日本神話と比較神話学 第十四回「動物の主」と「天の狩人」 大国主神、アメリカ大陸の双子の英雄神・フンアププーとイシュバランケー
1 はじめに
怪奇・諷刺漫画家の水木しげるは自伝の中で、自身の特異な霊魂に対する考えを紹介している。
このような霊魂観は文化人類学の領域ではアニミズムと呼ばれる。
現在の文化人類学では十九世紀イギリスの人類学者タイラーによるアニミズム論(生物や無生物といった自然の対象に対する、人間による人格の投影)に対する批判から、フランスの人類学者フィリップ・デスコーラの新たに提唱するアニミズム論が台頭しているようである。
デスコーラによると、狩猟採集社会などのアニミズム的世界観が強い世界では、人間・動物・精霊といった自然的・超自然的な諸存在は身体性は異なっているが内面性においては共通していると考えられている。
具体的にはそれはいかなる意味か。
ブラジルの人類学者ヴィヴェイロス・デ・カストロによると、アマゾンの先住民の社会では、人間が血と呼ぶものはジャガーにとってはビールであり、人間が腐肉とするものはハゲワシにとっては焼き魚、泥沼と呼ぶものはバクにとっては儀式の場所であるとされているという。ジャガーは身体的に人間と異なるが内面は人間と同様であり、血をすするときでも、その内面は野蛮な怪物のものではなく、人間同様に文化的にビールを楽しんでいるということになる。(自然の中で血をすする動物と、文化的にビールを飲む人間ではまったく異なる世界認識を有しているとする認識論的相対主義との違いに注意されたい)このような先住民社会の世界認識をヴィヴェイロス・デ・カストロはパースペクティズムまたは多自然主義と呼ぶ。
このように、新しく見いだされたアニミズム論は上記で引用した水木しげるの霊魂観(「霊魂が肉体という衣を着る」)にきわめて近しい。民話や神話ではしばしば動物は人間の前では動物の姿をしているが、自分たちの村(国)に帰ると服を脱ぐように動物の姿を捨てて人間の姿になるとされる。
神話においてはこのような霊魂観(アニミズム)は、かつて人間と動物たちは対等に暮らしていたが、ある時、分断されたという形で語られる。
野生動物を支配する神は動物の主(アニマルマスター)と呼ばれる。動物の主は人間に野生動物を狩猟の獲物として送り出す。狩猟民族の神話では、人間が野生動物を食料とする(殺害する)代わりに動物たちを手厚く葬るという契約が、動物の主との間で結ばれているとされる。
小論では比較神話学的な手法で、日本神話における動物の主の神話の検討を行う。
2 死ぬのは柱の下か、樹の上か?
環太平洋圏には英雄的な双子の創造神に関する神話がしばしば現れる。人類学者のマルセル・モースが断定するように「民族学の観点からすると、太平洋文明の存在には疑問の余地がない」。(『贈与論』吉田禎吾・江川純一訳ちくま文庫p68)神話学においても太平洋を挟んだ地域の神話は興味深い共通性を見せる。
ポリネシアの神話においては文化英雄である姦夫(姦通を行う男)は男性親族(兄弟)と対立し、柱穴に追い込まれ柱で突きつぶされそうになるという神話がみられる。
これは太平洋を挟んで対岸に属する、南米アマゾンの先住民族の鳥の巣あさりの神話に対応すると思われる。
ボロロ族と隣接するシェレンテ族の神話でも、火を獲得する文化英雄は男性親族によってコンゴウインコの巣がある木の上に置き去りにされ、ジャガーに助けられる。(姦通のモチーフは見られない)北米のクラマス族の鳥の巣あさりの神話では父親が息子の妻と性交するために、やはり、息子を木の上に置き去りにする。
男性親族によって姦夫として追われる文化英雄は、ポリネシアの神話では柱の下でつぶされ、アマゾンの神話では木の上に追いやられる。柱の下か樹の上かの違いはあるが、大木のはしに追いつめられながら、いずれのばあいもその窮地から脱出して男性親族に復讐を行うか天に昇る。
先に述べたように英雄的な双子の創造神(文化英雄)の神話は太平洋を挟んで、広くみられる。以下は南米アマゾン先住民の神話である。
