Stress-Free Homeschooling 2
Chapter 3 優先事項
「もし僕の優先事項は何かと聞かれていたら、それは“神”といったと思います。」とその若者は言った。彼が衝撃を受けた優先事項についての講義のことを私に話をしていた。 「でも、今となっては実際はそうではないことがわかりました。」と続けた。
一般的に、良く話題にする事柄、時間とお金と労力を費やす事柄の中に自分が優先しているものが見つかると言われている。
皆さんにも一旦手を止めて自分自身の優先事項は何か、考えてみてはどうだろうか。この若者が私にシェアしたのと同じ観点で:あなたは自分の時間と労力とお金と考えを何に費やしているのか。自分の優先事項を何にしたいのか。今、それを再確認するタイミングなのかもしれない。
なぜホームスクーリングをしているのか
私がホームスクーリングを始めた頃、自分がなぜホームスクーリングをしているのかという理由を書き出すことがとても役立った。これは自分の伴侶と同じ観点に立っているか確認するためにも二人で話し合うべき事柄だ。なぜ自分がホームスクーリングをしているのか知ることはとても大切。なぜなら自分のしていること、使用している本や教材、子どもの教育のさまざまな側面にどれだけ時間をかけているのかを知ることができるからだ。そして、人からそのことについて質問された時にはそれを基にすぐに答えられる。
家庭で子どもを教育する理由は人それぞれ違う。ある人は公教育よりより良い授業を家庭でなしえるからと考えて取り組む。また、ホームスクーリングをする多くの親は信仰心が篤く教育委員会はそれに相反する立場をとっているとの理由からであったり、その他にはそれぞれの家庭のニーズや家族のライフスタイルに合わせたものにしたいという理由からだ。
私たち夫婦が家庭で子どもたちを教育しようと思った理由は彼らを育てるにあたっての第一の目標が達成できると考えたからだ。それは、すべてを掛けて心から神を愛しみ、隣人を自分と等しく大切に思える教育をどの公立や私立の学校よりもより良く子どもたちに与えられると考えたからだ。
おススメの優先事項
子どもを家庭で教育する第一目標が明らかになったなら、次は自分の優先事項を見直す必要がある。ホームスクーリングを成功させるためには次の項目を検討して頂きたい:
精神的健康と成長
自分自身の幸せを優先する。なぜなら持っていないものは与えられないから。よい食事が成長には欠かせないのと同じく、日々神に祈りを捧げ、神の言葉に耳を傾ける時間を持つことがとても大切である。神の言葉は私たちの心を取り戻させ、真実に沿った見通す力を復元させる。それは心に平安をもたらす。神の道へ思考を巡らさずにいれば混沌とストレスの渦に巻き込まれてしまう。驚くほどあっという間に世界や敵対するものの哲学、考え、手法が私たちのそれに忍び込んでくる。神の言葉に毎日触れることで歴然とした違いがでる。祈りの書を読むことももちろん良いが、それだけでは足りない。聖書そのものを読むことをお勧めする。
新約聖書の中でパウロが『テモテへの手紙2』第3章16節に「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」と書いた時、新約聖書はまだ存在していなかったため、ここで彼のいう聖書とは旧約聖書のことである。よって新約聖書だけでなく、旧約聖書も読んでほしい。旧約聖書には神の不動の愛、神聖さ、忠実性、慈悲深さ、分け与える心、寛容さ等、神について多くを知ることができ、また神がどのようにして貧しい人々、未亡人や身寄りのない子どもや外国人に奉仕し、正義を見せ、敵を愛するか等を学ぶことができる。
一年で聖書が計画的に読破できるガイドがいくつもある。一日の内のほんの数分あれば良い。実際、旧約聖書の一章、新約聖書の一章、詩編か箴言も読んでいると何某かの励ましの言葉、タイミングの良いリマインダーとなる言葉、神を称えたくなるような言葉に出会う。
とは言うものの、赤ちゃんや幼児の育児に追われていると、怖い夢を見たと言って泣かれ(睡眠の邪魔をされ)、胃腸炎などの病気で夜中に世話が必要になって(睡眠の邪魔をされ)、それ以外のことで起こされ(睡眠の邪魔をされ)てほぼ寝る時間を奪われて脳がぼんやりしてしまう時期だということは経験上良く理解している。この睡眠不足の状況で聖書を読むことはできても一言も頭に入らない。これは私も大得意!ということで、そんな私から、毎日眠気払いに四苦八苦している後輩ママたちへのアドバイスだ:
