無意識を意識で切る
根がオタクなので家でずっと過ごすのにはなんら抵抗がない。気になるのは消費カロリーに対する過剰摂取のみで、あとは推し活していれば実に快適なのだから仕方ない。
人間は保守的な生き物。そのことが(あんまりよくないよな)と思っても変化しないことを好むものだから仕方ない。
だからこそ意識して、新しいことをする、知らない場所に出かける、初めての人と会う。適度のストレスをかけなければいけないと思う。
最近カメラを変えた。ずっとCANONが好きで使っていたのだけど、今回はSONYだ。めっちゃ面倒くさい。使い慣れたメーカーなら大体この辺いじればこうなるというのが分かるのでその他のところだけ覚えればいいのだけど、メーカー違うと最初からだ。めっちゃ面倒くさい。面倒くさいまま放置するか、面倒くさいを乗り越えてSONYを使いこなせるとちょっと良いことがあるんだと思う。ヘッダー写真がSONYで撮ったやつ。気に入ってる。
年齢を経ると意識しないといけないことが増える。
メモ書きしなくても記憶できていたものができなくなる。
ものを掴む時、そこに注意を向けないと落とす。
何気なく置いたものが見当たらない。
美容院に行きそびれて髪がボサボサはやばい。
今まで無意識で出来ていたこと、無意識でも大丈夫だったことがじわじわ無くなっていく。
でもそれって誰もが通るただの加齢の変化だから、「嫌だ」とか「もうダメだ」とか言ってるより、客観的に分析して対応していけばいいだけのこと。
「意識しないとねー」と言っていたんだけど、先日いい言葉を教えてもらった。
「無意識を意識で切る」
かっこいい。武士みたいだ。しらんけど。
生き方って自分で決めるもんだからね。
今日は絵画教室で初めて静物画(葡萄)を描く。楽しみだ。