サンタの正体
今日はクリスマス。
こんな記事を見た。
サンタがいないことをいつ知ったか?
毎年よく出る話題だが、私にもこれにまつわるエピソードがある。
幼稚園の頃、姉に促されてサンタに手紙を書いた。
当時欲しかったオモチャをリクエストした。
ちなみにそれは、もぐらたたきゲームか、魚釣りゲームだった。
当時からちょっと変わっていたような気がする。
それはさておき、手紙を書いてしばらくしたある日。
わが家はおもちゃ箱を押入れにしまっていた。
一人で遊ぼうとおもちゃ箱を出そうとした時、押入れの脇に包みを見つけた。
おもちゃ屋さんの包装紙に包まれた包みの大きさは、リクエストのもぐらたたきゲームと同じくらいのサイズだ。
瞬時に私は、それが例の手紙を見た親が用意したものだと理解した。
そして何も言わず、クリスマスの日は何も知らなかったように喜んだ。
そもそも幼稚園の頃といえば、サンタの存在を認識できるかどうかという時期だろう。
クリスマスやサンタのことを親や周囲から言い聞かせられて、それをようやく理解する。
ところが、ウチの両親は同年代の子の親より世代がちょっと上(ギリギリ戦中世代)なので、サンタの啓蒙にあまり熱心でなかった。
祖父母も空襲で亡くなっていたので、家族でサンタのことを熱心に言うのは姉だけだった。
しかも、たまたま仏教系幼稚園に通っていたため、園でクリスマスはノータッチ。
当時の5歳くらいのこどもにとって幼稚園は社会の全てなので、幼稚園でクリスマスがなければこの世に無いのと同じだった。
うっすらサンタを信じかけていた時期にこの事件があったので、私はサンタのことを口にしなくなったのだろう。
以後、サンタの話題が我が家で出ることはなかった。
大人になれば笑い話だが、私の中では「5歳にして空気を読み始めていた」という物語だ。
空気が読めるのは必ずしも悪いことではないが、こどもが空気を読みすぎるのは…。
当事者としては、それは不憫な気がしてしまう。
空気を読み、感情を抑え、おとなしく手がかからないように…そう思って育った結果、大人になってから自己肯定感問題でちょっと困ったことになったからだ。
サンタのファンタジーは、親子の愛情と信頼を育むための、よく出来た装置だと思う。
「サンタはいない」と子供が知っても、親が夢を壊さないように頑張ってくれた記憶は、あたたかい思い出になる。
…そんなことを、毎年のクリスマスには思う。
私の物語も、そろそろ書きかえないといけない。
来年は、私が母親のサンタになろうかな。
どうか元気でいてくれますように。