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神々のDNAを宿す者~愛の中の善と悪~

イナンナ

                            シュメール神話の神イナンナ(イシュタル)
                                  B.C.4,000~B.C.3,100

おおよそ歴史好き、それも超古代に興味のある人でなければ、過去が未来であるということには気づかないでしょう。そして、この現代にあっての日常に、そのいのちの源流が、人々の中に深く鼓動を打ち続けていることも信じられないでしょう。
わたしたちがどの宗教であれ<神>と呼んでいる存在は、《普通じゃない超ミラクルの体現者》であり、それは個々の人々にとって自らの魂に衝撃的な共感と畏怖の念を呼び起こした<事象>であると私は思っています。


<存在>とは形ある何者かではなく、その実態は<事象>の記憶。感情の記憶です。衝撃的な何かを目撃したとき、それを「なんて酷い恐ろしいこと!」と受け取るか「なんて素晴らしい光景なんだ!」と受け取るかはその人次第。例えばその光景を写真に撮れば、そこにある事実が客観的にそのまま映し出されているので、見る人によって自由に、さまざまの解釈が生まれます。


またそれが画家の描いた絵画ならば、画家個人の感情やら思いやらがそこに描かれるので、見る側にとっては自由な意志でその絵画を眺めるというよりも、「この画家は何を思っていたのだろうか」という考察になっていく。更にはその絵画の中に、<暗号>を隠し描くこともできるので、絵画の好きな人は、一枚の絵の中に壮大な物語と秘密の伝承を見出すことも出来ます。


音楽ならば、聴覚から入る《音》という振動数の描くイメージの<光景>を聴くものの脳の中で展開しています。だから、世の中にあるあらゆる音楽のジャンルに優劣はなく、それぞれのジャンルにおいて<神>と呼ばれるアーティストが存在するのです。
<神>とはなんでしょうか。人はなぜ、同じ人間なのに、ある特定の人に対して<神>という称号を贈るのでしょうね。

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近年、SNSが私たちの日常に広く浸透してして、あらゆる<場>での出来事をリアルタイムで発信できるようになりました。その中でも、度々、ある事象のトピックを取り上げて「神対応!」というフレーズを目にします。それは<称賛>を意味する言葉。平凡な一般人には出来なそうな行動や言動をとった人を目撃した、その時の感情を言葉にしたものだろうと思うのだけど、これは、一昔前にはほとんど聞いたことがなかったフレーズです。


天才肌のアーティスト、天賦の才に恵まれた経営者、超人的な身体能力を持つスポーツマン・・・・彼らを称賛して<神>と呼ぶことは昔からありましたが、一般人の何気ない日常に起きる<神対応>という言葉はいつから認知され、共有され、そしてその事象に対して反論する者がいないのでしょうか。すごく興味があります。


ヒトの起源は様々な説がありますが、私個人はシュメール神話が語る、壮大な人類創生の歴史の記述、様々な宗教という形をとって、<彼らの存在とその行い>が世界中に派生し、<神々>の物語りとなり、その伝承が、<彼ら地球外生命体>の地球への介入から始まったという<説>を支持する者です。


宇宙に興味がなければ面白くもない話かもしれませんが、私たちの住む地球はご存じのように太陽系にあり、太陽系は<天の川銀河>という美しい円を描く銀河の中にあります。そして無数の銀河が、大宇宙の中に散らばっています。例外なくそこには規則正しいシステムが働いていて、星の創生、成長、進化、終焉、破壊を繰り返しています。宇宙全体が<いのち>だという解釈がそこにあります。

地球の風景


46億年の地球史の中で、ほんの数十万年前に初めて地球外生命体が、この惑星に降り立った。その物語がシュメール神話です。長い年月をかけて彼らのDNAを受け継ぐ新たな肉体として創生されたのが<地球人>。この生まれたばかりの<ヒト>に成長と進化が享受される過程で、彼らは<神々>になります。それはイメージの<畏怖>と<称賛>。不可能なことを簡単にやってのける魔術師の側面を残します。それは紛れもなく未来の科学であり、啓蒙活動でもあったわけですね。


だけど、<神々>は、姿かたちは違えど、私たち同様の五感の感情をもった<未来人>なわけでね、普通に恋愛し、不倫もし、死ぬことを恐れ、永遠の命を渇望する者たちでありました。しかし、《生まれたものは死にゆく》のです。ヒトの体自体がどれほどの叡智の結晶なのか、それを探求し始めたならば、どうやっても宇宙の仕組みに同期することになります。わたしたちは、各人のいのちが<星>なんです。先駆者たちのDNAを宿す者。それはわたしたち自身。太古の昔、創生したばかりの<地球人>から進化、発展を遂げてきた<地球人>という宇宙存在です。


<神>は特別なある存在でなく、いのちの種を受け継いだ<意識>の存在<意識>は自由自在に愛を体現し、それが善であるか悪であるなど、問題にしないのです。高々数十年のこの人生の中で、ヒトの人生観や価値観が大きく変化してきたのを、進化、発展というのか、衰退、終焉、破壊と思うのかも、各人が人生といのちのどこに価値を見出しているかによって違うはずです。どのみち、私たちは<愛>を忘れることはできません。そこには<善>も<悪>も同居しているけれど、その言葉自体がもうすでに意味のないものになりつつあります。


<神対応>あるいは、ある人の行いを見て<神!>と躊躇なく言える世の中になったことは、わたしたち自身がすでにある共通の<意識改革>の時代を迎えているということではないかとふと思うMADOKAであります。


いのちの尊さとは、<生命活動そのもの>ではなく、<生きる>というステージを、悲喜こもごも愛する心。もし、私たちの創造主たちが、どこかの次元からこの地球の行く末を見守っているとしたら、今この時代に、遥か昔に起こした彼らの失敗のリベンジを果たそうとする私たち地球人を、いつか逆に<神々>と呼ぶ日が来るかもしれません。なんてね。

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そうそう、それで<神>って叫びたくなる時って、どんなとき?
きっとそれは、歓喜の衝撃が魂を揺さぶったときじゃないかな。<神>はもう、お願い事する相手ではなく、わたしにもあなたにもある日突然自身の中から湧き上がる<奇跡>の発見。 

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Ailes d'amour <エールダムール>愛の翼 / 三咲 円
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