急に映画を観るようになった
昨年から、急に映画をよく観るようになった。
今まで、映画は苦手だった。
せいぜい2年に1本観るかどうかで、どんなにヒット作でもスルーした。
TVで放送しても観ない。(これは今でもそう)
スターウォーズもタイタニックも、インディジョーンズも観たことない。
ジブリはかろうじてナウシカと千と千尋だけ。
まれに観る映画はミニシアター系のマイナー作品ばかり。
とにかく動画視聴が苦手で、そういう特性だと思っていた。
ところが、昨年どうしても観ておきたい映画が上映されたので、重い腰をあげて観に行った。
(PLAN75でした)
映画は重く、決して楽しい作品ではなかった(でも観てよかった)けど、なぜか「映画館で映画を観るのもいいかもしれない」と思い始めた。
一緒に行ってくれる友人がいたこともあり、映画を調べて観るようになった。
今では常時4本くらいは観たい映画が溜まっている状態だ。
今でも月に2〜3本しか観られない。
映画ファンとは言えない本数だろう。
観る作品も偏りがあって、ホラー/アクション/サスペンスは観ない。
やや暗めのテーマで、観た後にモヤモヤしそうな作品を好んで観ることが多い。
Q. ほぼ映画を観てこなかった自分が、なぜここまで映画を観るようになったのか?
A. フェーズが変わったから
さて、フェーズとは?
割と最近まで、私は「自分をどう表現するか?」に関心があったと思う。
仕事は他との差別化を求められるし、趣味で続けてきたダンスも表現のひとつだった。
突出した個性というほどのものはなく、スキルがずば抜けているわけでもない私は、「他と調和しつつ、自分らしさをいかに表現するか?」をずっと模索してきたように思う。
この自意識は私を打ちのめし、「生きることは基本的に苦行」という人生観の元になった。
けれども、痛みは「生の実感」を伴うので、これはこれで逆説的に充実感もあった。
ところが。
あるきっかけで気づいてしまった。
私はもう、自分らしさを表現したいという気力と体力がない。
正確に言えば、加齢による体力の低下で情熱のようなものも消えてしまった。
自分らしさを表現したくてギラギラしている若い世代と張り合う熱量もない。
私の表現は、私にとってもう意味がない。
なぜなら、人生も折り返しに差し掛かり、伸び幅の見通しが立ってしまうようになったから。
劇的な変化は、多分もう起こらない。
それなら、私は他者の物語を見聞きしたい。
自分とは違う人生がどんなものか覗いてみたい。
それを知ることで自分の世界が広がるのが楽しい。
そう思って耳を澄ますと、世界中でたくさんの物語が聞いてもらえるのを待っているように見える。
映画もまた、そういう物語の一つのような気がしてならない。
だから私は、しばらく映画を見続けるだろう。