アメリカ先住民の間では双子の文化英雄は、しばしば天に昇って太陽と月になる。
同様の神話がニューギニアの東部や北部、メラネシア島嶼部の一部に広がっている。
この神話では双子ではないが、前後に二つずつ目がある子供は双子に準ずる存在であると思われる。
スペイン征服後、先住民によって書かれたキチェ・マヤの神話が記録された文書『ポポル・ヴフ』は英雄的な双子の創造神フンアフプーとイシュバランケーの活躍を描いている。彼らは四百人の若者を殺害した巨人の親子を退治し、父親と父親の弟(叔父)を殺した冥界の神々に復讐するなどの偉業を遂げたのち、死んだ若者たちとともに天に昇って太陽と月になった(「天体の起源」)。
他にも目祖アメリカで広くみられる神話では祖母に食われそうになった兄弟は逆に祖母を殺害し、天に昇って太陽と月になる。日本の民話「天道さんの金の鎖」でも家族を食い殺した山姥(山に棲む人食いの女怪)に追われた兄弟たちは下りてきた鎖を登って天上に逃げるという説話がみられる。
さて、以上の環太平洋圏の神話に現れるモチーフは、日本神話においても出現する。
日本神話(古事記)において大国主神は、
親族男性(八十神)と女性(ヤガミヒメ)を巡って対立し、
木の下に押しつぶされるが、女神の助けで切り抜け、脱出し、
冥界(地下世界、根の国)で、冥界神(スサノオ)の試練に打ち克ち、
兄弟神(スクナヒコナ)とともに創造行為(「天の下造らしし大神」、大国主神の敬称)を行う。
そして(スクナヒコナが)天に上る。
以上のように、大国主神の神話においては太平洋両岸の兄弟神話・双子神話のモチーフの多くが網羅されている。両者は元来、同系統の神話であったのだろう。
3「動物の主」と「天の狩人」
アメリカ大陸に広くみられる双子の英雄の兄弟の神話は、結末において、兄弟が天に上り、天体の起源となる。これと比較すべき神話としてシベリア・ベーリング海峡などの極致地方で伝承される「天の狩人」(Cosmic Hunt)が挙げられる。「天の狩人」とは、狩人に殺されそうになった野生動物が天上に逃げ、それを追って狩人も天に上り、両者は星座となる、という天体(北斗七星など)の起源神話である。以下にひくギリシア神話のカリストの神話もこれに含まれる。
キチェ・マヤ族の神話『ポポル・ヴフ』では巨人の息子によって殺された四百人の若者は、天に上り太陽と月になったフンアププーとイシュバランケーとともに、星々になったとされる。一方で、「天の狩人」の神話では、傷つけられた動物あるいは死んだ動物は天体となって保護される。
この「天の狩人」の天上世界における動物の保護というモチーフは、人間と動物の争い(人間による野生動物の狩猟・殺害)を調停し、狩猟の幸と引き換えに野生動物を敬わせる契約という「動物の主」の神話と対応しているように見える。両者は(狩猟社会というよりも)アニミズム的世界観における人間と動物の関係の二側面を神話において表しているのではないか。
4 動物の主・大国主神と天の狩人・スクナヒコナ
援助者である義兄弟スクナヒコナと別れたのち、大国主神は国土の創造を完成させ、その子孫は繁栄する。しかしいつしか地上は「荒ぶる国つ神どもの多(さわ)なる」と呼ばれるような荒廃した状況となり、高天原(天上界)の神々より王権の移譲を求められることとなる。この地上王権をめぐる天上世界と地上世界の神々の交渉は「国譲り神話」と呼ばれる。
一部の論者は大国主神の国譲りを、大和朝廷となる勢力による出雲地方への侵攻と在地勢力の首長との交渉を神話化したものであると論じている。本論では、しかし、「国譲り神話」は神話(非人間の物語)として取り扱う。
先に論じたようにアニミズム的世界観においては動物は身体的には人間と異なっているが、内面的(精神的)には人間と変わらない。いいかえれば、動物(またはそれに類する存在)もまた人間とは異なる霊長(自然界の支配的種族)でありうるし、人間以前の霊長であったということである。