聖書を音読することをお勧めする。声を出すことは集中力を高める。一日が本格的に始動し始める(子どもたちが目覚める)前に神様と静かな時間を持つことは理想的。けれど、子どもたちが小さかった頃、私がベッドに入った瞬間に子どもたちも横に居たり、膝に乗ってきたりしたものだった。あなたにも同じようなことがあるなら、それが聖書のどの部分であれ、読んでいるページから声を出して感情を込めてぜひそのまま読み進めてほしい。母親は朝起きて真っ先に聖書を読むという姿を子どもたちの脳裏に焼き付け、これが普通のこととして子どもたちに生きた証拠として残すことになる。
眠気を払って集中するもう一つの方法は、聖書に収められている本、章や節ごとの要約を書き出してみることだ。私は何年もの間、何度も聖書を読み返していて、もはや面白くもなんともなくなっていたが、要点を(百均ショップで調達したノートに)書き出してみると、不思議なことに今までとても馴染みのあった一節や物語の新しい側面が見えてきた。この作業をしていると聖書に新たな息を吹き込むことができた。
気になったり、目に止まった一節を書き出すことも集中力を高めるのに役立つ。これは要約を書くよりも容易でそれほど能力を必要としないが、読んだ一節を書き出すことで集中することができる。
一度読んだら、読んでいる間に思い浮かんだ事柄に対して祈ってみる。今読んでいる一節を祈りに変えてみるといいかもしれない。例えば、新約聖書のコロサイ人への手紙3章12節~17節
「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。 互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。…」を読んだなら、「神様、私をあなたが選ばれた者、聖なる愛されている者にしてください。あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着け、 互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合えるようお導きください。」その時に耐えなければならない相手がいたり、許さなければならない誰かがいたら、この部分に具体的な言葉を入れる。これらを声に出して祈ることで集中し、心が彷徨わず、思いが漂って迷子にならずに済む。今まで思いが漂ってしまったことで祈りの時間をどれほど無駄にしてしまったことか!
旧約聖書詩編の「わが岩なる主はほむべきかな」の部分を読んでいたら、それを「わが岩なる主であるあなたこそほむべきかな」と声を出して祈る。神の言葉を口に出すと救われる。その日に必要な言葉であり、祈りを聞いている家族にとっても必要とする言葉だったりする。
神と過ごす時間への障害と邪魔
我が家の最年少は今13歳。なので、もはや寝不足で頭がボーっとする時期ではないけれど、他の邪魔が入る。実際、どんなものでも気が散る原因になるし、なり得る。魂を満たす、精神性を高めることがどれほど大切かを知る心の敵はあらゆる手段を使って密かに(密かにでもなく)この一日の中でも最も大切な時間の邪魔をしにくる。
ほとんどの人は目覚めるとベッドから出て(あるいはベッドの中で)パソコンやスマホをいじる。私も起きて最初にすることの一つにメールのチェックだった。そして何件かのメールに返信して、ネット記事を読んだりしていると神と神の言葉に触れる時間があっという間に奪われてしまっていることに気づいた。
それ以降、私は神様との時間を過ごすまではスマホやパソコンを見ないことに決めた。まず最初に神の言葉を聞き、その後に他の人の言葉を聞くことが私には必要だったから。でも他の人からの(例えば、メールや文書などで)話も聞きたいので、まず最初に神と神の言葉に触れる時間をしっかり持ったと確認してからにした。
今でも聖書を手にする前、トイレに行く途中に目にするカウンターで充電中のスマホを開けたい衝動に駆られる。朝一にはスマホは見ないと決心したもののメッセージが届いていないか確認したくなる。
