さとりをひらいた犬
このままだと悟りひらいちゃいそう。でもそれだけはあかん気がする。
これは私がここ最近ずっと感じていた感覚。
そんな時にこの本に出会い、タイトルを見て思った。
あ〜ひらいちゃったのか、この犬は。
気付いたらポチっていた。
この本が伝えている「ほんとうの自分」や「ほんとうの自由」を知っていることで、どれだけの人が自分も相手も大事にできるのだろう、より豊かな人生をおくれることだろう。
忘れてしまわないように、書き残しておく。
内容サクッと
ずっと猟師に飼われている猟犬であった主人公のジョン。ある日、猟師が仕留めた狼に、ジョンはこう語りかけられる。
これをきっかけに、ジョンは仲間から離れ、「ほんとうの自分」を探す旅に出る。その旅の中で誰に出会い、どんなことを感じ、何を学んだかが描かれている。
キーポイント
1. 「私たち」は、3つの存在によって成り立っている
1つ目が「身体、肉体」2つ目が「自我、エゴ」3つ目が「魂、スピリット」
肉体は魂の乗り物、つまり馬、エゴは御者、つまり馬を操って走らせる者に該当する。そして3つ目の魂、これこそが動物の本質であると言われている。
2. 「私」は、個ではなく、宇宙、全体、大いなる存在そのもの。
私たち一人ひとりの存在は、大いなる存在の別の側面をそれぞれが表現しているだけ。分裂した個ではない。
個性や役割に違いがあるだけで、元は一つの存在である。
エゴがぶつかりあい、喧嘩や戦争が起きる。
エゴは体を動かすために必要であり、自分と相手が異なるエゴを持っているときに、衝突するのは当然。
しかし、自分のエゴを正義とし、相手を敵であると突き放し、傷つけることは、結果として自分が傷つくことになる。元をたどれば、皆繋がっているのだから。
3. 「悟り」とは、"私はいない" と知ること。
"私"は分裂した個ではない。大いなる存在そのものである。
このことを、身体、心、魂の三つの存在を通して、腹の底からわかること。それがさとりをひらく、ということ。
では、その大いなる存在として、生きるとは。
4. この世界は魂の遊び場である。
魂を遊ばせること、これがほんとうの自分を生きるということ。
エゴに振り回されるのではなく、魂のおもむくままに自己を全うする。
これこそが、人生の醍醐味ではなかろうか。
5. 我々には3つの生きる価値がある。
1つ目は創造する価値。世の中に価値を生み出すこと。
2つ目は体験する価値。いろんな世界を見て、聞いて、味わうこと。
3つ目は態度による価値。いかなる場面においても、自分の魂の声を聞き、これが私だ、という私であること。
これは、フロイト、ユング、アドラーに次ぐ「第4の巨頭」とも呼ばれる心理学者、ヴィクトール・E・フランクルが唱えている。
読んでみて
いや〜全然悟りなんて程遠かった。何を心配してたのか笑っちゃうくらい。
私にとっても悟りをひらく、とは、無関心に近かった。
いかなる感情を抑えることができるようになってくると、たとえ傷つけられても、そんなこともあるよね、まぁいっか、となることができる。
しかし、この無関心は自分のエゴ。もうこれ以上負の感情を持ちたくないから。自分のエゴに従っている時点でさとりのさの字もない。
そして、自分に圧倒的に足りないのは、態度による価値。
せっかく自分の魂を持たせてもらい、この世界に存在しているのに、エゴが邪魔をして、こうしたい、こうあるべきが邪魔をして、魂の声を聞くことができていない。
まずはエゴと魂を分離するところから、自分自身を上から見つめてみることから始めてみる。
これから
最後にもう一つ。
これに尽きると思う。
お母さんに包まれた時の温もりも、山の上の美味しすぎる空気も、手が届きそうな空に広がる満面の星空も、言葉や、カメラでは、表現しきれない。
ずっと一緒にいた人を亡くす悲しみも、出産の痛みも、いくら言葉で聞いても、体験したことがなければ、感覚はわからない。
だから、この目で、この耳で、この足で、この世界を知りに行く。
そしてその中で、新たな価値を創造したり、他の人とのつながりを感じたり、魂の遊びを楽しめる人でありたい。
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