つの存在を通して、腹の底からわかること。それがさとりをひらく、ということ。

では、その大いなる存在として、生きるとは。

4. この世界は魂の遊び場である。

魂を遊ばせること、これがほんとうの自分を生きるということ。

エゴに振り回されるのではなく、魂のおもむくままに自己を全うする。

これこそが、人生の醍醐味ではなかろうか。

5. 我々には3つの生きる価値がある。

1つ目は創造する価値。世の中に価値を生み出すこと。

2つ目は体験する価値。いろんな世界を見て、聞いて、味わうこと。

3つ目は態度による価値。いかなる場面においても、自分の魂の声を聞き、これが私だ、という私であること。

これは、フロイト、ユング、アドラーに次ぐ「第4の巨頭」とも呼ばれる心理学者、ヴィクトール・E・フランクルが唱えている。

読んでみて

いや〜全然悟りなんて程遠かった。何を心配してたのか笑っちゃうくらい。

私にとっても悟りをひらく、とは、無関心に近かった。
いかなる感情を抑えることができるようになってくると、たとえ傷つけられても、そんなこともあるよね、まぁいっか、となることができる。

しかし、この無関心は自分のエゴ。もうこれ以上負の感情を持ちたくないから。自分のエゴに従っている時点でさとりのさの字もない。

そして、自分に圧倒的に足りないのは、態度による価値。

せっかく自分の魂を持たせてもらい、この世界に存在しているのに、エゴが邪魔をして、こうしたい、こうあるべきが邪魔をして、魂の声を聞くことができていない。

まずはエゴと魂を分離するところから、自分自身を上から見つめてみることから始めてみる。

これから

最後にもう一つ。

ほんとうに大切なことは、言葉を超えておる。自らの体験で知るしかないのじゃ。

さとりをひらいた犬 P272

これに尽きると思う。

お母さんに包まれた時の温もりも、山の上の美味しすぎる空気も、手が届きそうな空に広がる満面の星空も、言葉や、カメラでは、表現しきれない。

ずっと一緒にいた人を亡くす悲しみも、出産の痛みも、いくら言葉で聞いても、体験したことがなければ、感覚はわからない。

だから、この目で、この耳で、この足で、この世界を知りに行く。

そしてその中で、新たな価値を創造したり、他の人とのつながりを感じたり、魂の遊びを楽しめる人でありたい。







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