大抵の場合(100%ではないが)自分自身をコントロールして「ダメ!」と強く自分に言い聞かせる。
聖書を読む前にスマホを見ることはそんなに罪深いことなのか?そんなことは全然ない!でも私にとっては集中力を削いでしまうことで、神の言葉や祈りを読む時間が必ずしもあるとはかぎらなかった。従ってスピリチュアルな領域の成長のために自分にとっては必要不可欠だったのでそうすることにした。
何が自分を聖書を読むことから遠ざけているのかは自分自身にしか分からないもの。自由時間やレクリエーション活動の前に神様とその言葉に触れる時間を設けませんか?神様との時間を最初に持ってきても、その後に本、新聞、テレビ、SNS、手芸に移行する時間はあるはず。例えそれらをする時間が無くなったとしても、霊性を高める時間を無くすほどの大きなロスにはならないと思う。
子どもたちの霊性を育てる
一日のなるべく早い時間に(これはあなた自身が神様と過ごす時間とは別に)子どもたちと聖書を読む習慣を持つと、単純にいかにそれが大切なことかが自然と伝わる。たいていの場合、一日が動き始めると計画や予定がどんどん崩れていく。(スケジューリングについては後の章で述べる。)
お祈りはその子の年齢に合った長さと内容で。神様にお祈りする場合、「神様、あなたは…(神聖、素晴らしい、愛情深い、寛容、など)です。」とかわるがわる言ってみたり、「…をありがとうございます。」という時もある。迫害を受けた信者に向けて祈ったり、その時々で必要な祈りを捧げる。もちろん、自分たちに向けての祈りも。子どもたちが理解できるようになったらP.R.A.Y.の意味、つまり:Praise(崇める)、Repent(悔い改める)、Ask for others(他のために祈る)、Yourself(自分自身のために祈る)を教えるのもよい。
その日一緒に読んだ聖書の個所に関連した祈りを捧げることを習慣にするのも良い。そうすれば神の言葉がさらに身近に感じられる。
聖書の句を暗記するのも素晴らしい恩恵がある。CMソングやふざけた歌や映画のキャッチーなメロディーを覚えるよりも心の中に神様の言葉を暗唱している方が遥かに有益だ。
私は長年にわたって子どもたちに彼らの為になる聖書の言葉を暗唱させてきた。全員で唱和していたのだが、私が聖書を持って文言を教えつつ子どもたちがちゃんと言えているか確認していたため、私自身がその言葉を暗唱できていないことに気づいた。年長の6人が出掛けていて年少の4人の子どもたちにホームスクーリングしていた時、末っ子は聖書の言葉を暗唱できていないことが判明。他の子たちと一緒に唱和していると、いつも0.5秒ほど他の子たちよりも遅れていて、先に言い出す兄弟を頼っていた。こんなことに気づいてから聖書の暗唱は一対一の時間に取り組むことにした。そうすれば私も暗唱できているかをチェックしてもらえる。暗唱にお勧めの聖書の言葉は巻末の付録Aを参照。
肉体的健康の維持
肉体的な健康はとても大切だ。育児中の睡眠時間が取りにくい時期はお昼寝をする習慣をつけると良い。子どものお昼寝の時間に掃除などの家事をするよりも一緒に寝ることの方が余程重要だ。私も自分が寝たいがために幼児と赤ちゃんを同時に眠らせることに全力で頑張ったものだ。
もうお昼寝を必要としない年頃になっても、その時間は静かにベッドで寝るか遊ぶか本を読む時間と決めておく。そうすれば親はお昼寝したければできるし、せめて静寂の時間を持つことができる。
健康的な食事やおやつを食べ、十分な量の水分を摂る。頭痛、疲れやその他の不調は水分不足が原因の恐れがある。
子どもがまだ小さい時はその子の世話をしているだけで十分運動ができていると思われる。出られる時は日課として外に出掛けることはとても良いことだ。子どもたちを公園に連れ出すのもよし、雪遊びをするもよし、散歩するもよしだ。新鮮な空気(と太陽の光)は皆を癒す。
健全な結婚
家庭学習を成功させることを含め、あなたが子どもたちにしてあげられる最良の事の一つは健全な結婚生活を送ることだ。未だに多くの子育て中のお母さんたちは私にこう言います。「仕事から帰宅し幼子が面倒をみるのは体力も気力もとても消耗するということは理解できる。自分自身もそんな状況だったことがあるので理解できるが、でもそこに留まってはいられない。そんな状況は実際打開できるのだから!
