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北海道約100年の歴史ある駅舎

少し前に歴史ある駅舎を見に行ってきた。

はじめに

実を言うとここは
現在89歳の祖母が幼い頃から住んでいた場所で
当時はこの”朝日駅”が最寄駅だったらしい。

『祖母が入院する前にもう一度見せてあげよう!』
という事が今回の出発点だった。

事前に、色々調べてみたところ
上記プロジェクトを企画してくださった方々がいることを知った。
(気になる方は是非記事を見ていただきたい。)

この様な素晴らしい”再生プロジェクト”の
お陰様で、私も学びあるとても良い経験ができた。

祖母も当時を振り返り嬉しそうだった、
そして益々イキイキしていた気がする。

私も、当時の人々の写真を見て想像しながら
自分もタイムスリップしたような気持ちになり、
この歴史ある駅舎を残してもらえて。
非日常的な経験、学びがあって
本当にありがたいと改めて再確認した。

そして、このような実際にあった建築物や
写真で残していく事によって
次世代にも”当時の方々の活気あふれる生活や
思いを引き継ぐ”
ことができる。

人と人との関係が
気薄になっている今だからこそ、
昔を辿ることの大切さを感じた。

思い出深い”朝日駅”

この駅は祖母のとても、思い出深い場所らしく、
祖母が幼い頃に祖母の母が
駅までよく迎えに来てくれたらしい。

当時は、炭鉱ですごく栄えていたらしい。
道は人で歩けないくらいで、
お盆の日は
みんな朝まで盆踊りをしていたとも言っていた。

そして、当時は戦時中でもあり
兵隊さんの見送りをした場所も
まさにここだったらしい。

ばあちゃんは言った。

『近くに学校があって
そこに通っていたんだけど…

そこの窓から兵隊さんが来るたび
ばあちゃんもみんなで外に出て旗をふり
歌を歌いお見送りしたんだよ…

当時は子供だから
戦争に行くことの恐ろしさ
しらなかったから、大人と一緒に
“ばんざーい”って言ってたけど、
今思えばなんも万歳じゃなかったんだよね…

奥さんも泣いてる人もいて
なんで泣いてるんだろぅ?
って思ってたよ…
そうだよね。

旦那さんともう会えないかもしれない…

みんな、そうやって
覚悟して見送ったのさ…』

と祖母が教えてくれた。

こちらが現在の駅舎の内部。
当時のまま残されている。
当時の写真も飾られていて
“どのようにして当時の人は生きていたのか?”
少し垣間見れるのが素晴らしい。
昔の電話ボックス。こんなに小さかったんだ。
今では電話ボックスの数すら少なくなっている…(良くも悪くも)


最後に、

何事にもご先祖様のお陰で
今の私たちがあると言うことを
忘れては行けないと改めて思った。

当時の賑わいや、活気あるれる人々。

祖母の話はいつも学びが多い。

そして、やはり昔をまじまじと拝見できる
あの”朝日駅の駅舎”。

古き良き日本の良さ。
そして、炭鉱のお仕事の過酷さ、
さまざまな当時の様子を知りました。

“岩見沢〈朝日駅復活プロジェクト〉
廃線となった駅舎を人の集まる場所に。
楽しみながら取り組むプロジェクト”


初めにも書きましたが
今回を機に、この様なプロジェクトを
企画してくださった方がいて
地元やその他の地域からの
たくさんの方々のサポートがあって
復活に至ったことを知ることができました。

このように古き良きことや物を
残していく活動は
本当に労力が必要だけれど
それ以上に”次世代に受け継ぐ”
と言う意味でも先人への感謝を込めて
古き良きを残していく事の大切さに
改めて気づかせていただきました。

今日も今日とて学びに感謝です。

最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

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