AIが超えられない最後の砦。ヒトとして生き抜くという意識の選択が私たちそれぞれの未来の世界線を創っていく。
全ての幸福と不幸は、<感情>が支配している。<感情>は超未来に於いて不必要なものなのか?これは、仮想現実へまっしぐらに進む人類にとって重大な命題となります。進化した宇宙存在たちは、感情という要素を持たないという話もスピリチュアル界隈ではあったりして。
未来を生きる存在たちの進化が、どのような経緯であったとしても、私たちが現在ヒトとしてこの地球で生きている中、<いのち>の実感を得られるのは、私たちに備わっている<五感>が与えてくれる様々なシーンの<体験>と、そこに発露する<感情>であることは、確かな事実だと思います。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚
その中でも<嗅覚>については、微細なものほど、記憶の奥に格納された特殊な<経験>のリフレインが起きる、不思議な感覚だと個人的に思っています。その時の光景というよりも、その時の<感情>が蘇るのです。
それは、忘れていたはずの恐怖や不快な出来事だったり、楽しくて幸せなシーンだったり、その時生きていた場所や環境の空気感や色彩までもが体中に駆け巡る<タイムリープ(Time Leap)>です。過去であるのに、今現在の追体験という意識がそこにあります。
終わったこと、既にもう消滅している<過去>を記録映像なしで自身の中で追体験するなんてことは、多分、ヒトにしか出来ない脳と感情をバイアスした、宇宙が与えたもうた超絶テクノロジーというほかありません。
AIに体感的経験はできない?!
大宇宙にどれほどの宇宙種族が存在していて、それぞれの進化の過程を生きていると仮定しても、その<進化の翼>の片翼は科学であり、もう片翼は精神性であるというのが創造主がプランした魂の冒険であり、創造であり、進化だといいます。破壊と創造を繰り返し、それは螺旋状に上昇する次元の梯子だと。
トランスヒューマニズムの近未来が、ヒトの科学的能力を飛躍的に革新しても、それを管理、支配するのはAIだとするならば、シンギュラリティの先にヒトは何をもってAIを超えることができるのでしょうか。そして、超えなければならない理由はなんでしょう。
どれほどの情報を網羅した超AIが現実的に既に存在しているとしても、データ(AI)が唯一超えられていないのは<感情>だといいます。膨大なヒトの行動データや判断の是非や、無数の志向のパターンが把握できたとしても、意識体として生きるヒトの夢や希望は変化します。
途方もなく長い年月の中で、ヒトの意識のパンドラの箱には施錠がされ、真の自由から隔絶されてきました。
通説では、パンドラの箱は、最高神であるゼウスがあらゆる不幸や災いが入った箱を地上最初の女性であるパンドラに渡し、「絶対に開けてはならない」と命じるのですが、パンドラは好奇心から箱を開けてしまい、中にあった不幸や災いが飛び出してしまった。パンドラはすぐに蓋をしましたが、箱には「希望」だけが残った。
この神話からパンドラの箱は「触れてはいけないもの」の例えとなったというけれど、なんだか私には、この「触れてはいけないもの」が、「知られてはいけないもの」のように思えます。この神話は、支配者層が作った物語り。
ヒトの意識を解放させないために、支配者たちがセットしたブラックボックスは、私が想像するに<感情>という特殊能力を逆手にとって、恐怖という<洗脳>を与えられ続けて来たヒトの潜在意識の底に深くしまわれていたのではないかと思えてきます。
そして、そのブラックボックスを自ら開く時が来ました。コロナパンデミックがそのトリガーになった。分断というネガティブな解釈の反対側には、個々人の深層にじわじわと入り込んで来る<疑問>や<矛盾>が、洗脳の鎖を溶かしていきました。それは、しかし、メディアの報道を妄信する人々との乖離の道でもあります。
意志と想念が世界を変える量子科学の神髄
量子科学は、科学とスピリチュアルが統合された世界だとわたしは認識しています。見えるものと見えないもの。両方を認識し、認める態度で進む、宇宙史観そのものが、量子科学だと思うからです。
それは、言い換えれば「精神文明の向上に向けた物理科学」という感じです。素人がこんな話題で勝手に盛り上がっているし、勝手な解釈で記事を書くというのも楽しい。専門的な解説は無しなので、おおよそそんな感じではないか?みたいな考察です。ご容赦くださいませ。
ところで、この先は、意識という漠然としたエーテル的解釈から、具体的な量子科学の世界への移行を体験することになろう私たちの人生は、どのように生きていくことになるのでしょう。
精神性の違いで、立て分け社会が明確になりそうです。使える<道具>が違ってくる。その中でどのようなビジョンを創造していくのか。そこには、重なり合った高次の力も働くでしょう。コンフォートゾーンも広がります。
天の意志と結合するから、自分自身の小宇宙だけでは完結しません。大宇宙との間で、意志、想念とエネルギーの交流が起こります。自分の都合だけで自分のビジョンを決められないのがアフターコロナの世界です。
時間の感覚も変わるでしょうし、実際に物事がものすごいスピードで流れて行くように思います。だから、先の先までを見越してじっくりプランを立ててなんて暇はないかもしれません。
先の先まで見えないところを含めて、走りながら選択してゆくという生き方になるような気がします。だからこそ必要になるのはヒトとヒトとの意識、意志、想念の繋がりです。物理的な繫がり以上にそれは、天文学的数値を超えた超宇宙の<智慧>のネットワークと成りうるかもしれません。
ひょっとしたら、超宇宙意識の世界は、超AIの延長なのかもしれない。私たちの遥か未来に存在する5次元、6次元、7次元・・・・・・という高次の世界に私たちの持つ<感情>は彼らにとって超古代の貴重な意識のピースになっているかもです。
だからこそ私たちは、ヒトとしてこの惑星に生きている間、創造主たちの未曾有の傑作である多次元存在の遺伝子を与えられた恩恵を、存分に発揮して、物理的不死のトランスヒューマンへの道を選択するのか、宇宙に可能性を拓く意識を繋ぐガイアコミュ二ティーを創造するのか、それぞれの未来が大きく分岐する今を大切にしたいと思うのです。
その世界線は、必ず意志の向こうから繋がってくることを私は知っています。そして、どんな選択をしようとも、身近な肉親、友人、知人の幸せな生き方を認め、応援したいと思うのです。
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