まず最初にどれだけあなたが力尽きているか、そしてそんな中にありながらも何かを夫のためにしたいと思っていることを伝える。それだけ大切な人だからと。どうやって彼のためにエネルギー補給すれば良いのかを一緒に祈ってもらうようにお願いしてみる。
二人でよく話し合うこと。妻が十分にエネルギー補給できているかは夫の重要課題だ。もしそれが睡眠不足に起因しているのならば、夫は帰宅後か夕食後に子どもたちの相手をして妻に昼寝の時間をつくってあげられる。それが課題でなければ、一人で散歩や買い物に出る、本を読む、手仕事をする等、自分が満たされると思える行動に移る。毎日である必要はなく、週一回の取り組みでも良しとする。私は週一回夜にイスラエルのフォークダンスをすることがここ何年かのアクティビティだ。本当にこれは私を元気にしてくれる!気持ちはリフレッシュされ、夫や子どもたちにまた与えるエネルギーが湧いてくる。
週一回夜にデートすることを始めてみるのは良い習慣だし続けてほしいもの。高価なデートである必要はない。私たちの場合、夜のお散歩が多かったし、もっと言えば家を出る必要もない。お子さんが小さく、ベビーシッターをお願いできる状況でなければ子どもたちが寝静まってから二人だけで在宅デートを楽しめば良い。素敵なテーブルクロスを敷いてロウソクに火を灯して特別な食事を準備したり、二人で家で楽しめることを見つけて一緒にするのも良い。
週一回夜デートでは子どもの事や、家族の問題、家庭内のあれこれを話す時間ではなく、ただ二人でいることを楽しみ、結婚前にしていたように関係構築に努めることが目的だ。あの頃は着る服にも(魅力的に見えるように)気を配ったり、どうすれば相手に喜んでもらえるかをお互い考えたものだ。
お互いを当たり前の存在と思うのは簡単なことだけれど、そうならないように努力する価値は十分にある。
確かに子どもの事や家族の問題、家庭内のあれこれについて話し合うのは大切なことだが、週一回夜デートの日は封印しよう。それらの話をするのは別の機会においておく。正直に言うと、Alanと私が夜デートは今家庭内で起こっている問題を話し合うことから始まることが多かった。でもその話は別の時間を設けることにして一旦横に置いていた。そして言っておくけれど、夜遅くに真剣な話をするべきではない。絶対!
夫に感謝の言葉を告げる。夫がしてくれていること全てに対してありったけの感謝を表現し、彼の全ての良いところに感謝する。そして彼のことを毎日祈る時、神様にも彼のことを感謝しよう。子どもたちや他の人に彼のことを話す時は好感をもてるような内容にする。そうすることで大きくポジティブな方向へと二人の関係性をもっていける。
決してあなたの配偶者を批判するようなことを他人に言ったり、彼の欠点を考えたりしないこと。夫の欠点、弱さ、短所が見えるのは分かっている。でも相手もまたあなたのも同じように見えているもの。お互い一緒に住んでいるのだから!でもこれが神様が与えてくださった配偶者。相手の良い面だけに集中する。もし気になるところがあれば祈る。もし何か向き合わないといけない問題が出てきたら先ずは自分の目からその記録を消すことから始め、(つまり、自分自身を顧みて同じようなことをしている可能性を調べ、そっちを先に解決する)そしてタイミングを見計らって優しく話しかける。決して夜遅い時間帯や夫が疲れていたり、既に落ち込んでいる時はしないこと。そしてしつこく文句は言わないこと。それは聖書に反することなので。(格言の書21:19, 27:15)
夫の立場として:本書の読者はほぼ女性と想定しているが、男性に向けても上記の2段落は逆に捉えると当てはめることができる。つまり、妻に対してありったけの感謝を表現し、彼女のことを毎日祈る時、神様にも彼女のことを感謝しよう。子どもたちや他の人に彼女のことを話す時は好感をもてるような内容にする。決してあなたの配偶者を批判するようなことを他人に言ったり、彼女の欠点を考えたりしないこと。もし何か向き合わないといけない問題が出てきたら自分の目からその記録を消すことから始め、優しく謙虚に話す。どうすれば助けてあげられるかと同時にどうすれば助けてもらえるかを話し合う。