国つ神(地上世界の神々)は祭祀を条件に天つ神(天上世界の神々)の子孫へと王権を譲る契約をした。一方、動物の主は祭祀を条件に人間たちに野生動物の狩猟を許す(幸を贈る)契約を結んだ。
つまるところ大国主神の「国譲り神話」とは「動物の主」と同じ神話だったのではないか。
さて、「国譲り神話」では大国主神以外に天上の神々との交渉を行う神が登場する。天上の神々より、大国主神との交渉と、まつろわぬ(服従しない)荒ぶる神々の征伐を任せられたタケミカヅチとフツヌシの二柱の戦神は、地上の神々との交渉の後(異伝では交渉に先立って)、星神アマツミカボシ(別名アメノカカセオ。「悪神」ともされる)という天の神と服従を求める交渉を行った。
これは大国主神との地上の国譲りに対する天上の国譲りとの交渉といえるだろう。(星神は祭祀を条件に服従を受け入れる)アマツミカボシの出自・系譜は不明であるが、天上に降り、地上の大国主神のカウンターパートのように思えることから、アマツミカボシはスクナヒコナの別名であり、両者は異名同神ではないかと推察される。(スクナヒコナは常世国に去っていった。「常世」とは「常世長鳴鶏」(高天原の鶏)や「常世思金神」(高天原の神)など、天上世界に関わるものの名につけられる言葉のようである)
キチェ・マヤ族の双子の創造神フンアププーとイシュバランケーは巨人に殺された若者たちとともに天に昇って、太陽・月・星々という天体の起源となった。大国主神の義兄弟・スクナヒコナにも常世国(天界)に上ってアマツミカボシ(天体。一説によれば金星)となったという、「天の狩人」に相当する天体の起源神話があったのではないだろうか。(マヤ族の星々になった「四百人の若者」に相当するのは大国主神に追いやられた兄弟の神々(八十神)だろうか)
以上の考察より、大国主神とスクナヒコナの国譲り神話を通じて、「動物の主」と「天の狩人」の神話の結びつきが推定される。
5 おわりに
今一度、小論の考察を基に、下記のように「動物の主」と「天の狩人」の原神話を推定復元する。
「動物の主」(大国主神)は、親族男性(八十神)と女性(ヤガミヒメ)を巡って対立し、
木の下に押しつぶされるが、女神の助けで切り抜け、脱出し、
冥界(地下世界、根の国)で、冥界神(スサノオ)の試練に打ち克ち、親族男性を打ち払い、
兄弟神である「天の狩人」(スクナヒコナ)とともに創造行為(「天の下造らしし大神」、大国主神の敬称)を行う。
創造をあらかた終えると、「天の狩人」は親族男性たちを連れて空に上り天体の起源(アマツミカボシ)となる。
その後、動物(旧い霊長、国つ神)と人間(新たな霊長、天つ神)の間におきた争いをおさめるため、「動物の主」は祭祀と引きかえに眷属とともに隠遁するという契約(国譲り)を結ぶ。
「動物の主」(および「天の狩人」)の神話はアニミズム的世界観における倫理的問題(人間と同じ内面を持った動物を狩猟の対象とすることの倫理的説明)を取り扱った神話だとされることが多い。しかし「国譲り」神話と対比すると、これらが人種交替神話というより広い神話の一環であるとわかる。(人種交替神話とは各時代ごとに支配的な種族=霊長が入れ替わっていくという神話。ギリシア神話では黄金時代・白銀の時代・青銅の時代・英雄の時代・鉄の時代の各時代で時代ごとに霊長=人類が絶滅・交替していったとされている)
最後に、アニミズム的世界観と神話的世界観の中間にあると思われる、キリスト教の異端・アルビジョワ派と、アルタイ系民族の冥界神エルリクの神話を紹介する。
これらの神話・世界観はグノーシス主義(ギリシア哲学に影響を受けた異端的・神秘主義的なキリスト教の神話・教義)の影響によるとされるが、霊的存在の視点(モノに霊が宿るというよりも、霊魂がモノを衣服のようにまとう)から描き出される、冒頭にひいた水木しげるのようなアニミズム的世界観の神学的・倫理的とらえなおしとも受け取れる。
参考文献
工事中。